第二十四話 反りのある片刃
◇
護衛の稼ぎが、懐に残っていた。
これまでは、稼いだ分をそのまま帰郷の土産と、消耗品に回してきた。得物は、あの夜に奪った直剣のままだ。二年、これ一本で夜を越えてきた。だがもう、なまくらで、研ぎ直しでは追いつかない。刃こぼれを指でなぞるたび、そろそろ潮時だと思っていた。
「得物を、新しくしたい」
酒場で、ドルグにそう漏らすと、男は杯を傾けたまま、少し考える顔をした。
「腕はいいが、金は持ってなさそうな鍛冶屋なら、知ってる。オルグってじじいだ。城壁の裏通り、看板も出してねえ。偏屈だが、仕事は本物だ」
「偏屈」
「気に入らない客には、鉄一本売らねえ男でな。だが腕は、支部長も一目置いてる。……まあ、行ってみりゃ分かる」
翌日、ジンは仕事の合間を縫って、城壁の裏通りへ足を向けた。表通りの喧騒が、路地を一本入るだけで、急に静かになる。
「刀?」
道すがら、フィオナにその話をすると、目を丸くした。
「反りのある剣、って、あんたの故郷の得物?」
「……そんなようなものだ」
「ふうん。似合いそう。あんた、真っ直ぐな剣より、そういうののほうが」
根拠のない言い方だったが、否定する気にもならなかった。
◇
路地の奥、他の建物より一段低い屋根の下から、規則正しい槌の音が響いていた。工房は、看板の代わりに、鉄を打つ音で場所が知れた。
戸を開けると、火の匂いと、油の匂い。焼けた鉄の、鼻の奥がひりつくような匂いだった。奥で、白髪の老爺が槌を振っていた。振り向きもせず、一言。
「今日はもう仕舞いだ。帰んな」
「得物が要る」
「聞こえなかったか。帰れと言った」
ジンは、動かなかった。老爺——オルグは、舌打ちして、ようやくこちらを見た。上から下まで、値踏みする目だった。
「小僧が持つにゃ、うちの得物は重すぎる。余所を当たれ」
「重さは、慣れの問題だ」
「……訊いてもいねえのに、よく喋る小僧だ」
「口だけは達者だな」
オルグは、それでも槌を置いた。追い返すには、面倒な相手だと踏んだらしい。
「形が、決まっている。それを、打ってほしい」
「ほう。生意気に、注文があるのか」
オルグは、興味なさげに槌を置いた。それでも、聞く姿勢にはなった。
◇
ジンは、床に、木炭で線を引いた。
反りのある、片刃。切っ先は鋭く、峰は厚い。柄は両手でも片手でも握れる長さに。全体の長さは、村を出た時に背負っていた直剣より、少し短く。
頭の中にある形を、できるだけ正確に、地面へ移した。手が、覚えていた。図面を引くような仕事ではないはずなのに、線は迷わなかった。
木炭の粉が、指先に白く残った。オルグの目つきが、変わった。
「……こいつは」
線を、指でなぞる。何度も。
「東方の形だ。誰に習った」
「独学だ」
「独学で、この反りが出せるか。……見ただけで、分かるのか、お前」
答えなかった。答える気がない、というより、答え方が見つからなかった。オルグは、それ以上は追わず、代わりに、奥の棚から、古びた帳面を引っ張り出した。埃が、白く舞った。
「昔、王都の蔵で拾った代物だ。読めもしない古い文字だが、絵図だけは、頭に焼き付いてる」
開かれたページに、剣の絵図があった。ジンの描いた線と、よく似た反り。その脇に、判読できない文字で、何かが記されている。
「持ち主の名だけは、伝わってる。ウルヴァルト、と読むそうだ。何百年か前に、東方から流れ着いた剣士の名だとか。……眉唾だがな」
その名を聞いて、ジンの中で、何かが、ほんの一瞬だけ、揺れた。
顔には出さなかった。
「……その男の剣が、これか」
「さあな。似てる、ってだけの話だ。伝説なんぞ、当てにならん」
オルグは帳面を閉じた。それ以上、深追いする気はないらしかった。
◇
「打てるのか」
「打てるかどうかより、打ちたいかどうかだ」
オルグは、木炭の線の上に、しゃがみ込んだ。老いた指で、反りの曲線を、何度もなぞった。職人の目が、値踏みから、別のものに変わっていた。
オルグは、木炭の線を、もう一度、じっと見た。指先が、無意識に、空中で反りをなぞっている。
「……面白い。何年ぶりだかな、こういう注文は」
「時間は、かかるか」
「一月や二月じゃきかん。鉄から選ぶ。反りは、一度じゃ出ない。何べんも焼き直す」
「構わない」
「金も、相応にかかるぞ」
「働いて返す」
「働いてって、お前、鍛冶ができるのか」
「できない。だが、力仕事なら」
「……ふん。力仕事なら、いくらでもある。ふいごも踏めるし、鉄も運べる、ってか」
「できる」
オルグは、鼻で笑った。馬鹿にした笑いではなかった。
「気に入った。……いいだろう。打ってやる。だが、催促はするな。急かされてできる仕事じゃない」
オルグは立ち上がり、炉の火を、鉄箸で軽く突いた。火の粉が、二つ三つ、舞い上がった。
「鉄も、まだ決めてねえ。今の街の相場だと、いい玉鋼は出回らねえからな。……ま、心当たりはある」
「分かった」
「明日から来い。朝は早い。遅れたら、その日は帰す」
「分かった」
「あと、一つだけ言っとく」
オルグは、木炭の線を、布で軽く撫でて消した。頭には、もう焼き付いているとでも言うように。
「打てても、使いこなせるかは、また別の話だ。反りのある刃は、真っ直ぐな剣とは、体の使い方からして違う。……お前の体が、それに追いつくかどうかは、お前次第だ」
「分かってる」
体の使い方なら、覚えている。忘れてなどいない。ただ、この体がそれに追いつくまでに、どれだけかかるかは、まだ、分からなかった。
工房を出る頃には、日が傾いていた。鉄を打つ音が、また、戸の向こうから聞こえ始めた。
ジンは、その音を、しばらく聞いていた。
いつできあがるかは、分からない。それでいい。急ぐ理由は、どこにもなかった。
帰り道、ふと、ウルヴァルトという名を、口の中だけで、もう一度なぞってみた。誰なのかは、分からない。ただ、その名の響きが、頭の奥の、古い記憶のどこかに、ほんの少しだけ、引っかかった気がした。
気のせいだろう。そう思うことにした。今は、確かめる術もない。確かめたところで、何が変わるわけでもなかった。
夕焼けの道を、宿へ向かって歩いた。明日から、鍛冶の下働きが加わる。慣れない仕事が増えるだけのことだ。それだけの話として、頭の隅に仕舞った。




