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第十二話 柵と鳴子


寄り合いは、大菩提樹の下で開かれた。


芽吹いたばかりの若葉の下に、村の大人がほとんど集まっていた。柵を直したい、と言い出した男たちが村長に話を通し、村長が皆を呼んだ。植え付け前の、村で一番忙しくなる手前の時期だった。


「——というわけでよ。直すなら、皆で一気にやっちまいてえんだ」


粉屋のおじさんが口火を切り、男たちがうなずく。ジンは輪の後ろのほうで、黙って聞いていた。頼まれたのは「どこから直すか」の目利きであって、音頭取りではない。音頭は、村の男たちが取るべきだった。そのほうが、続く。


「——反対だね」


しわがれた声が、輪の前のほうから上がった。


村で一番の年寄り、東の畑の古老だった。杖に両手を重ねて、若葉を見上げたまま言う。


「柵なんぞ、わしの親父の代からあのまんまだ。あのまんまで、何十年もやってきた。それをいきなり、杭だ鳴子だと……縁起でもねえ」


「けどよ、爺様。去年の夜のことも、山羊の囲いのゴブリンのことも——」


「だからよ」


古老は、杖の先で、とん、と地面を突いた。


「戦支度なんぞ始めたらな、来るもんも来ちまうんだ。備えるってのは、招くってことだ。昔からそう言うんだよ。それによ、今から植え付けだぞ。男手を柵なんぞに取られて、秋の麦が減ったら、誰が腹あ膨らませてくれるんだ」


輪が、静かになった。


年寄りの縁起話、と笑うのは簡単だった。だが後半は、笑えない話だった。この村の暮らしは、ぎりぎりで回っている。柵に注ぐ十日は、畑から抜く十日だ。古老は変化を嫌っているだけではない。村の帳尻を、誰よりも長く見てきた目で言っている。


視線が、ちらほらとジンに集まり始めた。


言い返すなら、言えることはあった。備えは招かない。むしろ逆だ。奪いにくい村から、敵は離れていく——熊の一件が、それを証明している。だが、とジンは口を開かなかった。


十四の子供が古老を言い負かして通した柵は、古老のひがみと一緒に立つことになる。それでは、続かない。


「……無理には、と俺も思います」


ジンが言ったのはそれだけで、輪は、収まりのつかないまま、いったんほどけかけた。



「待ってくれや」


粉屋のおじさんだった。


おじさんは輪の真ん中に進み出ると、上着の襟をぐいと開いた。肩から胸へ、去年の夜の傷跡が、春の光の下に晒された。


「爺様。俺ぁ、難しい理屈は分からねえ。縁起の話も、分からねえ。ただよ」


おじさんは、動くようになったばかりの肩を、ゆっくり回した。


「この肩はな、雨の前んなると、まだ言うことを聞かねえんだ。今度また来た時によ、俺はこの肩で、女房と倅の前に立てるかどうか、分からねえ。……だったらよ、俺の代わりに柵に立っててもらいてえんだ。それだけの話よ」


誰も、何も言わなかった。


去年のあの夜、輪の中の全員が、それぞれの場所で震えていた。農具を握って立った者も、子供を抱えて走った者も、家の中で戸を押さえていた者も。粉屋の傷跡は、その夜の名残の中で、一番目に見える形をしているだけだった。見えない名残なら、誰の胸にもある。


古老は長いこと、粉屋の傷跡を見ていた。それから若葉を見上げ、ふう、と長い息を吐いた。


「……植え付けに、障りを出すな。手間あ、朝晩の手すきの時だけだ。それならまあ……好きにせえ」


「爺様!」


「勘違いすんな、認めたんじゃねえ。……止める理屈が、なくなっただけだ」


古老は杖を突いて立ち上がり、帰りかけて、一度だけ足を止めた。振り向かずに、誰にともなく言った。


「……鳴子ってのは、あれか。鳴ったら、わしらでも分かるんか」


「はい」と、ジンは答えた。「誰の耳にも、分かる音にします」


「ふん」


それだけ言って、古老は帰っていった。



作業は、朝晩の手すきの時間に、少しずつ進んだ。


まず、柵の三か所。あの絵図に印のあった、一番弱い場所からだ。理由は誰にも言わず、ジンはただ「ここと、ここと、ここから」とだけ示した。腐った杭を抜き、新しい杭を打つ。打ち方だけ、一つ注文をつけた。


「杭は、互い違いに。まっすぐ並べるより、押しに強くなります」


「へえ……なんでまた」


「昔、旅の人に聞きました」


嘘は、するりと出た。出てから、少しだけ苦かった。城の塀も柵も、まっすぐより折れを入れたほうが破られにくい。何十年も体で覚えた理屈を、旅の人の受け売りにする。だが「前世の戦で覚えました」と言うわけにもいかない。苦い分は、飲み込んだ。


鳴子は、子供らの仕事になった。


割った板と空き瓶を細縄に通し、柵の内側にぐるりと張り渡す。触れれば、からんからんと乾いた音が鳴る。子供らは面白がって競うように作り、張り終わった端から自分で触って鳴らし、大人に叱られた。縄の張り方と結びは、猟師が受け持った。緩まず、すぐ直せる、猟の結びだ。


女たちは、縄を綯った。ミーナも、エマも、井戸端の顔ぶれがそのまま、夕方の手すきに縄を綯う。誰かが唄い出し、縄と一緒に、笑い声が綯われていく。


戦支度の暗さは、どこにもなかった。


それが、ジンには何よりありがたかった。怯えて作る柵は、怯えごと村に残る。笑いながら作る柵は、当たり前の風景になる。当たり前になったものは——続く。


十日ほど経った夜、鳴子が初めて鳴った。


からん、と乾いた音に、近くの家から男たちが飛び出し、ジンも駆けつけた。灯りに浮かんだのは、縄に足を引っかけて目を回している、太った狐が一匹。


大笑いになった。「初手柄が狐かよ」「食っちまうか」と男たちは腹を抱え、狐は縄を抜けて一目散に逃げていった。


笑いの輪の中で、ジンは一人、静かに確かめていた。


音は、家の中まで届いた。男たちが出てくるまで、呼吸の十も要らなかった。鳴ってから人が立つまでの、この短さ。それがこの村の、新しい強さだった。


「鳴った、ということが大事です」


ジンが真顔で言うと、男たちはまたひとしきり笑って、それでも誰も、鳴子を外せとは言わなかった。


やることは、まだ残っていた。村への入り口は多すぎるし、逃げ道は決めてすらいない。井戸の水と蓄えの置き場も、いずれ考えたい。だが、それは今ではない。柵と鳴子が村の風景になって、誰もそれを珍しがらなくなった頃——次の一手は、その時でいい。段取りの仕事は、日和を選べるのが強みだ。人の気持ちにも、日和がある。



植え付けが始まる頃には、柵の三か所は打ち直され、鳴子の縄は村を一回りしていた。


夕方、最後の杭を打つ日だった。男たちが交代で掛矢を振るい、子供らが縄を運び、女たちが水と麦湯を配って回る。大菩提樹の若葉が、作業の輪の上で揺れていた。


ジンは杭の根元を固めながら、ふと、視線を感じて顔を上げた。


エマだった。


水の桶を抱えたまま、輪の少し外に立って、じっとこちらを見ていた。


配り忘れではない。話しかけたいのでもない。ただ、見ている。大人たちに交じって杭の位置を示し、縄の張りを確かめ、年寄りに頭を下げる幼馴染を——何かを、確かめるような目で。


去年、礼を言いながら昔の笑い方を探していた、あの目とは、少し違った。探すのをやめて、代わりに、腹を決めかけている目だった。


目が合った。


エマは、逸らさなかった。


桶を抱え直し、何事もなかったように水を配り始めたが、その横顔が何を考えているのか、ジンには読めなかった。人の癖なら初見で読める目が、幼馴染の横顔ひとつ、読めなかった。


日が落ちて、最後の杭が入った。


村をぐるりと囲う柵と鳴子の内側で、いつも通りの夕飯の煙が、家々から立ちのぼり始めていた。

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