陽暦1490年8月〜アパンへの旅⑧
「鷺森家の女性は、代々、武に愛されておる。初代ヤーマス王の仲間にも鷺森シズルという女傑がおるでな。ワシは武者修行時代にここを訪れ、マキエと知り合った」
遠い目のセキサイ。
墓から母屋までの帰り道。
「で、負けたんだ?」
セキサイが負けるなど全く信じがたいリョウ。
「そうじゃ。見たことのない程凄まじい槍さばきじゃった……その時は世間の広さに打ちのめされ、悔しさすら湧かんかったわい。即座に弟子入りじゃ」
なぜだか嬉しそうに語るセキサイ。
「それで?」
「2年ここに逗まり、鷺森流を修めた頃、マキエと結婚した、という訳じゃ。それでもまだマキエの槍には届かなかったがのぅ」
「今ならどう?」
単純な好奇心で尋ねるリョウ。
「フフフ、気になるか」
「それ、は、アタシも気になります!」
歩きながらアヤメが会話に交ざる。
「……フム。丁度良い。リョウ、アヤメさんや、お主ら手合わせしてみんか?」
イタズラっぽく片目を瞑って顎を触るセキサイ。
リョウとアヤメはお互いに顔を見合わせる。
初対面だが、お互い最初から身のこなしが気になる存在だった。
「ケガしたら治したげるわ」
ヤナが間に入ってけしかける。
アヤメを初めて見たときから、強く輝いている薄紫のシマーが気になっていた。
同世代であれほどの輝きを放つシマーの持ち主はほぼいない。
立ち姿に一部の隙もなく、基礎から鍛えられているのが見て取れる。
「互いに本気を出して立ち会ってみよ。先ほどの問いの答え合わせになるやもしれん」
セキサイは顎に手を当てて、片目を瞑りながら笑う。
「母上……本気出していいの?」
アヤメの目に気遣いの色が見える。
「父上から鍛えられたリョウちゃんなら、きっと大丈夫よ」
「どうしてこうなった」
リョウはまだ若干戸惑っている。
庭で穂先に柔らかいカバーをつけた模擬槍を立てている。
「……ホントに本気出してよ。でないと怪我するわよ」
アヤメは臨戦体制になり、下段構えになる。
周りの空気が揺らぎ始める。
リョウはそれを見てスイッチが入った。
背筋がゾクっとなる。
“気”を操る段階の相手だ。
呼応するように自らのシマーを全身に巡らせ、中段に構えた。
脳を戦闘モードに切り替える。
「やはりのぅ……血は争えんわい」
セキサイはアヤメを見てニヤリとする。
「親の贔屓目抜きに、歴代鷺森家でも上澄みの遣い手です。当代では負け無し」
セイは至って冷静に話す。
セキサイは頷く。
「それでは、始めぃ」
互いに5メートルほど離れた地点にいる。
セキサイの掛け声と共に、アヤメは近づき始める。
リョウの周りを少しずつ円を描くように、微妙に緩急をつけながら移動してくる。
アヤメの移動する速度と、見る者が予想しているアヤメの現在地がコンマ何秒かズレながら、点々と残像が残るような歩法。
「影歩をこれほど自然にこなすとは」
セキサイも少し驚く。
リョウも驚いている。
“あれすげぇ難しいんだよなぁ”
リョウは、それに対応すべく、過集中のゾーン状態で迎え撃つ姿勢だ。
しかし、アヤメの移動中に発生する残像が脳を惑わせる。
”イヤな感じする。何かくる“
アヤメが間合いに入った。
“気”でブーストした身体能力で、槍による超速の足払いをかけて来た。
リョウはそれを足を上げて躱す。
しかし、それは一つ前の残像が放つ攻撃だった。
次の瞬間には、足を払う斬撃の軌道が真上に跳ね上がっていた。
「おおっ!」
セキサイが声を上げる。
攻撃の急激な軌道変化。
これこそ秘伝”稲妻“としてリョウに伝えた技と同じ術理。
その瞬間、側で見ていたジンは、ジンライの角を叩き切ったリョウの剣技を思い出した。
ヤナも話に聞いたことがあったが、見るのは初めてで驚いていた。
リョウは、アヤメの技の軌道変化を見た瞬間から、全霊で仰け反って後ろに逃げた。
穂先がリョウの脇腹を掠めて空を切る。
”避けられた!?“
アヤメは衝撃を受けていた。
これまでこの奥義の連携は初見で躱されたことが一度もなかった。
“今しかねぇ!”
リョウは空を切った槍の穂先を返される前に、前に突進した。
リョウだけのスローモーションの世界。
瞬間移動とも思えるような踏み込みだが、無駄な力は入っていない。
ぬるっと近付いていくような動き。
”近すぎる!”
アヤメは咄嗟に槍の柄を下からカチあげて来たが、そこはリョウの想定通りだった。
リョウのシマーが左腕に収束し、腕全体が濃い青色の光に包まれた。
セキサイだけは、それが皆伝奥義”無間“の一部発露だと分かった。
アヤメの突き上げを遥かに凌駕する速度でリョウの左腕は動き、槍の柄の部分を外側に払った。
信じられない力で槍を逸らされて無防備なアヤメに、リョウは肩からぶつかっていった。
アヤメは身を捩るも間に合わず、リョウの体当たりをまともに食らって吹っ飛ばされてしまった。
地面に激突寸前に受け身を取り、転がりながら起き上がった。
横隔膜に強い打撃を受けて、呼吸が整わない。
気づくとリョウはすぐそばに追撃の体勢でいた。
「それまでじゃ」
セキサイの声で一同の緊張が解ける。
アヤメは立ち上がり何か言いたげだった。
しかし言葉が出て来ず、大粒の涙が溢れてきた。
しばらく嗚咽を殺しながら袖で涙を拭っていたが、走ってどこかに行ってしまった。
リョウはそんなアヤメの後ろ姿を見ながら
"天才っているんだな……”
と思っていた。
自分が勝てたのは、セキサイとの鍛錬の日々の積み重ねがあったから、それ以外に無い。
自分には影歩と"稲妻"を同時に出せる気がしない。
「リョウちゃん、この若さでここまで……父上、一体どんな育て方をしたのです?」
セイはリョウの強さに戸惑っていた。
”ゴドウ藩の至宝“とまで称えられているアヤメを、傍目では寄せ付けない強さに思える。
「なに、紙一重の勝負よ。才能で言えばアヤメさんの方がよっぽど天に愛されておる」
これはセキサイの本心だ。
影歩はリョウにも教えたが、リョウはまだものに出来ていない。
「なにが勝負の差を生んだのです?」
セイは指導者としてそこは知らなければいけないところだ。
「本人の弛まぬ努力はもちろんじゃが、特に友との切磋琢磨じゃな」
セキサイは、リョウを囲んでいるジンとヤナに目を向ける。
「そうでしたか……」
「リョウを知って、アヤメさんは変わるぞぃ」
「そう期待します」
夜、一行は客間で歓待を受け、これでもかと出てくるアパン料理に舌鼓を打った。
好物が多いのに口数の少ないアヤメ。
大きな檜の風呂で汗を流してもはや寝るばかり、といった時間になる。
リョウは、昼間のアヤメの動きのキレが目に焼き付いて離れず、体を動かしたくて堪らなくなっていた。
運動できる服装に着替え、外に出ようとすると、ジン、ヤナも着替えて玄関にいた。
リョウたちは顔を見合わせて苦笑し、黙って裏口から外に走りに行った。
庭では、アヤメが槍を振るっていた。
突き。
払い。
薙ぐ。
汗が飛び散る。
槍の持ち手が血に染まっている。
昼間のリョウの動きを追う。
"もっと早く"
"もっと鋭く"
"もっと先へ"
呼吸が乱れ、肺が焼ける。
「……フフ」
縁側に腰掛けたセキサイが、静かに笑う。
月明かりの庭で。
アヤメは、ただひたすら槍を振っている。
一切、止まらない。
「マキエ、お主にそっくりじゃ」
あの女もまた。
敗北した夜ほど、狂ったように槍を振っていた。
それからしばらくして、リョウたち3人が汗だくで帰ってきた。
今度は表の通用口をくぐる。
庭の隅で、アヤメが槍の基本動作を繰り返していた。
何時間やっているのか、ドロドロに疲れているように見えるが、静かな迫力の中、手を止めない。
セキサイが縁側で見守っている。
リョウはそれを見て沸々と闘志が湧いてくる。
"あの人はまだまだ強くなる"
リョウたちは、アヤメに声をかけることなく、静かに母屋に入って行った。
「……マキエ」
セキサイは空を見上げる。
「お主の血は、まだ先へ行くぞ」




