陽暦1491年5月〜オーロ帝国行②
“デカい……ハクヤさんの倍くらいあるな……そして美しい“
ジンは初めて見るオーロタイガーに畏れつつも見惚れていた。
ドルガ山脈のオーロ帝国側にしか棲息していない虎型の強力なモンスター。
ウォーベアと同じく、一般的には個人で対処するようなモンスターでは無い。
「ゴォアァァァ……!」
オーロタイガーは肩に刺さった矢に怒りつつ、威嚇してくる。
彼我の距離は約20メートル。
”咄嗟だったから準備不足だったな。反省“
ジンは矢を新たに取り出すと、胸元から小瓶を取り出し、矢尻の先をその中に突っ込んだ。
よく見ると、その矢尻には細かな毛がびっしり埋め込んである。
「さて、第二ラウンドだよ」
ジンはそう言いつつ、弓を構えた。
目の前の巨虎を見据えており、その姿勢は大地に根が生えたかのように微動だにしない。
その姿は人間如きとは思えない威圧感を放っていた。
慎重になる虎。
「ゴッフ……」
自慢の毛並みを傷付けられ、退くという選択肢を忘れたかのよう。
じりじりと近寄ってくるが、一歩ごとにわざとズゥンという音を立ててくる。
「やっぱり退かないか……」
いつでも矢を放てるように引き絞っている。
10メートルまで近寄る虎。
一足の間合いだ。
虎が少し身を屈め、眼光が赤黒く揺らめいた。
その時、ジンの足が雪に取られ、姿勢が崩れたーーフリをした。
同時にオーロタイガーの凄まじい速さの跳躍。
2歩で最速に達し、ジン目掛けて爪を伸ばし、低く飛びかかる。
その勢いだけで突風が巻き起こり、周囲の雪が吹き散らされる。
ジンは巨大な白虎の動きを見ていた。
崩れたかに見えた姿勢から矢を放つ、と同時に横っ跳びして転がり、素早く起き上がる。
猛虎の爪の勢いが衝撃波となって、雪の上を長く切り裂いた。
「ゴメンね、動物はフェイントかけないよね」
二射目の矢は正面から飛びかかってきた巨虎の胸元に突き刺さっていた。
「ガアァァァァ!……ガハッ、ガァァ………」
徐々に動きが鈍くなるオーロ虎。
「さっきの強力な麻痺毒なんだ」
弱っていく虎を遠巻きに冷静に見据えるジン。
オーロ虎でも1日は動けない麻痺毒。
ジンが幼い頃から趣味で集めていた各種モンスター毒を調合して作り上げた希少な特別品。
売れば破格の値がつくだろうが、本人に売る気は全くない。
“このまま放置しても問題は無い……が、他のモンスターに食われちゃうな……”
ジンはオーロタイガーの美しい毛並みを見ているうちに、目の色が変わってくる。
“狩人の本能ってヤツだろうか……”
「苦しまないようにしてあげるね」
ジンはそう言いつつ、3本目の矢を引き絞り、ビタッと止まった姿勢で放った。
独特な手元を捻る動き。
矢は猛烈な横回転の状態で飛んでいき、オーロタイガーの額に命中した。
そのまま分厚く硬い頭蓋骨に深く突き刺さり、巨虎はその一撃で絶命した。
「玄武通……」
幼き日、父バンが見せた弓技の奥義の一。
ジンは腰に下げたナイフを取り出した。
「遅いわね……」
朝8時、オストク市の入口の手前1キロの山道。
無事に国境を越えたもののカルラは焦れていた。
ジンとの合流予定時刻を3時間も過ぎている。
「何かあったと見るべきか」
グラハムも心配していた。
その時、崖を降りてくる大荷物の一見旅人。
背嚢の上にクルクル巻いた大きな敷物のようなもの、簡易的に組んだソリの上には肉の塊。
ジンだった。
「……遅い。何それ?何で荷物増えてるの?」
カルラが訝しげに尋ねる。
「いやぁ、ちょっと」
バツが悪そうなジン。
「む!?それは……まさかオーロタイガーの毛皮か?」
グラハムが敷物の模様に気付いた。
「は?」
カルラが信じられないものを見る目でジンを見る。
「ま、まぁ気にしないでください。さあ行きましょう!」
「……なんというヤツだ。一人で狩れるようなモンスターじゃないぞ……」
3人はオストク市に入った。
すでに国境を越えてしまっているので警備は緩い。
安宿に部屋を取る。
今回の目当ては、ヤナの父フリードの弟ニコルだ。
フリードの実家があるオストク市でパネライ商会という商社を経営している地元の名士。
大通りに面した2階建てのパネライ商会に着いた。
受付で面会を願い出ると、すぐに会えるとのことだった。
「手紙は届いている筈だけど、うまく了承してくれるかな」
初対面の相手は少し苦手なジン。
「大丈夫よ。大して迷惑かける訳じゃないから」
カルラは冷静だ。
「こんにちは」
グラハムが代表室のドアを開け、挨拶をする。
「こんにちは、ようこそオストクへ。私がパネライ商会の代表ニコルです。中にどうぞ。キミは席をはずしたまえ」
ニコルは40歳くらい、俳優のような男前で上等なスーツ姿。
ヤナの父フリードにかなり似た顔立ちだ。
美人秘書を部屋から出して、3人に椅子をすすめる。
「私はヤーマス王国騎士、グラハム・ドルゴスです。よろしくお願いします」
手を差し出すグラハム。
「こちらこそよろしくお願いします」
力強く握り返すニコル。
「同じく、ジンです。フリードさんの娘のヤナさんとは幼馴染です」
「キミが……ふぅん」
値踏みするように見るニコル。
「私も同じくヤーマスの騎士、カルラ・デ・ブランと申します」
「はい。よろしくね」
軽く挨拶するニコル。
”この人、見た目で判断するタイプね“
カルラはニコルの人間性を分析し始めていた。
「ジンくん、兄は元気かな?もう10年以上会っていないが。変わりないかね」
「はい。フリードさんは変わりません。いつもすぐ泣きます」
「兄はほんと人情派だからな……商売人には向いていないと思ってたけどね。家を捨てて山奥に移り住むと言い出した時は家族みんなで反対したよ……。おかげで私がこのパネライ商会の代表になっている訳だが。幸せそうならそれは良かった」
「奥さんのマギーさんと一緒に誰より幸せそうですよ。儲けはいつも度外視で、村人全員から心配されています」
「フフフ。まあ、マギーさんを見つけた時点で全て投げ売った、とは分かる話だ」
遠い目で昔を思い出しているニコル。
雑談に花を咲かせるジンとニコル。
「ヤナは今、近衛騎士見習い……か、出世したなぁ」
「とても優秀な騎士です。将来はヤーマスを背負って立つほどに」
ジンの力強い言葉。
うなずくカルラ。
「なんと、そこまで」
「さて、手紙に書けないような折り入ったお願いとは、一体何でしょう?」
テーブルに肘を置いて、3人に顔を近づけるニコル。
「実はこれをここに設置して頂きたく」
カバンからラッパの様な口の付いた箱を取り出すジン。
「これは!まさか……風話器……」
小声になるニコル。
ヤーマスの軍事機密の塊とも言える貴重な魔道具。
「オーロ軍が国境を越えようとするのを見掛けた時、これで教えて頂ければ、とお願いに参ったのです」
グラハムが真剣な眼差しでニコルに言う。
ジンもカルラも一斉にニコルの目を見る。
「もちろん月額で報酬をお支払いしますし、連絡の都度、さらに別に報酬を支払います。契約は1年毎で」
「……幾らです?」
「月額金貨2枚。有用な情報連絡の都度、金貨1枚」
「……破格な報酬のように聞こえます……がそれは私がヤーマス王国のスパイになることを意味します。ご存知の通り、オーロ帝国の法律はスパイに厳しい。私にとってはメリットは少なく、リスクの方が大きいのです」
眉を寄せるニコル。
「私たちヤーマスの王都騎士団、さらに言えばその軍略科は、パネライ商会と今後とも友好な関係を築きたいと考えています。特に、近く起こるであろう内戦の際には、いろいろと物入りになりますから」
カルラが口を開いた。
「ほう……」
ニコルが目を見開いてカルラを見る。
目線を下げ、思案している。
再度口を開くニコル。
「では、軍略科では誰がヤーマス王位に近いと考えますか?」
カルラはジンと目を合わせる。
うなずくジン。
「誰が優位か、それはまだ分かりません。しかし、これは他言してもらうと困るのですが、カイゼル公爵の動き次第です」
「なんと!カイゼル公は動きますか」
心底驚いたニコル。
ヤーマス騎士が非公式にでもそのような発言をすることはこれまではあり得なかった。
”ここから近いテリス・イースト州のカイゼル公爵が参戦する情報を事前に得ているならば、我が商会の商機は無数にあるぞ……!“
目の色が変わるニコル。
「……ただ、それでも、私にはリスクの方が大きいように思えます……」
ニコルは絞り出すように言った。
”これは、演技。さっき心が動いてた。あとひと押し。この人は派手さと目先の欲に勝てないタイプ”
カルラは直感していた。
「……ジン、あなた、アレを取ってきて。すぐに」
カルラがいきなりジンに言う。
「アレって……まさかアレ?えぇ……」
ジンは思い当たってすごく残念そうな表情になった。
「ちょっとジンが席を外します。すぐ戻るのでご容赦ください」
グラハムは取り敢えずカルラの発言に乗ってみた。
「はぁ……?」
「お待たせしました!」
ジンは丸めた敷物を背負って持ってきた。
「まさか!これは!オーロタイガーの冬毛の毛皮……!なんと程度の良い……傷がほとんどないぞ……!」
ニコルは手に取って目を輝かせていた。
「先ほどの話を受けて頂ければ、昨日、このジンが!自ら狩って下処理したばかりのこの逸品も差し上げます」
カルラが手振りを加えて大袈裟にアピールする。
「な!この毛皮の価値は金貨100枚、いやそれ以上!皇帝陛下に献上するような品なのですよ!それを昨日!ジンくんが一人で……!……そんな……」
ぐうの音も出なくなったニコル。
ヤーマス騎士団の実力を思い知らされた気分だった。
“え、そんなするの?”
内心でジンに対して申し訳ない気持ちになるカルラ。
ニコルは項垂れて言った。
「……謹んでお受け致しましょう」




