102話 行方不明者たちの声 2《Quest:Missing Person》
月光の下、さざなみを打つ。
虫たちは陰りほのめく草原に潜みながら夜を奏でる。
白く冷たい光が身体を押すように背を照らす。長く伸びた影が急くように俺たちの行く手を誘う。
たとえ闇に恐れを抱いても足を止める道理はなかった。
胸を急かす焦燥感をガソリンにし、ただ前へ。前へ向かって走りつづける。
「がおっ。見えた」
先陣を切るトルパルメの眼光が細まった。
彼女の迅速さといったらまさに夜を駆ける獣の如し。
白く艶やかな足が月光を反射するたび、彼女は飛ぶように地を刈る。
俺なんかの足ではとてもではないが追いつける気がしない。
「(足が速すぎるだろ!? レーシャちゃんの瞬発力もすごいけど、トルパルメのは運動能力そのものが常人の比じゃない!?)」
ここ十数分、全力で走っている。
なのにトルパルメは微塵も息を乱していなかった。
こちらは肺が冷えて仕方がない。種族的能力の差を思い知らされる。
ただ俺はマシだ。だってトルパルメをギリギリ見失わずついていけていた。
「ぜぇ、ぜぇ、っ! た、たのむぅぅ~……もうちょっとひゅっくりはしってくれぇぇ!」
あれが大ギルドの王冠を手にするものの姿か。
サーファは全身を汗でずぶ濡れにしながら息せき切っている。
もはや歩いていた。きっと彼にとっては全力だろう。しかしその速度は鈍足というより牛歩だった。
あまりのみすぼらしい姿に俺でさえ少し同情してしまう。
「……いちおう冒険者なんだからもっと体力つけろよ」
「う、うるひゃ~い! 僕は頭脳担当で脳筋じゃないんだぁ! しかもオマエらと違って高貴なんらぞぉ!」
ミッションを前にしてもはやふらふらだった。
立っていることが不思議なくらい足どりも覚束ない。
「ぜっ、かひゅっ、ぶはぁっ! ぶふっ、がはっ、うぐぅっ!」
「(とてもではないが高貴さの欠片も見当たらねぇ。ドラカシアよりコイツのほうが寿命短いだろ)」
このいまにも朽ち果てそうな男は、いったん置いておこう。
50m30秒くらいの速度に付き合ってられん。目的地は知っているんだしきっとそのうち追いつくはず。
「あ、こらぁ! 僕を置いていくんじゃにゃぁぁ~い!」
俺は無視して先を急ぐ。
トルパルメはすでに丘1つを登り終えて姿を消していた。
俺もまた迅速に坂を登り終えてから丘上より駆け下りる。
すると草原の裾、森の直前辺りで彼女と合流を果たす。
「……ふぅ。走れる距離とはいえ全力疾走はさすがにこたえるな」
「がお? あんがいちゃんとついてこられてたんだな? てっきり途中でへばってると思ってたが?」
「それはオマエが速すぎるんだって……」
さすがにひと呼吸で息切れを解除できそうになかった。
なのにトルパルメときたら汗ひとつ浮かべていない。
俺は肺を膨らませてから深く息を吐いた。
「それで、現況はどうだ? 昼間と変わりないか?」
わずかに答えが遅れた。
というより彼女はしきりに鼻をすんすんと鳴らしている。
「ここ、本当に昼間きた場所かって疑いたくなるほど様子がヘンだ。匂いも、気配も、空気さえまったくの別モンだぞ」
「俺の目にはよるの森にしか見えないけど……」
佇む木立を前にして、俺は少し後悔を覚えていた。
木々が影を重ねるその姿は、夜をいっそう濃くした常闇のよう。
風が吹くたび葉がかすれ、ざわめき、まるで呼吸をしているみたいな錯覚さえ覚えさせられる。
「(さっき1人でも行くとか息巻いちゃったけど、夜の森って思った以上に怖いな)」
そよ風が首の後ろ辺りをくすぐった。
それだけで、ぶるり。寒気を感じてすくんでしまう。
「そういやオマエさっき……」
「ごめんさっきはちょっと勢いで調子に乗りました! ここにきてちゃんと怖くなってます!」
責められる前に謝罪する。
これが初施術というヤツだ。
しかし返ってきた反応は予想と違っていた。
「そういうんじゃなくてさ。オマエってあんがい勇敢で仲間思いなんだなって。オレらでさえあそこでいますぐ助けに行こうだなんて言えなかったぞ」
トルパルメは意外そうに目を丸くぱちくりさせる。
「がおっ。ただのえっちなヤツかと思ってたけど、けっこういいヤツなんだな」
とんだ解釈違いだ。
今朝の一件を言うなら俺は被害者であり、感化されたに過ぎない。
だからトルパルメのほうが無知シチュで、えっちだ。
ただこれを伝えたらまた荒れる。確実に荒れるから俺は冷静に努める。
「まあ? 救える命があったら救いたいのは当然だろ?」
ここはキメどころだ。
少し声を低く、紳士になりきる。
するとトルパルメは「おぉ~」と、小さい手で可愛らしい拍を打つ。
「普通誰かのためにそこまで動けねーもんだけどな! 昼間の様子から見ても仲間に信頼されてるし人助けも辞さない! オレオマエのこと勘違いしてたっぽいぞ!」
うん、だから勘違いだって。
トルパルメは鋭利な牙を向くように可憐な笑みを浮かべる。
「よし! 今朝の一件のことは忘れてやろうじゃんか! だからドラカシアと行方不明者たちを助けるまでナエと協力してやるよ!」
「(なにをいけしゃあしゃあと完結してるんだコイツは。寝起きに攻めこんできたのはそっちだろうがい)」
とはいえ信頼が結べるのであればこちらとしても助かる。
オレの予想では、おそらくこの森は――
「(バグってる。確実に厄介なバグりかたをしている。天性の俺の勘がバグってるって告げている)」
バグってる。それに尽きた。
このヴェル=エグゾディア世界の物語は77777回ループした世界だ。
ループするうちに櫛の歯が欠けたようなバグりかたをしている。その最たる例が大ギルド長であり転生者のカールなのだから。
しばらく森と見つめ合っていると、ようやく。死人の足どりでサーファが合流してくる。
「も、もり……もり、もり……の、かぜ、っ!? ゲホッ、ガホッ、ブエッキシッ!?」
「喋るのは後にして少し休めよ。もはやくしゃみなのか息切れなのか狭間がわからんことになってるぞ」
いつもこうなのか。
俺は呆れきった横目でトルパルメに問いかけた。
「普段はこのモヤシにあるていど合わせてやってっかんな。今日は少し飛ばしすぎたかもしんねー」
「甘やかすんじゃありません。いずれ自分に返ってくるタイプの体力の無さだそこれは」
「でもこう見えてコイツはきっちり仕事するぜ! なんせコイツはオレら六冠のブレインだからな!」
脳中枢とは大きくでたものだ。
しかし俺も知っている。なにしろ俺自身が手がけたキャラクターだから。
しばらく待ってやると、サーファは汗だくになった額を袖で拭う。
「はぁっ、はぁっ! 森から吹き抜ける、風の向きが、オカシイ! 空の、雲……向き、逆になってるじゃないか!」
息も絶え絶えに彼は空を指差した。
言われて俺もサーファの指し示す先を眼で追う。
「雲の動き……だって?」
「空の雲はいま、西から東に動いているよな! それは丘を撫でる草の動きも同様だった! だけどこの森のなかから吹きだす風はそのどれともつかない!」
夜を泳ぐ雲は月のおかげで鮮明だった。
彼の言う通り雲の動きは穏やかに東の方角を向いている。
なのにいま俺たちを包む風の方角は90度近く違っていた。それはさなが森から生まれ息吹く風のよう。
「これは、森のなかで、気流を変えるほどの空洞か、空間が存在しているということだ! 昼間は感じなかった異変だが、いまこの森では現実とは異なる別空間の大気が対流しつづけている!」
はじめはと切れ途切れだった。
しかし徐々にではあるが回復しつつある。
「オマエ……あのずたぼろの状態でそこまでのことを考えていたのか?」
「と、当然じゃないか! 僕の脳は常に細心情報と緻密な状況を見定めているからね! 見ての通り走るのは得意ではないけど戦況を見極めるのが僕の特技さ!」
感嘆する思いだった。
通常であれば疲弊している状態で脳を回転させることは困難を極める。
しかしこの――汗だくだが――眉目秀麗の青年は、やはり特別な力を秘めている。
「がおっ。どーりでこの森が昼間とは違ったように見えたわけだ。この妙ちきりんな臭いと違和感のある葉すれの音は別の空間から生みだされてるんだな」
「キミの敏感なセンサーならこれくらい看破できるだろうさ。音も臭いも気温や湿度だって違ったら別の世界に見えてもオカシな話ではないからね」
さすがは六冠だった。
なんと頼りがいのある2にんだろう。しかもここまで俺はなにもしていない。というのに森の異変を突き止められつつある。
「つまり森のどこかに別の空間、亜空へと繋がる扉が開いてるってことだな」
「ゲートと呼称してもいいかもしれないね。あくまでまだ仮説ではあるがこの線で考えても抜かりはないはずさ」
「ヘンな臭いを追って風上を目指せば森で迷う心配もねーな! ここから先の道案内は鼻の効くオレに任せとけ!」
即断即決というテンポの良さから強者の貫禄があった。
なによりフットワークの軽さが尋常ではない。しかしそれを可能にしているのは、トルパルメとサーファのもつ異例な才能があるからこそだ。
「(負けていられないな。心配はなさそうだができるかぎりサポートに徹していこう)」
非凡な才に魅せられながら俺も気を引き締め直す。
踏ん切りつけるように森のなかへと誘われていく。
「さすがに暗いね。魔法で明かりを灯そうか?」
「オレは夜目が利くから気にすんな。でも2人のためにいちおう使ってもいいぜ」
「そのぶん敵から発見されやすくなるけれど、探知は可能かい?」
「鼻で魔物の接近を感知できるからそのときがきたら伝えてやる」
2人の淡々としたやりとりにさえ熟練者特有の匂いがしていた。
サーファの「《灯火》」という詠唱に合わせて視界が微かに広がる。
揺らめく橙色の炎が映しだすのは、現実的な光景だった。
夜の森はまるで闇で作られた壁のよう。1歩進むたび背後に闇が回りこむ。
まるで逃げ道を塞がれるような錯覚が脳裏をよぎる。
「足下すら見えにくい……これはさすがに生きている心地がしないな」
「闇は人の精神を蝕む根源と言ってもいい。しかしそれを恐れるのであれば生きているという証明にもなる」
六冠がこれほど頼りになるとは。
先ほどまでの死に顔はどこへやら。サーファは毅然とした態度で森を進んでいく。
喉を通る闇は冷たいのに温い。
地面は土だというのに粘り着く床みたいに足が重くなってくる。
名づけるのなら人外魔境といったところか。ここはさながら人が安易に踏み入ってはならない禁足地。
しばし枝を踏む足音と沈黙が俺たちを包みこんでいた。
だが、唐突に先頭のトルパルメの足が止まる。
「オカシイ。てっきりもっと魔物の巣窟になっているかと思ってたが……まったく気配を感じない」
「魔物、というより生命の気配そのものがないね」
ここにきてまさかの未接敵。
2人の声色から察するに、嬉しいというより奇異のほうが勝っていた。
これは俺にとっても予想外の展開である。
「(もしかして原初の魔胎系の化け物じゃない? 俺の想定では無限複製とかそういうバグかと思ってたんだが……)」
昼間のトロルみたいなのを無限に吐きだしているのなら現状と異なってしまう。
しかもこの森は明らかに俗世から切り離された空間だった。虫の声さえこの深い深い森のなかでは沈みこんでいる。
俺が考え耽っていると、不意に肩へ触れるものがあった。
「ずっと黙りこんでいるようだがなにか思うところがあるようだね。もしよかったら是非キミの見解を訊かせてほしい」
一瞬だけビクッとしてしまった。
隣には光源を手に載せたサーファが立っている。
俺はビビってるのを気どられぬよう。極めて冷静に真顔で首を縦にこくりと振った。
「転送系の可能性がある、かな。生物を誘いこんで逃がさない系か、もしくはヌシが住まう別空間への出入り口とか」
噛まずに言えた、俺って偉い。
するとサーファは「ほう」感心したような表情を浮かべる。
「この僕とほぼ同じ見解だね。ちなみに後者を思いついた理由も知りたいかな」
「ヌシが森のなかを闊歩した可能性がある。この森には虫や鳥の気配すらないのがあまりに不自然だ。だからそのヌシが命を狩り尽くしたか、攫ってゲートに戻ったからかもしれない」
「……これは驚いた。まさか理由まで同じとはねぇぇ……」
トルパルメが歩きだすと、俺たちもその背につづく。
どうやらいまの問答で情報のパーティ共有が済んでいたようだ。明らかに彼女が歩きはじめるタイミングが良すぎた。
「ちなみに僕は小さな命は狩り尽くし、価値ある命は攫ったと考えている」
「なんで?」俺の問いかけに応えたのはサーファのほうではない。
「そっちのほうが救いがあるからだろ。俺たちは死体を拾うんじゃなくて生存者を救うために前へ進むんだぜ」
トルパルメが振り返らずに、そう告げた。
小さく華奢な背中がいまは猛烈に頼れる存在に見えてしまう。
「じゃないと冒険しても楽しくないじゃないかぁぁ! ちゃんと救って感謝されるほうが美しいからねぇぇ!」
「冒険でめげるヤツはたいてい下向いて歩きやがる。でも目標が定かなら人ってのは前向いて歩けんだよ」
トルパルメの歩みにはじめから曇りはない。
サーファも薔薇を携えながら誇らしげに笑う。
あらためて思い知らされる。六冠という座に着く者たちの器量の大きさを。
だからこそ少しだけ嬉しい。だって俺の造りかけた物語のキャラがこんなに格好いいんだから。
それからどれほど歩いただろう。
足に蓄積された疲労だけがその距離を物語っていた。
細い清流にかかった丸太を渡る。
密度の濃い藪を剣で切り払う。
天蓋の隙間を縫う月光の網を潜る。
そしてようやく森が開け、木々に囲まれた円地が現れる。
「がおっ? ありゃなんだ?」
トルパルメが広場に踏み入ってから足を止めた。
彼女は1点を見つめながら目尻にシワを寄せる。
「とびら……と呼称しても許されるであろう物体が中央にそびえているね」
「しかも家じゃなくて壁のなかに扉が1枚だけあるな」
サーファと俺も首を横に寝かせながら、だいたい同じ感じだった。
広場の中央にぽつんと生えている。
壁と扉が。
森のなかで絶対にあってはならないもの。
それは明らかな異質さをこの場に呼び寄せていた。
※つづく
(次話との区切りなし)
最後までご覧いただきありがとうございました!!!




