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新蜘蛛の糸1(テザー製造編)  作者: ヒトシ・ナカモト
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7 髭の心配

「電線便? あはは、面白いわぁ」

 官邸地下の危機管理センターで、小野寺から蜘蛛作戦の概要説明を聞いていた片岡総理が笑い出した。

「神坂さん、いいセンスしてるわね。元気だったらきっと電線便で起業して社長になっていたんじゃない?」

 街のおばさんのように陽気にはしゃいでいる姿は、とても一国の総理大臣とは思えない。

 昨日、小野寺の執務室に現れた黒崎は、1部だけ作成した「蜘蛛作戦概要計画書」と題したレポートを持参し内容の説明をした。

 翌日、それをもって総理官邸を訪れた小野寺は、それを読んだ片岡総理の反応に驚いた。

 総理は、計画書について一通り小野寺の説明をうけた。

 通常こうした特殊作戦には、おおやけにトップがゴーサインを明示することはない。後で万が一この計画が外部に漏れた時の責任を及ばせない配慮なのである。

 だから総理の何らかの合図、首を縦に振るとか、笑顔でうなずくとかの動作を期待していた小野寺は完全に意表を突かれた。

「よくできているわ。でもね。この作戦に追加したいアイデアがあたしにあるのよ。この計画書を作成した本人を呼んできてちょうだい。あたしから直接、話をするわ」

 片岡総理はそういうと、インターホンを押して首席秘書官に、このあとのスケジュールはどうなってる?……ああ、そう……1時間後の政調会長との会合だけど、これをあとにずらしてくれる? 大丈夫よ、そんな大した内容じゃないから……ここに小野寺大臣との会合をいれるわ……そうね、場所は地下の危機管理センターを使うからね、いい?

 そう一方的に言うと、小野寺に向き直った。

「じゃあ、1時間後に危機管理センターにその人を連れてきてちょうだい」

 この人の大胆さにはいつも驚かされる、と思った。街のおばちゃん風なのだが、剃刀(かみそり)のように切れる頭脳と、常識を外れた大胆な行動こそ、片岡総理の持ち味なのだ。

「承知いたしました」

 小野寺は、大臣専用車に黒崎を同乗させて、再び官邸を訪れた。以前の会議と同じように直接地下駐車場に乗り入れ、ただちに「対策本部会議室」に入室する。会議室には大きな楕円形のテーブルと小ぶりな円卓の2種類があり、今回は円卓の方に座る。

 予定より10分ほど過ぎた時、片岡総理が手に「蜘蛛作戦概要計画書」をもって、一人で現れた。

「お待たせ」

 いつもの、おばちゃん風の挨拶である。

 二人は円卓の椅子から立ち上がり、総理の着席を合図に座りなおした。

 黒崎は何も表情を変えず、いつものように淡々としているが、その様子を総理がじっと見た。

「あなたね。この計画書をつくったのは?」

 黒崎は、総理の顔を見て、一言、はい、とだけ返事をした。

「よく今回の事態を見抜いているわ。「今世紀のマンハッタン計画」。まさにこの一言に凝縮されている……」

 ここで突然、総理が話を変えた。

「黒崎さん、あなたはかつて防衛省で諜報一筋、しかも現場に徹底してこだわったプロフェッショナルよね? あたしにはわかる。あなたは今、強烈に疑問をもっているでしょ?」

 この言葉に、小野寺はびっくりした。いったい総理は何をいいだすのか?

 黒崎は何も言わず、ただ総理を静かに見つめている。

「通常、このような作戦に国のトップが直接タッチすることは無い。それは自衛隊だけではなく戦前の陸軍の諜報部隊や中野学校でも教えられてきたことよね? だからあたしがこうやって、作戦を立案し実施しようとする現場指揮官に直接会うことなんて、前代未聞だって思っているでしょ? 違う?」

「その通りです」

 と静かに黒崎は答えた。いつも最低限のことしか言わない男だ。

「小野寺大臣からの説明で、あなたはもうこの作戦の結果がもたらす事態がどのように日本に影響するかは、わかっているはずよね?」

 黒崎は静かにうなずいた。

「これは日本国家の存亡をかけた戦いよ。

 もしこの技術が米国に渡れば、彼らは地球だけでなく宇宙への覇権を加速させていけるのに、日本はエクアドルから長距離のケーブルを引っ張って少しのおこぼれをあずかるだけになるのよ。

 これが中国に渡ったら、日本は間違いなく中国の属国となる。その時日本は新しい政権に代わる。完全な親中政権よ。するとどうなると思う?

 中国は次々と無理難題を吹っかけてくるわ。日米安保の解消、新たに中国との安保条約の締結、日本企業の中国への強制移転、さらには日本の宝である先端技術を奪いに来るでしょうね。

 半導体製造には欠かせないフォトレジストや時速300キロ走行に必要な新幹線の車輪の軸受け技術等々。これらの技術を差し出さなければ電気が止められる。否応なくね。つまり日本は経済的に中国の奴隷となるのよ……

 国がひっくり返るかもしれない危機の時に、総理は秘密作戦にタッチしないのが慣例? そんなのナンセンスよ。沢黒明監督の七人の侍という映画の中にこういうシーンがあったわ。首が無くなるのに髭(ひげ)の心配してどうするんだ、と」

 黒崎の表情から硬さが消え、少し微笑んだ感じがした。

「あなたが立案した作戦はよくできていると思う。でもね。あたしはそれに匹敵するぐらいの秘策を持っているわ。神坂さんはブレイクスルーのヒントの一つにビットコインを挙げていたわよね。これを利用するのよ。あなたのと合わせれば、もっと面白い作戦になるわ。聞きたい?」

 いたずらっぽい笑顔を見せて総理は言った。

 一通り総理が説明し終わると、そのアイデアに小野寺は驚嘆した。さすがに財務金融畑を長い間歩いてきただけはあると思った。

「どう? この作戦。あなたはどう思う?」

 と片岡が聞くと、

「総理にしておくには惜しい方ですね」

 黒崎が笑顔で答えた。


 神奈川県川崎市の扇島にある空き工場は、京東電力パワーグリッドの関連会社の敷地であり、経産省は早速交渉してその土地と建物を確保した。幸いなことに京東電力関連であるから、神坂の言った高性能送電線に見せかけることにも不自然さが無い。

 2か月後の9月には工場の稼働開始を目指して、工場の改造や機械の手配、国内の材料メーカーへの発注など、が超特急で進められている。

 一方、「蜘蛛作戦概要計画書」は、その後「蜘蛛作戦計画書」となって、かなりな加筆修正が行われ、7月中旬には片岡総理の承認を経て発動した。

 大幅な変更になったひとつに、カーボンスパイダーシルク製造に必要な原材料の確保がある。試験用のテザーに必要な量は国内の在庫で十分に賄えるとした経産省の技官の見通しで問題ないが、片岡総理から疑問が出た。

「あたし、思うんだけど、試験用テザーを作る原材料が国内で調達できるのは良かったけど、いずれは試験用ナローだけではなく、本格的な宇宙エレベーターのワイドテザーや送電用のナローテザーの分も必要になるわよね? そしてこちらの方がずっと必要量が多くなるはずよ。

 1年後にテザーが完成してお披露目したら、これに関わる原材料価格はまちがいなく暴騰するわよ。そんなおいしい話をウォール街のヘッジファンドが放っておくはずないもの。

 だから今のうちに本番に使う原材料も押さえてしまった方がいいわ。ヘッジファンドはすぐに気が付くでしょうけど、高性能送電線の効率化実験でごまかすことができる。そうしないと、将来とんでもなく吊り上がった価格で買わなくちゃいけないことになってしまうわよ」

 この分野は、巨大商社出身の小野寺の得意とするところである。彼女は出身の菱井物産を通じた日本の商社諜報網とでもいうべき、決して表に出ることのない強力なインテリジェンスをひそかに構築している。

 小野寺はさっそく動き始めた。7月下旬から菱井物産や日本国内の商社が、米中のサプライチェーンを巧妙に外しつつ、豪州、カナダ、チリ、ブラジル、欧州、東南アジアなどに発注を散らしていく。

 取引量がそう多くないため、海外の現地企業は特に疑問を持たないが、なんとなく最近、日本から妙に問い合わせが来るな、という程度の意識を持ち始める。こうした情報は、すぐに小野寺大臣にフィードバックされる。

 小野寺は、片岡総理に報告しつつ、あるタイミングを待っている。「鈴虫工作」の発動である。鈴虫工作の基本アイデアは片岡総理の発案によるもので、それを黒崎が綿密に具体化した。

 8月中旬ごろ。ウォール街のヘッジファンドが異変に気付き始めた。

 日本商社から、原料メーカーへの問い合わせが増加。長期供給枠の予約、価格より数量確保を優先する姿勢など。

 あるアナリストがメーカーやトレーダーとの会話から、最近、日本勢が炭素材料を集めてないか? という話題に発展するがまだ表面化はしていない。

 アメリカ大統領の「大統領日報」と同じ制度が、日本では昨年の国家情報省創立時点から開始された。「総理大臣日報」である。国家情報省『第一局』が毎日作成し、小野寺や担当官が毎朝、片岡の元に届ける。

 「蜘蛛作戦計画書」発動後は、もっぱら小野寺が自ら官邸に赴き、口頭で報告していた。状況を判断し「鈴虫工作」発動のタイミングは片岡が決めることになっている。

「まだ早いわ。今は釣り針の餌が魚(ヘッジファンド)の唇を撫でているところよ」

 9月上旬ごろ。最初の船積みが始まり、複数の供給会社から似た情報が出てくる。ヘッジファンドのデータ担当が調べると、それは菱井物産だけではない。別々の日本商社が、別々の国で関連しそうな特殊材料を買っている。触媒材料、高純度炭素源、特殊添加材など。しかも米中のサプライチェーンが妙に外れている。

 ……おかしい……

 S&Pのようなサービスでは商品、関税分類、港、数量、企業間取引関係などを横断して分析できる。炭素材料は前年比140パーセント。触媒は180パーセント。特殊材料は160パーセント。それぞれなら珍しくはないが、全部を同時に増やしているのは日本だけなのだ。しかも買っている商社が複数ある。さらに奇妙なのは、米国と中国の供給会社だけがほぼ入っていない。

 10月中旬ごろ。

 さすがにヘッジファンドは気づき始める。

「企業の設備投資じゃないな。誰かが日本全体の調達を設計している」

 そして人間による裏取りを始める。原料メーカーOB、CNT研究者、送電設備会社OB、商社経験者などを専門家ネットワーク経由で呼ぶ。実際にヘッジファンドはこうしたチャネル調査や専門家へのインタビューを使っている。

 質問は秘密そのものではなく、これらの材料を同時に大量消費する産業は何ですか? となる。

 半導体? 電池? 航空機? 水素?

 どれも完全には一致しない。ここに初めて名前がつく。

「UNKNOWN JAPAN CARBON PROJECT」

 この情報に接した片岡は、ただちに小野寺に命令を下した。

「鈴虫はGO」


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