6 神坂隆一
机に向かって考えていると、上着の内ポケットに入れているスマホが振動した。見てみると小野寺大臣からで、官房長官から許可が取れたので会いに行けという内容で場所が書いてあった。
官邸から近いホテルで、政府が保護を必要とした人物を一時的に保護する施設として使用している。表向きは普通のホテルとなんら変わりはない。ただし一般人が予約しようとしても常に満室になっている。
黒崎は再びビルを出て、四ツ谷駅から東京メトロ南北線に乗り、溜池山王駅で降りて、衆議院議員宿舎にほど近いそのホテルに入った。
カウンターで身分証と目的を話すと、官房長官から話が通っていたらしく、すぐにカウンター横の部屋から別の係員が来て、どうぞこちらへと案内してくれる。
神坂隆一は301号室にいて、名乗るとすぐに中に通してくれた。黒崎も手話は一通りできる。部屋の中は普通のホテルのシングルルームとは違い、簡素ではあるが広々としていた。神坂は車椅子で黒崎をソファにいざなった。
「少しお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
と黒崎が話すと、手話で返事が返ってくる。
(どうぞ。どのようなことでしょうか?)
神坂は、黒崎とローテーブルをはさんだ向かいに、車椅子に座って端然としている。坊主頭に白のカッターシャツの下はベージュのチノパン。35歳という年齢より老けて見える。
黒崎は、まず自分がもっとも疑問に思っている質問から始めた。
「神坂さん。大変ぶしつけな質問なのですが、あなたが発見されたカーボンスパイダーシルクは、現代世界に重大な影響を与えるでしょう。
この技術を高額で買いたいと思う人間や組織はたくさんあるはずです。あなたがその気になれば、これを売って巨額の富を得ることができたのではないですか? なぜそうしようとはしなかったのです?」
もしも神坂が、アメリカの巨大企業スマートX傘下のSNS『Q』にこの技術をポストして、それをイアン・マーカスが知ったとしたなら、彼はすぐ検証に入り、本物だとわかれば即日プライベートジェットに乗って来日する。
神坂と会い、スマートXに宇宙エレベーター新研究所を設立し、所長として神坂を招聘するとともに、その場で数百億円レベルの巨額な報酬を約束するだろう。おそらく中国政府も即座に、これ以上の提案を持って神坂に接触するに違いない。
……この誘惑に抗える人間などいるだろうか……?
質問に対して、神坂は微笑みながら手話で答えた。
(ご存じかどうか知りませんが、僕はALSを患っています。この病気は不治の病です。おそらく普通の人よりはるかに早く寿命が尽きるでしょう。そんな僕に、いくらお金があっても無意味ですから)
「ふむ。なるほど……」
(それと僕が思うに、カーボンスパイダーシルクを用いて、本当に宇宙エレベーターができるとしたなら、世界の強国たちの取り合いとなり、獲得した国が宇宙の覇権を確立することになるかもしれない。
でも、日本がこの技術の核心技術を握っている限り、強国の暴走を止めることができるでしょう。
本当にいいのは、日本が独自に宇宙エレベーターを作って、世界の国に公平に宇宙進出の機会を作ることでしょうが、それには法律や防衛の問題があるので日本政府に判断を委ねます)
「わかりました。あなたが言うことはもっともだと思います」
黒崎は、この技術の発見が神坂でなければ、もうとっくに世界の争奪戦が始まっていたかもしれないと思った。
「次の質問に移ります。自分はインテリジェンスの世界にいる者ですが、神坂さんの技術を幅狭のテザーが完成するまで、諸外国の諜報から守るカウンターインテリジェンスを担当します」
神坂が、軽くうなずく。
「この件で、経済産業省の技官ともう話をしましたか?」
(ええ、先ほどまで打ち合わせをしていました。経産省の方々は理解が早くて、次々に段取りを決めていったのには少し驚きました)
おそらく政府からよほど発破をかけられているのだろう。神坂の言葉で経産省の本気度がわかる。
「自分のところにも、経産省から連絡があるはずなのですが、よろしければその内容を先に聞かせていただいてもよろしいですか?」
(ええ、いいですよ。設置する機械の種類や台数とかが必要ですか?)
「いえ、そこまでの細かなところは今は結構です。工場の面積や設置場所、そこで従事する人数、それから必要な原材料が国内で確保できるのか、あるいは国外に発注をかけねばならないのか、とかです」
(わかりました。まず工場用地の敷地面積ですがざっと4ヘクタールぐらい。工場建物の面積は1.5ヘクタールぐらいでしょう。従業員数は250名から300名くらい。原材料の必要量については経産省の方は、そのくらいなら国内で間に合いそうだな、って言ってました。
それからその方は、工場の敷地は千曲大学の近くに新設するならそれだけでかなりな時間がかかってしまうから、既存の工業地帯の空き工場を探した方がよさそうだって言ってました)
「その技官は工場の場所のあたりはつけられそうか言ってましたか?」
(そのくらいの規模なら、ちょうど京浜工業地帯の扇島に空き工場があったはずだ。さっそくあたってみるって言ってました)
「なるほど……」
京浜工業地帯の扇島なら川崎の近くだ。あたりは文字通り工場だらけで、常に新設や増築、また移転などを繰り返しているので、既存の工場の改築なら目立たないだろうと、黒崎は思った。
「次の質問に移ります。真下教授が会議の席上、この技術が日本で開発され、現実にテスト製造を開始しようとしていることを、他国に鵜の毛ほども悟られてはなりません、としていることは重要なことです。ですが、数百人の工場労働者の口に戸は立てられません。少しずつ情報は漏れていくでしょう」
神坂がうなずく。
「そこでです。このテザーの製作を何かに置き換えるというか、何かに見せかけることはできませんか? つまり、真田紐みたいなものを作るのなら、そうですね、うまく思いつかないのですが、例えば電線を作るというような製品作りに見せかけられないか、ということなんですが?」
神坂が少し驚いたような顔になる。
(すごいですね。まさしくカーボンスパイダーシルク(CSS)は高効率化で軽量化された新しい電線として使えるのですよ)
「えっ? そうなんですか?」
(CSSテザーなら導電性も向上し軽量で丈夫になります。ですから、宇宙エレベーターで静止軌道上に展開させた太陽光パネルで発電した電気を地上に送るだけでなく、地上の送電線をCSSに変えることによって、さらに効率的に送電することができるようになります。
そこでカムフラージュをするなら、このようにしたらいいのではないでしょうか? 高性能送電線を研究する分野はすでに存在し各国でも研究が進んでいます。ですがこれはCSSとは関係ありません。
我々は表向き送電線の効率化研究ということにして、実際はCSSテザーを作るのです)
神坂は、このように説明した。
基本となるカーボンスパイダーシルクの直径はナノという細かさなので、数百億本を束ねてようやく数ミリくらいの太さになる。束ねる際に欠陥位置をマッピングし、弱点が重ならないよう配置する。
それを並べる時だけでなく継ぎ足しながら長くする時にも行う。配置はもちろんコンピューターを用いて行っていく。
数ミリぐらいの太さになったものを、今度は真田紐の織り方に準じて作成していくが、それには2種類があるという。
(真田紐には、大まかには2種類の織り方があります。ひとつは平織り。もうひとつは袋織りです。後の方が重量は増しますが格段に丈夫になります。宇宙エレベーターに使うテザーは、この袋織りを基礎にした構造になります)
神坂の説明では、このテザーはロープのような形ではないと言う。
(荷物運搬に使うCSSテザーは、まあ一言でいうならリボン状の平たい形状で50センチくらい。地上付近では薄く、静止軌道に近づくと厚みが増すという感じです)
黒崎は、説明を聞きながら、CSSテザーのイメージを心に描いていく。
(テザーは平たくて、一見、梯子のような感じですね)
「梯子?」
黒崎はちょっと意外に思った。
(梯子といっても縦条は2本ではなく何十本とあり、横条がだいたい数十センチ間隔で並んでいる感じ。荷物を背負ったクライマーはこの横条にフックを掛けて登っていきます。実際は幅広のキャタピラーに爪(磁気フック)が付いている感じになるでしょう。
横条はフックによる摩耗が激しくなるので補強もしくは交換が必要になりますが、これには保守用のクライマーで対応します。僕の方で作成した貨物用と保守用クライマーの設計図も経産省の方にお渡ししておきました)
「なるほど」
(梯子ですから、片面を登りに使って、もう片方の面は降りに使用します。こうすれば電車の複線みたいにCSSテザーを使えるわけです)
黒崎は、梯子の表側と裏側で、電車が登ったり下ったりする光景を想像した。
(このCSSテザーから20~30メートルぐらい離した両サイドに、静止軌道上の太陽光パネルの電気を地上におろすCSSテザーを張ります。こちらの形状は細い幅の形状をしています。
説明上、荷物運搬に使用するテザーの方を「CSSワイドテザー」と呼び、通電用の方を「CSSナローテザー」と呼ぶことにしましょう。真下先生が会議で言われた幅狭のテザーとはこのナローテザーのことです。ワイドの方の幅はおおむね50センチくらいで、ナローの幅は5センチぐらいとなります。
そして運用時には一定間隔でCSSワイドテザーとCSSナローテザーとを結びつけるのです。こうすればどれかが切れても、もう片方で支えることができます)
黒崎は、説明を聞いていて感心した。
ナローとワイドの役割分担、ワイドテザーの複線化、そしてワイドを昇降するクライマーの設計など、基本構想がきちんと練られ、しかも安全対策まで考えられている。
この神坂という人は、単にカーボンスパイダーシルクを発見しただけでなく、宇宙エレベーター全体の運用まできちんと考えていたのだ。
「なるほど。なんとなくわかりました。宇宙エレベーターの貨物用にはCSSワイドテザーを使い、送電用にはCSSナローテザーを使うわけですね」
(そうです。実はほかにも面白いアイデアがあるのですよ)
「面白いアイデア、ですか?」
(そうです。近い将来、地上の送電線を順次、CSSナローテザーに変更していくことになると思いますが、その横にワイドテザーを張るのです。ここにクライマーを走らせれば、無人の貨物輸送になりますよ。日本郵便や宅急便と同じ感じで命名するなら、「電線便」になるかもしれませんね。これも経産省の方にお話してあります)
と言って、神坂は笑った。
「宇宙エレベーターのCSSワイドテザーを横にして地上運送に使うというアイデアですね。これはいい。完璧なカムフラージュとして使えそうです」
黒崎は、この神坂という男は天才だと思った。




