2 ブレイクスルー
会議のメンバーが感嘆したように真下を見つめる。
しかし、と教授は続けた。
「総理。大きな問題があります。この技術が日本で開発され、現実にテスト製造を開始しようとしていることを、他国に鵜の毛ほども悟られてはなりません。
通常の重要発明の保護措置や不開示特許などの行政手続きを行えば、書類が通過するたびに、それに関わる人がこれを知ることになってしまいます。そんなことをしたらすぐに情報が洩れてしまうでしょう。
この技術をどうやって守るか、私はその方面は詳しくないのですが、1年守り通すにはかなり高度な計画が必要になるのではないでしょうか?」
片岡総理が大きくうなずいた。
「真下教授、大変すばらしい提案に感謝します。どうするかは、あたしが検討して決めるわ。今日はどうもありがとう。
官房長官、このお二人の完璧な身辺警護を大至急、国家公安委員長と調整してちょうだい。それが決まるまでお二人にはちょっとの間、東京にいていただくわ」
ここで言葉を切った総理は続けて言った。
「そうそう、ちょっと興味本位なんだけど、神坂さんに聞きたいの。今回のブレイクスルーには、何かのきっかけがあったの? 何かがヒントになったとか? それとも純粋に理論研究の延長?
いやね、あたしが知っている限り、こういう大発見や大発明って、案外身近なところにヒントがあるものだそうだから、ちょっと気になったのよ」
総理のこの発言に対して、神坂は二つのヒントがあったことを手話で小野寺に向かって伝えると、彼女はそれを通訳した。
材料工学の難しい理論の話になると思っていたメンバーは、予想とはまったく違う言葉が出てきて、みな驚いたように神坂を注視した。
「えっ、ビットコインのブロックチェーンと、真田紐ですって?」
一番驚いたのは、質問した片岡総理自身だった。
「でも、片方はコンピューターの世界でもう片方は伝統工芸じゃない。まったく違う分野ではないの?」
神坂がゆっくりと手話を開始する。
(少し難しい話になりますが、なるべくかみ砕いてご説明しますね。
これまで宇宙エレベーターのテザーに使える材料として期待されていたカーボンナノチューブは、炭素原子が規則正しく並んだ非常に細い筒です。一本一本は驚くほど強いのですが、それを何万キロという長さの材料にしようとすると、どこかに必ず不完全な部分ができます。
そこで、完全な一本を作るという考え方そのものを捨てました。
短い強い部分が無数にあり、それぞれが枝分かれし、周囲の別の部分と何重にもつながっていればいいのではないか。
そのきっかけになったのが、ブロックチェーンでした。一か所だけを信用するのではなく、多数のつながりによって全体を成立させるという考え方です。
一本が完全である必要はない。途中が切れても、その力を別の経路へ渡せればいい。
そうして炭素の結合の仕方を変えていった結果、カーボンナノチューブとはまったく違う構造ができました。一本の長い筒ではありません。
短い炭素の骨格が枝分かれしながら、周囲の骨格と次々につながっています。一見すると、とても不規則です。
ところが顕微鏡で見ると、その姿が蜘蛛の巣のように見え、しかも一本一本の表面から、非常に細い枝が無数に伸びています。肉眼で言えば、毛羽立った糸のようなものですね。
この糸を何本も並べると、その枝同士が互いに入り込み、絡み合います。
一本のどこかが切れても、そこで力が途切れるのではありません。周囲の枝を通じて隣の糸へ渡り、さらにその隣へ逃げていきます。
蜘蛛の巣の一本が切れても、巣全体がすぐに崩れないのと似ています。
そこで、この新しい炭素材料をカーボンスパイダーシルクと呼びました。ただし、これだけでは何万キロものテザーにはなりません。
そこで次にヒントになったのが真田紐です。真田紐は何本もの縦糸と横糸を織って作られています。僕の実家は、長野県松代で伝統工芸の小さな工場を営んでいて、真田紐を作っていますので織り方はよく知っていたのです。
宇宙エレベーターでは、力の大部分は上下方向にかかります。ですから、カーボンスパイダーシルクの束の大部分を縦に並べればいい。
ですが、縦に並べるだけでは、一か所が大きく傷んだとき、その裂け目がそのまま上下へ広がる危険があります。
そこで、ところどころに横方向の束を入れます。
横の束そのものに巨大な重量を支えさせる必要はありません。
縦の束同士をつなぎ、どこか一本が切れた時、その力を左右の束へ逃がす。それから、裂け目がそれ以上広がらないように止める。
ですから完成したテザーは、布のように隙間なく織る必要もありません。縦の束を多数並べ、横の束は必要な間隔だけに置く。
全体として見れば、細長い梯子か、目の粗い籠のような構造になります。
一本の完全さに頼らない。一か所が壊れても別の経路が支える。さらに大きな単位でも、一本の束が壊れれば周囲の束が支える。
カーボンスパイダーシルクという材料にして、それを真田紐の考え方で巨大なテザーにした、と考えていただければ一番わかりやすいと思います)
片岡は、ゆっくりとした動作で手話をしている神坂の言葉を、小野寺が通訳しているのを聞き終わると、しばらく考えてから言った。
「つまり、ものすごく強い一本の糸を作ったんじゃないのね?」
(はい)
「一本一本は完全じゃなくてもいい。どこかが切れたら、周りが代わりに支える。そういう材料そのものを作ったってこと?」
神坂は笑顔で大きく頷いた。
(まさしく、その通りです)
……このひとは材料工学におけるホーキング博士だ……万全な看護とガードが必要ね……
そう思いつつ片岡は、会議を締めくくった。
「ありがとう神坂さん。わかりやすい説明に感謝するわ。皆さん、会議はこれで終了します。ここの内容は決して外部に漏らさないようにね。もちろんプライベートでも記録に残したらダメよ。
それから小野寺さんは残ってちょうだい。あたしとあなたで話さなくてはならないことがあるのでね」
危機管理センターで会議が終了し、すぐに片岡総理が小野寺大臣と話をしようとした時、総理のスマホがバイブレートした。
画面を見た総理は、
「ごめん。ちょっと外すわ。10分ほどで戻るから待ってて」
そう言い残して、専用エレベーターで総理執務室に向かった。
部屋から出ようとしていたほかの大臣たちの中で、防衛大臣だけが立ち止まり、小野寺に近づいた。
「ちょっといいかな?」
「はい」
小野寺が少し身構えると、防衛大臣は隣に座って話を始めた。
「そう警戒しなくていい。別にあんたのとこにうち(防衛省)の情報本部をごっそり持っていかれたことを怨んじゃいない。
これはもう時代の流れなんだ。総理の言うようにインテリジェンスがばらばらの状態じゃあ、これからは世界に通用しない。そんなことは俺だってわかってる」
たたき上げで迫力ある老齢の防衛大臣は、長めの白髪を柳屋ポマードでオールバックにした頭を小野寺に少し近づけ、小声で言った。
「この後、総理とさっきの件の作戦を練るんだろ? 当然、あんたのとこの全局を横断して精鋭を集めた作戦班をつくることになるだろう……」
小野寺は、黙って聞いている。
「差し出がましいようだが、その班長にぴったりの男がいる。俺のとこにいた黒崎哲夫だ。あいつは来年退官だが、諜報や工作にはピカ一のやつだぜ。よかったら検討してみたらいい……」
そう言うと席を立って、今度は振り向かずに出口に向かった。
……黒崎哲夫……
小野寺がその名を頭に刻み付けた直後、防衛大臣と入れ違いで片岡総理が戻ってきた。小野寺の隣に座ると、テーブルに手を伸ばしてパタパタと叩き始めた。
「さてと……小野寺さん、まずあたしの考えを話すわね」
総理は世間話がしたいわけではない。
先ほどの会議から得られた結論として、この技術の秘密を製品完成まで守り通すための具体案を考えているのだ。
目を虚空に向けながら言う。
「神坂さんのテザーだけど、たぶん千曲大学の研究室ではおさまらない規模になると思うわ。経産省に神坂さんからヒアリングさせつつ、工場の規模、土地の選定、機械の手配、材料の調達を行なわせることになるわね。これはあたしから経産大臣に伝える」
小野寺がうなずいた。
「そして神坂さんが製品化の要で、技術的なすべてを統括することになるわ。だから彼が最重要人物になる。製造に使う機械が壊れても替えがきくけど、彼の替えはないわ。なので彼の処遇はとても重要になる。体への負担を軽くし、警護も完璧に行う」
小野寺は、総理のパタパタが止んでいることに気が付いた。真剣モードとなったのだ。
「彼には最高の車椅子が必要よ。ホーキング博士が使っていたよりもっと高性能のやつ。官房長官に手配させるわ」
ということは官房機密費から必要な金額が即座に支出されるのだろう。
「それと、すぐに世田谷の自衛隊中央病院に特別室を用意させる。このことは防衛大臣にあたしから言っておく。外国に彼を拉致させないためには、ここ以上のところはないわ。そして彼はすべての製造の指揮をここから取れるようにするのよ。真下教授は工場のトップになってもらって常時神坂さんと連絡がとれるようにするのがいいと思うわ」
小野寺がうなずく。
「そして小野寺さん。経産省で計画が決まったら、すぐにあなたのところに報告をさせるから、専属班を作ってインテリジェンスを考えてちょうだい。アバウトな作戦概要でいいわ。一部だけ作成すること。そしてできたらすぐにあたしに見せて。いいわね?」
「承知いたしました。ですが総理、おそらくそれだけでは……」
「わかっているわ。あなたの言いたいこと」
そう言って片岡が、小野寺を遮った。
「おそらく、情報の漏洩は避けられない。何十人、何百人といる工場技術者や労働者や、経産省内部の動きを察知されて秘密は少しずつ漏れていく、そう言いたいんでしょ?」
「その通りです。工場なら核心の秘密を知る人間は一握りですから守りやすい。ですが経産省内部にコネを持っているのは与党議員だけでなく、野党議員もかなりいます。この経路で漏れていく可能性は高いでしょう」
「確かに。それともう一つあるわ。投機筋に嗅ぎつけられる可能性が高い。工場の建設ならまだしも、もし海外に発注する原材料が通常と違うパターンになったら、ウォール街のヘッジファンドの網にまちがいなく引っかかるわね」
片岡総理は、財務省の官僚出身で、直前まで財務大臣であったから、この分野に精通している。
「総理、どのくらいで無視できないほどの漏洩がおこるとお考えですか?」
「そうね。今は7月の初旬。これから急いで工場を立ち上げて準備をし、稼働開始が2か月後の9月として……原材料が国内で賄えればヘッジファンドへの漏洩の可能性は少ない。そうでなければ発注後ひと月もしないうちにはバレるでしょう。
だから国内の原材料調達が可能かどうかはとても大事なことよ。野党連中に嗅ぎつけられるのもおそらく同じくらいだと思う。となると10月か11月くらいには何らかの手が必要になる……」
「承知いたしました。何か対策を考えましょう」
「よかったわ。去年、国家情報省ができていて。そうでなかったら大変なことになっていた……」
総理は感慨深く、つぶやいた。




