1 革命的な意義
「そろそろ核心に入ってちょうだい。問題はここからよ」
片岡総理が促した。
「わかりました。ここからの説明は私がいたしましょう」
田中政策統括官が、会議のメンバーを見渡した。
「もし、神坂さんが発見したカーボンスパイダーシルクが宇宙エレベーターのテザーとして実用化できると、世界が知ったとしたら……皆さん、アメリカや中国はどう反応すると思われますか?」
その瞬間、会議のメンバーは、まるで銃で撃たれたかのように一斉にのけぞった。
「……そうか。そんな革命的な技術を日本が持っているとわかったら……どんな手段を使ってでも奪いに来るぞ!」
叫んだのは外務大臣だった。
防衛大臣も、厳しい表情でそれに続いた。
「宇宙へ出ていくコストが100分の1になるのなら、アメリカの巨大企業スマートXのイアン・マーカスが黙っているはずがない。それに、アメリカ政府は宇宙の覇権を握るためなら、なんだってやるだろう」
「皆さん、聞いてください。話にはまだ続きがあるのです」
田中が、二人を制するように手を上げた。
「確かに、宇宙へ出ていく費用が従来の100分の1になるのは革命的なことです。ですが、宇宙エレベーターには、それよりもっと大きな可能性が秘められているのです。これを理解しなければ、先ほど総理がおっしゃった『対応を誤れば日本はゲームオーバーになる』の本当の意味はわかりません……」
田中はちらりと総理の顔を見た。総理が小さくうなずく。
「宇宙エレベーターには、ロケットに代わる輸送手段であること以外に、さらに大きな二つの革命があります。一つは、電力です。静止軌道上に大規模な太陽光パネルの発電所を展開して、その電気を地上へ送り、既存のグリッド、つまり電力網につないで世界に配電できたとしたら……年間でおよそ200兆円から300兆円の売上を生み出します」
「200兆円!?」
官房長官が思わず声を上げた。
日本の国家予算は、およそ120兆円である。それを上回る売上など、想像を絶していた。
「そしてもう一つ。これは、宇宙エレベーターの安全性が確保できたら、という前提の話ですが……世界中の原子力発電所から出る放射性廃棄物、いわゆる核のゴミを、安全に宇宙へ捨てられるようになります。地下深くに埋める必要がなくなるだけではありません。将来的には、原発やほかの発電所そのものが要らなくなる可能性すら秘めているのです」
誰かが、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
宇宙エレベーターがもたらす革命的な意義を理解すると同時に、当然のことながら、巨大な恐怖がメンバーを襲ってきた。
この技術は、猛獣の前に上等な肉を置くのに等しい。
「アメリカと中国が、黙っているはずがない……いったい、どうするんだ?」
外務大臣の顔がひきつっていた。
現在のアメリカ大統領、プレストン・ホークは、前任の大統領よりもさらに過激で傲慢な男である。もし日本でこの技術が実用化されたと知ったら、ホーク大統領はどう出るか。外務大臣は、それを想像して身震いした。
ホークなら、間髪を入れずに電話をかけてきて、こう言うだろう。
「片岡首相、話は聞いた。この技術は世界の、いや人類の宝だ。だから、アメリカ合衆国が責任をもって厳重に管理するべきだと思う。ペンタゴンの地下に保管しよう。これからすぐに特使を向かわせる。首相、この技術に関わる研究者と機械を、ただちにC-5ギャラクシーに積み込めるよう準備したまえ」
これがムチだ。もちろん、アメも忘れない。
「もちろん、タダでとは言わん。今日ただ今から、日本に対する関税はすべてゼロとする。米軍の駐留経費も、今後一切日本側には負担を求めない。防衛装備品についても、日本側の希望に沿うようにしよう。どうだね、首相?」
もしアメリカから、そこまでの究極の譲歩が示されたとしたら、日本が手にする財政上の利益は巨大なものになる。
アメリカ向けの関税がすべてゼロになれば、日本の自動車メーカーや製造業は、アメリカ市場で欧州や韓国などの競合相手に対して、圧倒的な価格の優位に立てる。防衛の分野だけで年間2兆円から3兆円規模、貿易や経済の分野では国家予算に匹敵する数十兆円規模のプラスになるだろう。日本は、年間数兆円の財政のゆとりと、数十兆円規模の経済的な自由を、同時に手に入れることになる。
それを成し遂げた片岡総理は、日本の国益をかつてないほど拡大し、国民の負担を激減させ、国の誇りを取り戻した不世出の大宰相として、後世まで語り継がれるだろう。
……この条件を突きつけられたら、総理は応じるだろうか……
考え込んでいる外務大臣に向かって、田中が続けた。
「外務大臣、問題はまだあるのです。もしアメリカや中国がこの技術を手に入れて宇宙エレベーターを作るとしたら、それをどこに作るのか、という問題です。特に、日本にとって由々しき問題になるのは中国です」
「皆さん、ここからが本番よ。よく聞いてね」
片岡総理が口をはさんだ。
田中の話が、具体性を帯びてきた。
「宇宙エレベーターは、物理的な構造上、どうしても赤道の直下に作らなければなりません。赤道から外れると、地球の自転の関係でテザーに巨大な負荷がかかり、ちぎれてしまうからです。中国もアメリカも、自国の領土は赤道にかかっていません。ですから、どうしても海外の協力を取りつけなければならない。もし、中国が、親中政権のインドネシアのカリマンタン島あたりに作ったとしたら……」
官房長官が手を挙げた。
「確か以前、日本の大手ゼネコンが宇宙エレベーターの構想を発表した時には、海の上に基地を建設すると言っていたように記憶しているが?」
田中がうなずいた。
「官房長官、ご指摘のとおりです。グローバリズムが全盛で、国際協力というものがまだ人々の間で現実味を持っていた時代なら、それもあり得たかもしれません。ですが、時代は変わりました。エネルギーと宇宙の覇権を一挙に握れる千載一遇のチャンスを前にして、アメリカや中国が国際協力に積極的になるでしょうか?」
田中は、メンバーの顔を一人ずつ見た。
「それを前提に考えるなら、アメリカも中国も、海の上には絶対に建設しないでしょう。空から、海上から、海中から、ドローンで攻撃されれば防ぎようがないからです。必然的に、陸の上に作らなければならない。地上側の基地のことをアースポートと呼びますが、そこに自国の軍隊を常駐させて、強力に守りを固めるはずです。もし、中国がインドネシアに宇宙エレベーターを作り、その電気を各国に破格の安さで売り始めたら……我が国はどうなるでしょう?」
官房長官が、はっとしたように声を上げた。
「そうか! そんなことになったら、我が国は経済的に中国の属国になってしまう……」
「そのとおりよ。日本はゲームオーバーになるわ。間違いなくね……」
総理の口調は鋭かった。
「それなら、いっそ日本が独自に宇宙エレベーターを作ってしまえばいい、とも考えられる。建造には約25兆円かかると言われているわ。莫大な利益を前提にすれば、なんとか資金をかき集めて建設にこぎつけることはできるかもしれない……でもね、いったいどこに作るの? 日本は赤道に面していないわ」
総理は、テーブルの上で指を組んだ。
「さっき、中国がインドネシアに作るという話があったけど、仮に日本が先に交渉して建設できたとしても、今度はそれをどうやって守るの? 3万6千キロメートルの上空からカリマンタン島まで伸びる、巨大なインフラよ。他国の領土にある拠点を攻撃から守り抜くなんて、自衛隊の規模や、専守防衛という憲法の論理では、まず無理だわ」
「総理、おっしゃるとおりです。仮に建設できたとしても、武力の行使を伴う防衛の目的で自衛隊を派遣することは、現行憲法では不可能です。結果として、日本独自での建設はできません」
防衛大臣が断言した。
「ですが、総理……」
発言したのは外務大臣だった。
「これほど巨大な利益を生み出すインフラを我が国が所有できるのなら……現行憲法でも、国家の存立危機事態として前面に押し出せば、可能かもしれません。党の法務部門で揉んでみてはいかがでしょう? まだ結論を出すには時期尚早では?」
外務大臣は、先ほどアメリカ大統領が示すであろう譲歩が吹き飛ぶほどの利益があるとわかって、それをむざむざ手放すのはあまりにも惜しいと思ったのだ。
総理は少し考えてから答えた。
「わかったわ……もちろん、我が国が宇宙エレベーターを所有できるに越したことはない。これは宿題にしましょう。でも今は、それはできないかもしれない、という前提で話を進めるわね」
実のところ、片岡総理も、「国家の存立危機事態」でこの事態を乗り切れるかもしれない、とは考えていた。
……ただし、宇宙エレベーターを日本独自で建設しようとすれば、戦前の三国干渉どころではない圧力を強国から受け、国際的に日本が孤立するところまで行き着くだろう…
……果たして、日本はそれに抵抗していけるだろうか……?
インドネシアのカリマンタン島にそびえ立つ宇宙エレベーターは、童話の「ジャックと豆の木」を現実にしたように、天まで昇る一本の黒い線として、はるか彼方からでも見えるだろう。
……もし、それを中国が建設し、所有することになったら……
その細い一本の線が必ず武器になることを、会議のメンバーたちは、誰に言われるまでもなくわかっていた。中国に従順かどうか、敵対しないかどうか。それによって、電気を送ってもらえるか、拒まれるかが決まるのだ。
もし、日本がその電気を拒まれたら?
ほとんどタダ同然の電気で周辺の国々が製品を作るようになり、日本だけが相変わらず従来の電力で国内の産業を支えていくとしたら、日本はそうした国々に勝てるのか?
かつて、ロシアから天然ガスを安く輸入できていたドイツは、ロシア・ウクライナ戦争でそれが途絶え、高いエネルギーを使わざるを得なくなった。そして、たちまち自国の産業が崩壊へ向かったことは、記憶に新しい。
日本も、同じ轍を踏むことにならないか?
おそらく国内の産業界や親中派は、ここぞとばかりに中国に協力すべきだと主張し始めるだろう。そうなれば、ようやく中国のくびきを脱してきたことが、すべて水の泡になってしまう。
前政権の路線を引き継ぐ片岡総理としては、この事態だけは何としても避けたかった。
では、アメリカがこの技術を手に入れたらどうなるか。アメリカなら、宇宙エレベーターをどこに建設するだろう?
アメリカも赤道上に領土を持たないので、外国に建設することになる。可能性が高いのは、親米政権のエクアドルの太平洋側だ。サントドミンゴの北西側が有力な候補になるだろう。ここなら、さまざまな物資を船で運び込める港も近い。
コロンビアという可能性もあるが、赤道のあたりは内陸で交通の便が悪い。ブラジルは反米政権で、しかもアマゾンの熱帯雨林の中に建設すれば、大規模な反対運動を引き起こすことにもなる。
「アメリカがエクアドルに宇宙エレベーターを作ったとして、日本はその恩恵を受けられるのか?」
防衛大臣がそう言うと、メンバー全員がため息をついた。日本とエクアドルは、1万4千キロメートルも離れている。太平洋を横断する海底ケーブルを敷いたとしても、リスクが高く、メリットが少ないことは明らかだった。
「それに、アメリカにこの技術を提供したとわかれば、中国は、中国国内の日本企業に対して、これまでにない強硬な措置をとってくるだろう」
外務大臣が言った。
中国は激怒し、国内に展開している日本企業にさまざまな圧力をかけ、さらに大規模な反日運動を繰り広げるに違いない。
「それなら、アメリカと中国に同時に技術を提供するか、いっそこの技術をオープンにしてしまうとか……」
官房長官がそう言いかけた時、総理が即座に反応した。
「あたしは反対よ。そんなことをしたら、日本がバカを見るだけだわ。今世紀最大のブレイクスルーを持ちながら、それをみすみす他国にタダで差し出すなんて考えられない」
片岡は、総理になる前は財務大臣だった。損得勘定には敏感すぎるほど敏感なのだ。
「総理、ちょっとよろしいですか?」
手を挙げたのは、真下教授だった。
「教授、どうぞ」
そう促された真下は、会議のメンバーが誰一人として思いもしなかった可能性を口にした。
「この神坂によるカーボンスパイダーシルクの研究は、まだ緒についたばかりです。技術的には十分に可能ですが、実物を作ったわけではありません。まず幅狭のテザーを製造することになりますが、それを可能にする機械は、まだこの世にありません。ゼロから設計し、製造し、テストしなければなりません。最初は、1000キロメートル級の幅狭のテザーを作ることになるでしょう。そこで、連続して製造しても品質と強度が理論どおりに保たれることを証明できれば、10万キロメートルへの延長は、生産設備と時間の問題になります」
真下は、片岡総理の顔をじっと見つめたまま言った。
「そこでです、総理。この技術を他国に渡すのではなく、我が国で製造したカーボンスパイダーシルクのテザーを、買いたい国に売ればいいのです。そうすれば、世界に対する体面も保てますし、日本の利益も確保できます。同時に、テザーのメンテナンスの技術も確立してしまえば、どこの宇宙エレベーターも、日本の協力なしには1日たりとも動かせなくなります……」
真下は、一呼吸置いた。
「その間に、本当に日本独自で宇宙エレベーターを建設できるのか、法律などの問題をクリアできるのかを、検討すればよいのではないでしょうか?」




