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新蜘蛛の糸1(テザー製造編)  作者: ヒトシ・ナカモト
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13 ヒトシ・ナカモト像

 ラボでは、ミーティングテーブルはあるのだが、メンバーは皆、スーパーコンピューターに接続している200インチの大画面モニタの前に、それぞれが自分のキャスター付きの椅子を持ってきて集まった。


「……まずは、ヒトシ論文のカーボンスパイダーシルク(CSS)をシミュレートした解析結果なんだが……」


 イアンは、ミーティングの進行をケインに任せ、自分はケインの後ろで空いている椅子に座って、考え事をしている。

 ヒトシ・ナカモトとは、いったいどんな人物なのか? それはあのビットコインのサトシ・ナカモトと同一人物なのか?

 いまだにサトシ・ナカモトの正体はわかっていない。この二つの名前の一字違いは、単なる偶然なのか? それとも意図的なものなのか?

 ……これだけ画期的な論文をなぜGitHubに投稿したのだろう? なぜもっとメジャーなサイトに投稿しなかったのか……?

 その理由は明らかだ。ヒトシ・ナカモトは、なんらかの事情があって自分の正体を明かしたくなかったのだ。ビットコインのサトシ・ナカモトとまったく同じである。

 それなら二人は同一人物なのか? 可能性は大いにある。

 この画期的な理論を支えているのがビットコインのブロックチェーン理論だということだ。サトシ・ナカモトは22年の時を経て、今度は材料工学というまったく異なる超先端分野に、その思考方法を持ち込んだのだろうか。

 ……サトシほどの天才なら、それは可能かもしれない……


「……細けーことはまだわかんねーが、要するにこういうことだと思う。CSSの一本一本は直径がナノ(1ミリの100万分の1)で、長さは数十センチから一メートルぐれーだ。こいつはカーボンナノチューブ(CNT)のようなハニカムできれいに構成された円筒形じゃなく、すでにランダムに四方八方に枝分かれしてる。おそらくこの枝分かれは意図的でなく生成過程で偶然生まれるものだろう。だからその枝分かれの派生ぐあいによって、弱い部分と強い部分が必然的に生まれる。この一本のカーボンスパイダーシルクのことを「CSSファーストステージ」と呼ぶことにするぜ。ヒトシ論文では、こいつの生成と同時にスキャンして強弱の位置を把握しておく、ということだろーな……」


 イアンは、サトシ・ナカモト像について、このように思っている。

 金融関係の奥深い知識、C++の美しいプログラミングスタイルと完璧さ、イギリス英語特有の綴りや語法から、1960年代後半生まれで、両親のどちらかが日本人。そして英国圏で教育を受けた可能性がある。

 ……おそらく国籍はイギリスなのではないか……?

 現在存命ならば、サトシは60歳を少し過ぎたぐらいの年齢だろう。

 それと、どうしても気になることがある。

 サトシも、ヒトシも、自分の研究が莫大な富と栄誉、そして終身の身分の保証が受けられるほどの画期的業績であることは、わかっていたはずだ。

 ……それを拒否して、むしろ自分の正体を隠すことの方を選んだ……


「……そして、こいつら一本一本の弱いところが重なんねーように束にする。どのぐれーの量を束にするのかはわかんねー。だが一つ言えることは四方八方に枝分かれしたカーボンスパイダーシルクは適度な間隔で並べれば、枝同士が複雑に絡み合って強い引張強度を生み出すことはまちげーねー。ここで束ねられたやつのことを「CSSセカンドステージ」と呼ぶことにするぜ……」


 イアンはここで、ポアンカレ予想を解決したグリゴリー・ペレルマンを想起した。

 ロシア、サンクトペテルブルク生まれ。元ステクロフ数学研究所数理物理学研究室所属。2002年11月11日から3つの論文を、「arXiv」でプレプリント (Preprint) で発表し、ポアンカレ予想を解決したと宣言した。 

 2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献により「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞(幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して)を受賞した。

 しかし、ペレルマンは受賞を辞退した。フィールズ賞の辞退は、彼が初めてである。

 ペレルマンは、以前にも昇進や欧州の若手数学者に贈られる賞を辞退するなどした経緯があり、賞金に全く興味を示さなかったり、自分の論文をあまり公表したがらない性格でも知られていた。

 ……ヒトシもペレルマンと同じような性格なのだろうか……?

 だが、ペレルマンは自分の所属を隠してはいない。

 確かにフィールズ賞という「数学界のノーベル賞」を辞退したのは前代未聞であったが、匿名にして世間から自分を完全に隠すところまでは考えていない。

 ……サトシやヒトシとは違う……


「……この「CSSセカンドステージ」を今度は規則正しく配置しているんだ……これを見てくれ……」

 そう言って、ケインが200インチの大画面モニタに、拡大されたCSSの3D構造を指で指しながら説明する。

「……規則正しく横糸と縦糸を配置しているように見えるんだ……」

「……ケイン、こいつの配置はまるで織物のような感じがするんだが……」

 というメンバーの声が聞こえる。

「……確かにそうだな……この独特の配置の仕方によって形成されたやつのことを「CSSサードステージ」と呼ぶぜ。そしてこいつらをさらに束ねることによって、製品の形に仕上げるんだと思うぜ……」

「……ケイン、その製品の形とはどの位のスケールになるんだ……?」

「……おそらく、厚みは0.01ミリメートル前後ぐれーじゃねーかって思ってる……幅や長さを伸ばしていくことは理論的な困難さはねー気がするな……でも理論で可能であっても実際の製造では困難、ってことはいくらだってある。だがヒトシは次回、製造プロセスに関する実践部分を発表すると言ってる。つまりこいつの製造は可能と言うことだ……」


 イアンは、人間個人の性格の形成には個人差より、もっと奥深い決定要素があると思っている。いわば国がもつ文化のDNAともいうべきものである。

 例えば、アメリカで生まれて、アメリカで教育を受けると、アメリカ的な価値観が骨の髄まで浸透する。

 アメリカは超個人主義の国であり、教育の分野で日本のように全生徒に公平を期すという考えはなく、少数の天才を見つけ出すことを主眼にしているのだ。

 こうした超優秀者やエキセントリック(変わり者)を尊ぶ文化で育ったアメリカの天才は起業して億万長者(マーク・ザッカーバーグやイーロン・マスクなど)を目指すのが王道となる。当然、自分をアピールしてナンボという性格になる。

 それなら、中国ではどうか。古来から尊ばれた中国文化のDNAが儒教である。そしてさらに科挙という超難関を誇る官吏登用試験制度のDNAがある。

 これによって社会は儒教の考えによる序列をはっきりとさせることと、科挙を勝ち抜いた者が勝者であり、負けたものは勝者の前にひれ伏すという徹底したゼロサムの考えが生まれてくる。

 このDNAは脈々と引き継がれている。誰もが勝者となるために現代の科挙である高考(ガオカオ。全国統一大学入学試験の略称)にすべてを賭けるのだ。だから勝った者が社会から隠れるなんて考えは、爪先の垢ほどもない。

 ちなみに韓国も中国の科挙を受け入れ、さらに儒教をさらに煮詰めたような朱子学を信奉し、500年以上も続く李氏朝鮮時代を経験して、むしろ中国よりもっと激烈な競争社会を生み出している。


「……それから、CSSの画期的なところとして、もう一つ忘れちゃなんねーのが導電性能だ……これまでの送電技術では、電流を流すことによる抵抗損失が避けられなかったが、こいつは従来の電流による送電とは異なる原理で、極めて少ねー損失でエネルギーを輸送できる可能性があるんだ。それが「プラズモン・ポラリトン」だ……」


 このように見てくるとアメリカや中国や韓国は、自己アピールがものすごく強い人物が育つのが必然となる。それに対して、日本やイギリスはまったく異なっている。

 凄まじい成功を収めたにもかかわらず、富や名声を一切誇示せず、沈黙を守り通す。という考えは、むしろイギリスや日本だからこそ成立する、とイアンは思った。

 イギリスの知識層や上流・中流階級には、昔から富や才能をこれみよがしにひけらかすのは、最高に格好悪い、洗練されていない、という強い文化がある。

 富への冷ややかな視線:アメリカでは稼いだ額=有能さの証明として称賛されるが、イギリス、特にアカデミアやオールドマネーの世界では、金銭的な欲望をあからさまに表に出すことは野卑、下品な行為とみなされがちだ。

 無私のパブリック・サービス(公の奉仕)、イギリスの伝統的なエリート教育――パブリックスクールやオックスフォード・ケンブリッジなど――では、国家や社会、あるいは科学の発展のために、私欲を捨てて貢献することが最高の美徳とされている。

 サトシが、ビットコインというオープンソース(公共財)を世界に残し、自分は消えたという行動は、この高貴なる者の義務(ノーブレス・オブリージュ)の精神に極めて近く、イギリスの古い教育を受けた人間ならではの行動様式と言える。

 一方で、日本の「武士道・禅」とイギリスの「騎士道・ストイシズム」は近似している。「日本の伝統のDNA」と「イギリスのDNA」は、歴史的にも「武士道」と「騎士道」という形で非常に強く共鳴している。

 ストイシズム(禁欲主義)という、両者に共通するのは、感情や欲望をコントロールし、淡々と自分の義務を果たすことを美徳とする点だ。

 クレジット(名声)を求めない:優れた仕事をしても私がやりましたと大騒ぎせず、静かに引き下がるジェントルマンの引き際という美学。

 ……サトシとヒトシは、イギリス人もしくは日本人の可能性が高い……


 ふと気がつくと、ケインが振り向いてこちらを見ている。

「……ボス、どうしたんすか? ぼーっとしちゃって……やっぱ寝不足ですかねー。50過ぎているんだから、あんま無理しない方がいいっすよ……」

 ミーティングのメンバーが、サイラス・ケインの茶化しに大笑いした。

「そうだな……」

 イアンの頭に、ヒトシをどうやって探すかの具体的なアイデアが、この時ひらめいた。


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