12 サイラス・ケイン
陳宇航が宇宙エレベーターについてのレポートを書き終えるころ、イアン・マーカスを乗せたガルフストリーム G650ERが、ロサンゼルスのホーソーン市営空港に到着した。
しばらくタキシングして空港西南にある固定基地オペレーターの専用駐機場に入って止まると、イアンは機長に礼を告げて、すばやくタラップを降りた。
建物内に入ると、近くのソファーにサイラス・ケインが座っているのが見えた。さっそくそちらに向かうとケインが立ち上がった。ちょっとふくれっ面をしているのがわかった。
握手を交わしながら、
「どうした? なんかあったのか?」
と、イアンが聞くと、
「どーもこーもねーっすよ。ちょうどルナとベッドで楽しくやってる時に、誰かさんが電話をかけてくるもんだから」
ルナ・ヴェガは、ラボの事務部門で働いている20代後半の白人の美人である。どうしてパンキーなケインとルナがいい仲になったのかは、今でもラボの七不思議となっている。
「そりゃ、悪かったな」
「もー、ルナはカンカンっすよ。なだめるのに仕方なくエルメスのバーキンをプレゼントするって約束しちまった。ボス、払ってくれますよね?」
エルメスバーキンは、新品で買うと最低でも400万円以上はする。
「やだね」
「えーっ、そんな殺生なー」
そんな会話をしながら、駐車場に止めてある社用車に乗り込んだ。運転はケインだ。
「メンバーは集まってるんだろうな?」
「集まってますよ。みんな機嫌はあまりよくないっすけどね」
「例の論文は読んだか?」
ヒトシ・ナカモト論文のサーバーのアドレスは、機内からケインに伝えてあった。
イアンが聞いた瞬間、サイラス・ケインの口調ががらりと変わった。
「読みました。すげー論文だ。あんな発想どっからでてくんだ、というぐらいの奇想天外なやり方っすが、あれイケますよ、絶対。さっそくラボのスパコンでシミュレーションしているところっす」
サイラス・ケインは、外見はパンク風で言葉もぞんざいだが、頭の切れはピカ一である。NASAのジェット推進研究所とも深い繋がりを持つカリフォルニア工科大学で、航空宇宙材料工学の博士号を取得している。
ケインを採用したのは、ほとんど偶然だった。
ある時、ケインがロサンゼルスのマテリアルズ・ラボにふらっと現れて、
「俺を雇わないっすか?」
と、言ったのだ。
たまたまその時イアンは、そこにいてケインと話したが、その類い稀なる才能に気がついてすぐその場で採用した。
以来、ケインは会社にとってなくてはならない存在となっている。その時から、ケインはイアンのことをボスと呼んでいる。
「ケイン、その論文の通りに、ウチでも作れるのか?」
「ボス、そりゃ、無理っすよ」
ケインが即答した。
イアンが、少しむっとした口調でたずねた。
「どうしてだ?」
イアンは、無理とか不可能という言葉がこの世の中で一番嫌いなのだ。だがケインはそんなことはお構いもせず、堂々とイアンにぶつけてくる。
イアンの周辺にいる人たちの多くは、どうしてもイアンに対して遠慮したり、おもねったりするが、ケインは全然気にしない。そういうケインをイアンはこの上なく信頼しているのである。
「ヒトシ・ナカモト論文は、ハッシュの連鎖を使って、製造したCSSの品質データを一本ずつ管理する。そして弱い部分どうしが同じ場所に重ならないよう配置して、一本が切れても周囲に荷重を逃がすって理論っす。理屈は通ってる。
でも実際に何百億本ものCSSをどう束ねて、どう織って、どう連続製造するのかは別問題だ。それにアブストラクトには「論文は理論と実践の二つに分かれており、今回の発表は理論部分で、製造プロセスに関する実践部分は後日発表予定」と書いてある。だから実践部分を読まなきゃ、話は進まねーってことっすよ」
「そうなのか……」
「それからボス、論文を読んでてちょっと気になったんすけどね……」
「気になったって、何が?」
「書いたのは、ヒトシ・ナカモトってやつですよね。ビットコインのサトシ・ナカモトと1字違うってえーのがちょっと面白いんですが、ま、俺は金融工学はさっぱりわからねーんだけど……」
イアンは前置きが長い話にちょっとイラついた。
「何がいいたいんだ?」
「こいつ、やっぱり名前通り、日本人じゃねーかと思ったんすよ」
「なに?」
イアンは驚いて、運転しているケインの横顔を見つめた。
「なんでだ? 何でそう思ったんだ?」
「論文どおりにCSSを配置して、テザーの構造をスパコンでシミュレートした時に出てきた画像に、なんか見覚えがあったんすよね」
「なんだって!」
思わず、イアンは興奮してくる。
「見覚えって……どこかで見たってことか?」
「ずいぶん前のことなんすけどね、まだ俺がこのラボで働く前なんだけど、日本に旅行したことがあったんすよ。そん時どこだったかな……Naraかな? いやKyotoだったかな? そこでひも状の織物を見たんすけどね、その織り方になんとなく似てるなーって思ったんすよ……」
「論文のテザー構造とそれが似ているっていうのか?」
「まあ、ちょっと感じただけで確信があるわけじゃないんすけど……そうだ、思い出した。確かSanada-himoとか言ったような気がしたな……」
「真田紐?」
イアンが聞く。
「なんか持った感じはすんごく丈夫な感じがしたな。俺のおふくろが編み物が好きで、ガキの頃それをずっと眺めていたんで、そういう織り方とかには昔から興味があったんすよ。でも真田紐のことはよくわかんないっす」
と、ケインが答える。
イアンは、強烈に興味をそそられ、スマホを取り出して話しかけた。
「Grip、日本の真田紐について教えてくれ」
すぐに応答があった。
「真田紐は、縦糸と横糸を圧縮して高密度で平たく織り上げた日本の伝統的な織紐です。伸びにくく非常に丈夫で、武具や荷物の結束、現代では茶道具の桐箱の紐や帯締めなどに広く使われています。
もともと中国南部からチベットにかけて存在していた頑丈な平織り・袋織りの紐が、平安時代から鎌倉時代にかけて日本に輸入された際、日本の貴族たちはこれを中国南部産の、幅の狭い織物という意味で狭織と呼びました。
これがのちに訛って「さなだ」になり、戦国時代に真田氏が大量生産したことで現在の「真田紐」というブランドに定着したという説があります」
再度、イアンが質問した。
「真田紐の織り方に特徴はあるのか?」
「二通りがあります。一重織り(ひとえおり)は一般的な平織りです。日用品や比較的カジュアルな小物、茶器などを納める箱の紐などとして使われます。もう一つは袋織り(ふくろおり)です。表面と裏面を同時に織り合わせ、中を空洞にした二重構造(筒状)にする特殊な織り方です。二重構造のため非常に頑丈で、刀の下げ緒や鎧兜の紐、重量物の結束、美術品の箱などに重宝されます」
「Grip、わかった。ケイン、どう思った?」
イアンは、運転しているケインの横顔を見た。
「後で、真田紐の実物を取り寄せるか、構造を調べてヒトシ・ナカモト論文と整合するのかを調べてみます。もし本当に真田紐と同じだったら、ヒトシってやつ、本当に日本人かもしれないっすよ」
そう言っているうちに、マテリアルズ・ラボ(材料工学研究セクション)に到着した。昨年までは、ホーソーン空港内の一角にあるロケット製造工場内に併設されていたが、手狭になったためケインのチームだけ移転したのである。
マンハッタンビーチにも近いマリーン・アベニューとサウス・エイビエーション・ブルバードの交差する付近にある5階建てのこじんまりしたビルの中にある。
ケインのチームは2階オールフロアーを割り当てられ、中に入るとメンバー5人がそろっていたが、彼らはスーパーコンピューターに接続している200インチの大画面モニタに映し出されている3Dモデルの前でワイワイガヤガヤやっていて、イアンとケインが部屋に入ってきたことに気がつかない。
「こりゃ、完全にブレイクスルーだな……」
「こんなの誰が考えたんだ。すげーなー……」
「なんか、名前からすると日本人ぽいんだが、名前しか書いてねーって、どういうこった?」
などという、大きな声が聞こえてくる。
彼らのところに行こうとするケインの腕を引っ張って押しとどめ、イアンはケインの耳元でつぶやいた。
「真田紐の件は、メンバーには黙ってろ。今、これを知っているのは俺とお前だけだ。しばらくは絶対に口外するな、この情報はもしかしたらヤバイかもしれん」
ケインは、うなずいた。
「わかりやした。ボス。他のやつにはしゃべりません。ですが……」
ここでケインはニヤッと笑った。
「ボス、口止め料をいただけませんかね? バーキン、ダメっすか?」
「しようがないな……まあ、それで手を打つか……」
「やったー!」
ケインはすぐにイアンから離れてメンバーに近づき、怒鳴った。
「おい、これからミーティングすっぞ!」
ここでようやくメンバーは、イアンとケインの存在に気がついたようだった。




