↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本の怖い話  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/21

青森・第一話

今回の実在要素: 恐山は青森県むつ市にある霊場で、青森県公式観光サイトも「人は死ねば恐山に行く」という伝承を紹介しています。また、三途の川、賽の河原、地獄谷などの景観や、イタコの口寄せが行われる恐山大祭など、死者とのつながりを想起させる文化があります。

なお、作中の母親・電話・怪異・出来事は創作です。恐山は実際の霊場なので、物語と実在の信仰・参拝を混同しないようにしています。


母を呼ぶ声


「死んだ人に会える場所がある」


そう聞いたとき、


俺は笑った。


そんな場所が、


本当にあるわけがない。


そう思っていた。


少なくとも、


あの日までは。


---


母が死んだのは、


俺が二十九歳のときだった。


病気だった。


長い闘病生活だった。


最後の数か月は、


ほとんど会話もできなかった。


それでも、


最後に病室へ行った日。


母は俺の手を握って、


こう言った。


「……ごめんね」


俺は笑った。


「何が?」


母は答えなかった。


ただ、


何度も俺の手を握った。


そして、


小さな声で、


「またね」


と言った。


それが最後だった。


---


葬儀が終わって、


半年ほど経った頃。


俺は青森へ出張することになった。


仕事で下北半島へ行く予定があった。


せっかくなので、


帰りに恐山へ寄ることにした。


理由は、


特になかった。


ただ、


母が亡くなってから、


一度だけ、


聞いたことがあった。


「死んだ人に会いたかったら、


恐山に行けばいい」


誰から聞いたのかも覚えていない。


けれど、


その言葉だけは、


ずっと頭に残っていた。


---


恐山へ向かう道は、


静かだった。


山道を登っていく。


窓を少し開けると、


硫黄のような匂いがした。


やがて、


荒涼とした景色が現れた。


岩。


白い地面。


ところどころから立ち上る煙。


そして、


風車。


小さな風車が、


風に揺れていた。


カラ。


カラ。


カラ。


その音が、


妙に耳に残った。


俺は車を停め、


しばらく景色を見ていた。


観光客もいる。


家族連れもいる。


決して、


「怖い場所」


という雰囲気ではない。


むしろ、


静かで、


どこか悲しい場所だった。


俺は、


一人で歩き始めた。


---


賽の河原。


積まれた石。


風車。


供養のために置かれたもの。


その景色を見ていると、


なぜか母のことを思い出した。


最後の病室。


白い布団。


細くなった腕。


「またね」


という声。


俺は、


小さく呟いた。


「母さん」


風が吹いた。


カラ。


カラ。


風車が回った。


「……会いたかったな」


自分でも驚くほど、


自然に言葉が出た。


その瞬間。


背後から、


声がした。


「……航平?」


俺の名前だった。


俺は、


振り返った。


誰もいない。


観光客が、


少し離れた場所を歩いている。


「……」


気のせいだ。


そう思った。


母の声に似ていた。


でも、


そんなわけがない。


もう一度、


前を向いた。


すると、


今度は、


すぐ耳元で聞こえた。


「航平」


俺は、


振り返った。


誰もいない。


背中に、


冷たい汗が流れた。


---


その夜。


俺は、


恐山近くの宿に泊まった。


部屋に入って、


テレビをつけた。


だが、


どうにも落ち着かない。


昼間の声が、


頭から離れなかった。


「航平」


母の声。


間違えるはずがない。


二十九年間、


聞いてきた声だった。


俺は、


スマートフォンを取り出した。


母の写真を探した。


一枚だけ残っていた。


入院する前の写真。


笑っている。


俺は、


その写真を見ながら、


「会いたい」


と呟いた。


すると、


スマートフォンが震えた。


着信。


知らない番号。


俺は、


少し迷ってから、


出た。


「もしもし?」


返事はない。


「もしもし?」


ザーッ。


雑音。


そして、


遠くから、


女の声。


「……航平?」


俺は、


息を止めた。


「……母さん?」


電話の向こうが、


静かになった。


そして、


母の声。


「寒い」


「……」


「寒いの」


俺は、


立ち上がった。


「どこにいるの?」


返事はない。


「母さん?」


電話が切れた。


---


翌朝。


俺は、


昨日のことを誰にも話さなかった。


仕事へ行く前に、


もう一度、


恐山へ行った。


馬鹿げている。


そう思っていた。


でも、


確認したかった。


昨日、


確かに声を聞いた。


そして、


電話もかかってきた。


恐山に着く。


昨日と同じ場所へ向かう。


風車が回っている。


カラ。


カラ。


カラ。


俺は、


母の名前を呼んだ。


「母さん」


何も起こらない。


「……」


やっぱり、


気のせいだったのかもしれない。


そう思った。


そのとき。


風車が、


一斉に止まった。


風は吹いている。


なのに、


全部の風車が止まった。


「……」


静かだった。


あまりにも静かだった。


そして、


一つだけ、


風車が回り始めた。


俺の目の前。


赤い風車。


カラ。


カラ。


カラ。


その音に混じって、


声が聞こえた。


「航平」


俺は、


目を閉じた。


「母さん?」


「こっち」


目を開ける。


少し先に、


人影が立っていた。


白い服。


背中を向けている。


髪型。


身長。


肩の形。


母だった。


俺は、


走り出した。


「母さん!」


人影は、


歩き始めた。


ゆっくり。


俺から離れていく。


「待って!」


追いかける。


しかし、


距離が縮まらない。


「母さん!」


人影が、


一度だけ振り返った。


顔は見えなかった。


長い髪が、


顔を覆っていた。


でも、


声だけは、


母だった。


「航平」


「何?」


「こっちに来て」


俺は、


一歩踏み出した。


その瞬間。


誰かに腕を掴まれた。


「行っちゃいけません」


振り返る。


年配の女性だった。


「……何ですか?」


女性は、


人影を見る。


そして、


俺を見る。


「今、


誰を見ました?」


「母です」


「亡くなった方?」


「……はい」


女性の顔が、


曇った。


「なら、


行ってはいけません」


「でも……」


女性は、


静かに言った。


「ここでは、


会えることがあります」


「……」


「でも、


会ったからといって、


ついて行っていいわけではありません」


俺は、


人影を見る。


もう、


いなかった。


---


宿へ戻る途中。


俺は、


昨日の電話番号へかけてみた。


「……」


繋がらない。


もう一度。


繋がらない。


三度目。


やはり、


繋がらない。


諦めて、


電話を切ろうとした。


その瞬間。


着信。


同じ番号。


俺は、


出た。


「もしもし?」


母の声。


「航平」


「母さん」


「どうして来ないの?」


「……」


「寂しいよ」


俺は、


泣きそうになった。


「俺だって会いたい」


「じゃあ、


来て」


「どこに?」


「橋のところ」


俺は、


恐山の入り口を思い出した。


三途の川。


太鼓橋。


この世とあの世を隔てる場所とされている。


「……」


「待ってるから」


電話が切れた。


---


俺は、


戻った。


恐山へ。


三途の川へ。


橋の前に立つ。


誰もいない。


風が吹いている。


橋の向こう。


霧が出ていた。


そして、


その霧の中に、


母がいた。


今度は、


顔が見えた。


笑っている。


病気になる前の、


元気だった頃の母。


「母さん……」


母が手を広げる。


「おいで」


俺は、


橋へ足をかけた。


一歩。


二歩。


そのとき。


後ろから、


声がした。


「航平!」


振り返る。


誰もいない。


もう一度、


母を見る。


母が、


笑っている。


「おいで」


俺は、


一歩進んだ。


その瞬間。


母の顔が、


変わった。


目が黒い。


口が大きく裂けている。


皮膚が、


腐ったように崩れている。


俺は、


叫んだ。


「母さんじゃない!」


それでも、


母の姿をした何かは、


笑っていた。


「どうして?」


「……」


「会いたいって言ったでしょう?」


俺は、


後ろへ下がった。


「会いたいって言った」


「そう」


「でも、


あんたじゃない」


女は、


首を傾げた。


「じゃあ、


誰ならいいの?」


その瞬間。


背後から、


母の本当の声が聞こえた。


「航平!」


俺は、


振り返った。


そこには、


母がいた。


病室で最後に見た、


あの姿。


痩せた身体。


弱々しい笑顔。


でも、


確かに母だった。


「母さん……」


母は、


泣いていた。


「帰りなさい」


「……」


「私を探しに来ちゃだめ」


「でも……」


「私は、


もうこっちだから」


俺は、


泣いた。


「会いたかった」


「うん」


母も泣いていた。


「私も」


「……」


「でも、


生きている人が、


こっちに来ちゃだめ」


母が、


俺に背を向けた。


「母さん!」


「航平」


「何?」


「最後に一つだけ」


「うん」


母が振り返る。


「私が死ぬ前に言ったこと、


覚えてる?」


俺は、


頷いた。


「またね」


母が、


微笑んだ。


「そう」


そして、


言った。


「だから、


また会うまで、


生きなさい」


霧が、


母を包んだ。


「母さん!」


俺は、


手を伸ばした。


だが、


もう届かなかった。


---


俺は、


気がつくと、


三途の川の手前に倒れていた。


朝だった。


係の人に、


「大丈夫ですか?」


と声をかけられた。


俺は、


何も答えられなかった。


ただ、


空を見上げた。


青かった。


ものすごく、


青かった。


---


それから、


三年が経った。


俺は、


結婚した。


娘が生まれた。


名前は、


美緒。


母が生きていたら、


きっと喜んでくれただろう。


ある夜。


娘を寝かしつけていると、


突然、


娘が言った。


「ねえ、パパ」


「何?」


「今日、


おばあちゃん来たよ」


俺は、


固まった。


「……誰?」


「おばあちゃん」


「どこに?」


娘は、


窓を指差した。


「そこ」


カーテンの向こう。


俺は、


恐る恐る近づいた。


カーテンを開ける。


誰もいない。


窓の外は、


暗い。


「夢だよ」


俺は、


娘の頭を撫でた。


すると、


娘が笑った。


「おばあちゃん、


パパに伝えてって」


「何て?」


娘は、


母の口調を真似するように、


言った。


「またね」


俺は、


息を止めた。


そして、


窓を見た。


ガラスに、


俺と娘が映っている。


その後ろに、


もう一人。


母が立っていた。


笑っていた。


俺は、


振り返らなかった。


ただ、


涙が出た。


「……母さん」


ガラスの中の母が、


ゆっくり手を振った。


そして、


消えた。


その夜から、


俺は、


死ぬことが怖くなくなった。


ただ、


一つだけ。


恐山で聞いた言葉を、


忘れないようにしている。


「また会うまで、生きなさい」


死者に会える場所が、


本当にあるのか。


俺には、


今でも分からない。


ただ、


あの場所で、


確かに母の声を聞いた。


そして、


もし本当に、


あの世とこの世を隔てる場所があるのなら――


生きている人間が、


そこを越えてはいけない理由も、


少しだけ分かる気がする。


死者は、


こちらへ帰ってくるために、


呼んでいるんじゃない。


もしかすると、


**生きている人間を、


こちら側へ行かせないために、


呼び止めているのかもしれない。**


――青森・第一話 終。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。