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日本の怖い話  作者: こうた


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4/21

北海道・第四話

題材について:

今回は札幌・小別沢周辺に伝わる怪談や、北海道の山間部に残る公衆電話・トンネル系の都市伝説をモチーフにした創作です。作中の「電話ボックス」「家族が別人に置き換わる」「帰れなくなった人間が次の人を誘う」という設定はフィクションです。

小別沢の電話ボックス


その電話ボックスから、


電話をかけてはいけない。


正確には、


「自分の家に電話をかけてはいけない」


そういう噂だった。


札幌市西区。


山へ向かう道路の途中に、


古い電話ボックスがある。


今では携帯電話があるから、


使う人なんてほとんどいない。


だからこそ、


そこに電話があること自体が、


妙に不自然だった。


俺がその電話ボックスを見つけたのは、


仕事帰りのことだった。


午後十時を過ぎていた。


雨が降っていた。


北海道の秋の雨は、


妙に冷たい。


俺は車を運転していた。


会社を出たのが遅くなり、


家へ帰る途中だった。


妻から、


「今日は何時に帰る?」


とメッセージが来ていた。


俺は、


「あと一時間くらい」


と返信しようとした。


しかし、


スマートフォンを見ると、


圏外だった。


「……珍しいな」


山道だから仕方ない。


そう思って、


そのまま走った。


そのとき、


道路脇に、


古い電話ボックスが見えた。


「……電話?」


俺は減速した。


こんな場所に公衆電話がある。


少しだけ、


違和感があった。


だが、


電話ボックスの中には、


まだ電話機があった。


昔ながらの、


緑色の公衆電話。


俺は車を停めた。


妻に電話したかった。


別に、


公衆電話を使う必要などなかった。


ただ、


「まだ帰れない」


と伝えたかった。


俺は電話ボックスに入った。


ドアを閉める。


雨音が少し遠くなった。


受話器を取る。


ツー。


ちゃんと音がする。


財布から十円玉を出した。


妻の番号を押す。


一回。


二回。


三回。


呼び出し音。


しかし、


出ない。


「寝たかな……」


俺は受話器を置いた。


その瞬間。


電話が鳴った。


――ジリリリリリ。


俺は、


反射的に受話器を取った。


「もしもし?」


返事がない。


「もしもし?」


ザーッ。


雑音。


その向こうに、


誰かの呼吸。


「……誰ですか?」


呼吸だけ。


そして、


小さな声。


「お父さん?」


俺は凍った。


「……誰?」


「お父さんだよね?」


声は、


俺の娘だった。


まだ六歳。


眠る前によく電話をかけてくる。


だが、


今、


娘は家にいる。


「どうした?」


俺は聞いた。


電話の向こうで、


娘が泣いている。


「怖い」


「何が?」


「お母さんが、


変なの」


俺の背中に、


冷たい汗が流れた。


「お母さん?」


「うん」


「どうした?」


娘が、


小さな声で言った。


「お母さん、


ずっと玄関に立ってる」


「……」


「何をしてるの?」


「分からない」


「お母さんに電話代わって」


「嫌」


「どうして?」


「お母さん、


私じゃないから」


俺は、


意味が分からなかった。


「どういうこと?」


娘が泣きながら言った。


「お母さん、


顔がない」


電話が、


切れた。


---


俺は、


しばらく動けなかった。


電話ボックスの中。


雨音。


遠くの車の音。


そして、


自分の呼吸。


「……」


俺は、


スマートフォンを見た。


圏外。


妻へ電話できない。


もう一度、


公衆電話からかけようとした。


受話器を取る。


しかし、


数字を押す前に、


電話が鳴った。


――ジリリリリリ。


「……」


まただ。


俺は、


出なかった。


鳴り続ける。


――ジリリリリリ。


――ジリリリリリ。


十回。


二十回。


三十回。


やがて、


鳴り止んだ。


静かになった。


俺は、


受話器を置いた。


その瞬間。


また鳴った。


――ジリリリリリ。


俺は、


受話器を取った。


「……もしもし」


今度は、


妻の声だった。


「あなた?」


俺は、


ほっとした。


「どうした?」


「今どこ?」


「会社から帰る途中」


「まだ帰ってないの?」


「うん」


妻が、


少し黙った。


「……今、


電話した?」


「したよ」


「何時?」


「さっき」


「おかしい」


「何が?」


妻の声が、


震え始めた。


「あなたから電話、


今かかってきた」


「……え?」


「今、


家の電話が鳴ったの」


俺は、


言葉を失った。


「俺は今、


公衆電話からかけてる」


「……」


妻が、


小さく息を吸った。


「でも、


電話に出たら、


あなたの声がした」


「何て?」


妻は、


泣きそうな声で答えた。


「『玄関を開けて』って」


俺は、


電話ボックスの外を見た。


雨。


誰もいない。


「妻」


「うん」


「絶対に玄関を開けるな」


「……」


「俺が帰るまで、


絶対に」


「分かった」


その瞬間。


電話の向こうから、


ドアを叩く音が聞こえた。


――コン。


妻が息を呑む。


――コン。


もう一度。


――コン。


三回。


「……あなた」


「何?」


「今、


玄関を叩いた?」


「いや」


妻の声が、


震えていた。


「玄関の外に、


あなたがいる」


俺の心臓が、


跳ねた。


「何?」


「あなたが、


玄関の外に立ってる」


「絶対に開けるな!」


「でも……」


「開けるな!」


「あなたが、


ずっと名前を呼んでる」


俺は、


耳を疑った。


電話の向こう。


妻の家。


玄関の外から、


俺自身の声が聞こえる。


「開けて」


「開けて」


「開けて」


俺は、


電話を切った。


---


すぐに車へ戻った。


エンジンをかける。


家へ向かう。


しかし、


道路を走り始めて、


すぐに違和感に気づいた。


カーナビが、


おかしい。


現在地が、


動いていない。


俺は、


何度も画面を見る。


車は走っている。


なのに、


ナビ上では、


電話ボックスの前から、


動いていない。


「……何だよ」


アクセルを踏む。


さらに進む。


五分。


十分。


十五分。


それでも、


現在地は、


電話ボックス。


「……」


嫌な汗が出てきた。


そして、


前方に、


見覚えのあるものが見えた。


電話ボックス。


「……嘘だろ」


俺はブレーキを踏んだ。


さっきの場所だった。


「そんなわけ……」


道路を戻った?


いや。


俺は、


ずっと前へ進んでいた。


それなのに、


同じ場所に戻っている。


電話ボックスの横を通り過ぎる。


しばらく走る。


また、


電話ボックス。


「……」


三回目。


四回目。


五回目。


何度走っても、


同じ電話ボックスが現れる。


俺は、


車を停めた。


時計を見る。


午後十一時四十七分。


最初に電話ボックスへ入ったのは、


午後十時二十一分。


一時間半以上経っている。


なのに、


周囲の景色は、


まったく変わっていない。


雨も、


止まない。


俺は、


車から降りた。


電話ボックスを見る。


そして、


気づいた。


電話ボックスの中に、


誰かいる。


女だった。


背を向けている。


長い髪。


白い服。


俺は、


声をかけられなかった。


女は、


電話をしている。


受話器を耳に当てている。


そして、


泣いていた。


俺は、


少しずつ近づいた。


女が、


電話に向かって言っている。


「帰れない」


俺は、


立ち止まった。


「帰れないの」


女は泣いている。


「家に帰りたい」


そして、


突然、


こちらを振り返った。


顔が、


なかった。


目も。


鼻も。


口も。


何もない。


俺は、


悲鳴を上げた。


その瞬間、


電話ボックスの電話が鳴った。


女は消えた。


俺だけが、


そこに立っている。


――ジリリリリリ。


俺は、


逃げようとした。


しかし、


電話の音が止まらない。


――ジリリリリリ。


俺は、


受話器を取った。


「……もしもし」


男の声。


「遅い」


「……」


「ずっと待ってた」


「誰だ」


「お前だよ」


俺は、


息を止めた。


「……俺?」


「そう」


男が笑った。


「お前、


家に帰りたいんだろ?」


「……」


「じゃあ、


帰してやる」


「どうやって?」


「電話を切らなければいい」


「……」


「ずっと話していれば、


帰れる」


俺は、


電話を切ろうとした。


だが、


受話器が手から離れない。


「……何だこれ」


「切るな」


男が言った。


「切ったら、


お前の代わりに、


誰かが帰る」


「……誰が?」


「お前が一番大切な人」


俺は、


妻と娘の顔を思い浮かべた。


「やめろ」


「選べ」


「何を?」


「帰るのは、


お前か、


家族か」


「……」


「どっち?」


電話の向こうで、


娘の声がした。


「パパ」


俺は、


叫んだ。


「娘!」


「パパ、


助けて」


「今行く!」


「でも、


お母さんが……」


そこで、


娘の声が変わった。


低い男の声。


「どっちを選ぶ?」


電話が切れた。


---


俺は、


車へ戻った。


エンジンをかける。


今度は、


普通に動いた。


ナビを見る。


現在地が、


正常に動いている。


「……帰れる」


俺は、


家へ向かった。


午前零時四十分。


家に着いた。


玄関の前。


明かりがついている。


俺は、


深呼吸した。


そして、


ドアを開けた。


「ただいま」


返事がない。


「……?」


リビングへ行く。


誰もいない。


寝室。


誰もいない。


子供部屋。


娘が寝ている。


「……」


俺は、


娘を起こした。


「大丈夫か?」


娘が、


目を開けた。


「パパ?」


「お母さんは?」


「寝てるよ」


俺は、


安心した。


「怖くなかった?」


娘が、


首を傾げる。


「何が?」


「電話しただろ?」


「してないよ」


「……」


「パパ、


夢見たの?」


俺は、


何も言えなかった。


妻も、


寝室で眠っていた。


何も変わっていない。


玄関も、


鍵がかかっている。


窓も閉まっている。


俺は、


安心した。


あれは、


全部、


夢だったのだ。


そう思った。


---


翌朝。


妻が、


俺に聞いた。


「昨日、


何時に帰ってきた?」


「十一時半くらい」


妻が、


首を傾げた。


「おかしいな」


「何が?」


「私、


昨日、


あなたが帰ってきたの、


午前一時だったと思う」


「……」


俺は、


時計を見た。


昨夜の記憶が、


曖昧だった。


電話ボックス。


車。


帰宅。


そして、


娘。


「……」


妻が言った。


「ねえ」


「何?」


「昨日、


あなたから電話があった後、


玄関を開けたの」


俺は、


凍った。


「……何で?」


「あなたが外にいると思ったから」


「俺は、


開けるなって言っただろ」


妻が、


首を傾げた。


「言ってないよ」


「……」


「電話で、


『開けて』って言ったの、


あなたでしょ?」


俺は、


背中が冷たくなった。


「俺は、


開けるなって……」


妻が、


俺を見る。


「誰と電話してたの?」


「……」


俺は、


答えられなかった。


妻が続ける。


「昨日、


あなたが帰ってきたとき」


「うん」


「玄関に、


泥の足跡があった」


「……」


「二人分」


俺は、


玄関を見る。


何もない。


掃除されている。


「もう消したよ」


妻が言った。


「でも、


変だった」


「何が?」


「足跡」


妻が、


小さな声で言った。


「外から家の中へ入ってきた足跡じゃなかった」


「……」


「家の中から、


玄関へ向かってた」


俺は、


黙った。


妻は、


さらに言った。


「しかも」


「……」


「一人分は、


裸足だった」


---


その日から、


俺は電話ボックスのことを調べ始めた。


ネットで検索した。


場所。


噂。


過去の事故。


古い掲示板。


そして、


一つの記事を見つけた。


かなり古い記事だった。


山道の電話ボックスについて書かれている。


そこには、


こんな話が載っていた。


昔、


この場所で、


若い女性が事故に遭った。


事故の直前、


彼女は公衆電話から家へ電話をかけていた。


「帰る」


そう伝えた。


しかし、


彼女は帰らなかった。


事故で亡くなった。


それ以来、


深夜にその電話ボックスから電話をかけると、


「家に帰りたい」という女の声が聞こえる。


そして、


電話を受けた人間の家に、


何かが帰ってくる。


俺は、


画面を閉じた。


くだらない。


そう思いたかった。


だが、


その記事の最後に、


一つだけ、


気になる文章があった。


――「電話に出た人は、自分の家族から『帰ってきた人が違う』と言われる」


俺は、


画面を見つめた。


その瞬間。


リビングから、


娘の声が聞こえた。


「パパー」


俺は、


立ち上がった。


「どうした?」


娘が、


廊下に立っている。


「ママが呼んでる」


「どこにいる?」


「玄関」


俺は、


玄関へ向かった。


妻が立っていた。


背中を向けている。


「どうした?」


妻は、


振り返らない。


「……」


「おい」


妻が、


ゆっくり振り返った。


顔は、


普通だった。


「あなた」


「何?」


「電話、


鳴ってるよ」


「……電話?」


妻が、


玄関の横を指差す。


そこに、


電話などない。


しかし、


音が聞こえる。


――ジリリリリリ。


――ジリリリリリ。


俺のスマートフォンではない。


家の電話でもない。


もっと古い音。


公衆電話の音。


俺は、


玄関のドアを見る。


ドアの外から、


鳴っている。


――ジリリリリリ。


俺は、


ドアを開けなかった。


妻が言う。


「出ないの?」


「……」


「電話、


鳴ってるよ」


娘も言った。


「パパ、


出て」


俺は、


二人を見る。


妻。


娘。


そして、


気づいた。


二人とも、


瞬きをしていない。


「……」


俺は、


後ずさった。


妻が、


首を傾げる。


「どうしたの?」


娘が、


笑う。


「パパ、


怖いの?」


俺は、


逃げようとした。


だが、


背後に、


もう一人、


誰かが立っていた。


振り返る。


女。


白い服。


長い髪。


顔がない。


女は、


俺の耳元に近づいた。


そして、


囁いた。


「電話、


取って」


俺は、


目を閉じた。


その瞬間。


すべての音が消えた。


---


目を開ける。


朝だった。


俺は、


車の中にいた。


場所は、


あの電話ボックスの前。


運転席。


手には、


公衆電話の受話器。


「……」


電話の向こうから、


妻の声が聞こえる。


「あなた?」


俺は、


泣きそうになった。


「……何?」


「今、


どこ?」


「分からない」


「早く帰ってきて」


「うん」


妻が、


言った。


「でも、


一つだけ聞いて」


「何?」


「あなた、


昨日からずっと電話してるよね?」


「……」


「誰と話してるの?」


俺は、


受話器を握った。


「俺は、


ずっと一人だった」


妻が、


沈黙した。


そして、


小さな声で言った。


「……違うよ」


「何が?」


「あなた、


今、


電話ボックスの中に二人いる」


俺は、


ゆっくり顔を上げた。


電話ボックスのガラスに、


自分の姿が映っている。


そして、


その後ろに、


もう一人。


同じ顔。


同じ服。


同じ身体。


もう一人の俺が、


笑っていた。


俺は、


振り返らなかった。


電話の向こうで、


妻が叫ぶ。


「振り返らないで!」


俺は、


目を閉じた。


すると、


背後の俺が、


囁いた。


「帰ろう」


「……」


「お前の家へ」


「……」


「お前の家族、


待ってるぞ」


そして、


もう一人の俺が、


笑った。


「俺が、


先に帰ったけどな」


電話が切れた。


---


それから、


俺は帰っていない。


今、


俺がどこにいるのかも、


正確には分からない。


電話ボックスの中にいる。


外は、


ずっと雨。


誰も通らない。


何日経ったのかも分からない。


ただ、


時々、


車が通る。


そのたびに、


俺は立ち上がる。


助けを求める。


けれど、


誰も止まらない。


電話は、


鳴る。


毎晩。


同じ時間。


午前二時十三分。


そして、


電話に出ると、


必ず、


誰かが言う。


「家に帰りたい」


俺は、


答えない。


答えてはいけない。


でも、


昨日。


一人の男が、


電話ボックスに入ってきた。


若い男だった。


雨宿りだった。


「こんなところに電話あるんだ」


男は笑った。


俺は、


必死に首を振った。


「使うな」


声が出ない。


男は、


俺のことを見ていない。


俺が見えていない。


そして、


受話器を取った。


――ジリリリリリ。


電話が鳴った。


男が、


受話器を取る。


「もしもし?」


俺は、


叫んだ。


「やめろ!」


男には、


聞こえない。


電話の向こうから、


女の声。


「お父さん?」


男が笑った。


「はい?」


その瞬間。


電話ボックスのガラスに、


もう一人の男が映った。


男の後ろ。


顔は、


俺だった。


そして、


ガラスの中の俺が、


こちらを見て、


笑った。


俺は、


そこで理解した。


ここは、


電話ボックスじゃない。


**家へ帰れなくなった人間を、


次の人間へ渡す場所なのだ。**


だから、


誰かが電話を使うたびに、


一人が帰れる。


そして、


一人が、


ここに残る。


俺は、


もう帰れない。


けれど、


俺の代わりに、


誰かが帰ればいい。


そう考えた瞬間。


電話の向こうから、


妻の声がした。


「あなた」


俺は、


受話器を握った。


「早く帰ってきて」


そして、


妻は、


こう言った。


「あなたの代わりの人、


もう家にいるから」


電話が切れた。


俺は、


笑った。


泣きながら、


笑った。


そして、


次に電話ボックスへ入ってきた男へ、


こう言った。


「電話、


使いますか?」


男が、


頷いた。


受話器を取る。


電話が鳴る。


――ジリリリリリ。


俺は、


その音を聞きながら、


初めて、


自分の顔が、


少しずつ消えていくのを感じた。


目が消えた。


鼻が消えた。


口が消えた。


最後に、


耳だけが残った。


電話の向こうから、


誰かの声が聞こえる。


「お父さん?」


俺は、


笑った。


そして、


答えた。


「うん」


「帰ってきて」


「……分かった」


「いつ帰るの?」


俺は、


電話ボックスの外を見た。


雨が降っている。


暗い山道。


誰もいない。


そして、


俺は言った。


「今、


帰るよ」


――北海道・第四話 終。




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