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日本の怖い話  作者: こうた


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17/21

宮城・第一話

海に映る人


「海を見ながら、自分の名前を呼んではいけない」


宮城県の海沿いに住む人から、そんな話を聞いたことがある。


理由を聞くと、


「海にいるものに、自分の居場所を教えるから」


そう言われた。


もちろん、俺は信じなかった。


そんな迷信があるわけがない。


そう思っていた。


あの夜、


海の上にいた「自分」を見るまでは。


---


俺が宮城へ行ったのは、


仕事のためだった。


一週間ほど滞在する予定で、


宿泊先は松島から少し離れた海沿いの古い旅館。


観光目的ではない。


仕事が終わったあと、


旅館へ戻るだけの日々だった。


ただ、


最初の日から気になることがあった。


旅館の廊下の突き当たり。


そこに、


大きな鏡が置かれている。


古い鏡だった。


枠は黒く、


ところどころ傷がある。


そして、


鏡の上には、


小さな紙が貼られていた。


「夜間、鏡を覗かないでください」


俺は、


思わず笑った。


「なんだこれ」


仲居さんに聞く。


「この鏡、


何かあるんですか?」


仲居さんは、


少し困った顔をした。


「……昔からあるんです」


「それだけ?」


「はい」


「夜に見ると怖いとか?」


仲居さんは、


笑わなかった。


「見ないほうがいいですよ」


「何か見えるんですか?」


「自分です」


「自分?」


「……自分じゃない自分が」


それだけ言って、


仲居さんは立ち去った。


---


その夜。


仕事を終えて、


午後十一時過ぎ。


俺は廊下を歩いていた。


部屋へ戻る途中、


突き当たりの鏡が見える。


照明が一つだけ。


その下に、


鏡。


俺は、


何となく足を止めた。


鏡の中に、


自分が映っている。


当然だ。


黒いスーツ。


疲れた顔。


乱れた髪。


右手にはスマホ。


左手には鞄。


何もおかしくない。


俺は、


歩き出した。


その瞬間。


鏡の中の俺が、


動かなかった。


「……」


俺は、


振り返る。


誰もいない。


もう一度、


鏡を見る。


俺がいる。


普通に立っている。


「……疲れてるな」


そう呟いて、


部屋へ戻った。


---


翌朝。


朝食を食べていると、


仲居さんが聞いてきた。


「昨夜、


鏡を見ましたか?」


「……え?」


「いえ」


俺は、


嘘をついた。


「見てません」


仲居さんは、


しばらく俺を見た。


そして、


小さく頷いた。


「そうですか」


「何かあるんですか?」


「……いいえ」


それ以上、


何も言わなかった。


---


その日の仕事が終わったあと、


俺は一人で松島へ向かった。


夕方の海は綺麗だった。


観光客も多い。


島々が海に浮かび、


夕日が水面を赤く染めている。


昼間なら、


何も怖くない。


むしろ、


美しい。


俺は、


海沿いを歩いた。


写真を撮る。


そのとき、


スマホに通知が入った。


写真が一枚、


自動保存されている。


俺が撮った覚えのない写真。


海。


夕暮れ。


松島の島々。


そして、


画面の端に、


人が立っている。


「……?」


拡大する。


男。


後ろ姿。


黒い服。


俺と同じ服。


「……」


俺は、


自分の服を見る。


黒いスーツ。


写真の男も、


黒いスーツ。


だが、


俺は写真を撮るとき、


一人だった。


「誰だ?」


周囲を見る。


誰もいない。


もう一度、


写真を見る。


男が、


少し近づいている。


「……え?」


さっきより、


明らかに大きい。


写真を撮り直す。


今度は、


男がいない。


俺は、


気味が悪くなって、


その場を離れた。


---


旅館に戻る。


部屋に入る。


スマホを机に置く。


風呂に入り、


テレビを見る。


午前零時。


寝ようとした。


そのとき。


スマホが鳴った。


写真アプリからの通知。


「思い出を振り返りませんか?」


俺は、


何気なく開いた。


数年前の写真。


東京。


大阪。


北海道。


そして、


宮城。


まだ今日の写真も表示されている。


スクロールする。


すると、


奇妙な写真があった。


昨日の日付。


場所は、


宮城。


写真は、


海。


そして、


俺。


俺が海の中に立っている。


「……」


息が止まった。


写真の中の俺は、


膝まで海に浸かっている。


こちらを向いている。


笑っている。


だが、


俺は昨日、


海に入っていない。


そもそも、


昨日は夜まで仕事だった。


「加工?」


写真の詳細を見る。


位置情報。


撮影時間。


23:47。


昨日の夜。


俺が旅館の部屋にいた時間。


俺は、


その写真を消した。


---


午前二時。


眠れない。


布団に入っていると、


廊下から音がする。


ペタ。


ペタ。


ペタ。


裸足で歩いているような音。


「……」


旅館の廊下。


誰かが歩いている。


ペタ。


ペタ。


ペタ。


音が、


俺の部屋の前で止まった。


「……」


ノック。


コン。


コン。


コン。


俺は、


黙っていた。


「……」


もう一度。


コン。


コン。


コン。


そして、


声。


「すみません」


女性の声。


「……」


「開けてもらえますか?」


俺は、


返事をしなかった。


「寒いんです」


女性が言う。


「外に出られなくて」


俺は、


ドアを見つめる。


「お願いします」


声が、


少しずつ近づく。


「開けてください」


ドアの向こう。


すぐそこ。


俺は、


布団の中で固まった。


そして、


女性が言った。


「あなた、


私を見ませんでしたか?」


「……」


「海で」


俺は、


息を止めた。


「昨日、


海で」


沈黙。


「私を、


見ませんでしたか?」


俺は、


答えなかった。


すると、


女性が笑った。


「そうですか」


足音が離れていく。


ペタ。


ペタ。


ペタ。


廊下の奥へ。


そして、


消えた。


---


朝。


旅館の人に聞く。


「昨夜、


誰か廊下を歩いてませんでした?」


「いいえ」


「女性の声を聞いたんですけど」


仲居さんの顔色が変わった。


「……どんな声でした?」


「若い女性」


「何て?」


俺は、


言った。


「海で私を見ませんでしたか、


って」


仲居さんは、


黙った。


「知ってるんですか?」


「……昔、


同じことを言った人がいました」


「誰です?」


「お客さんです」


「その人、


どうなったんですか?」


仲居さんは、


答えなかった。


---


その日の夜。


俺は、


鏡の前に立った。


昼間なら大丈夫。


そう思った。


鏡を見る。


俺が映っている。


普通だ。


右手を上げる。


鏡の中も、


右手を上げる。


笑う。


鏡の中も笑う。


「……」


何もない。


俺は、


安心した。


そのとき。


鏡の中の俺が、


俺より先に笑った。


「……」


俺は、


笑っていない。


鏡の中だけが、


笑っている。


俺は、


一歩後ろへ下がった。


鏡の中の俺は、


動かない。


ただ、


笑っている。


そして、


口を動かした。


声は聞こえない。


でも、


何と言っているか分かった。


「やっと見つけた」


俺は、


逃げた。


---


部屋に戻る。


ドアを閉める。


鍵をかける。


スマホを見る。


通知。


写真が一枚。


また、


自動保存。


海。


今度は、


夜。


海の中に、


俺が立っている。


そして、


その後ろに、


女がいる。


白い服。


長い髪。


顔は見えない。


俺は、


写真を削除した。


数秒後。


また通知。


同じ写真。


削除。


また出る。


削除。


また出る。


十回。


二十回。


何度消しても、


戻ってくる。


そして、


写真の中の俺が、


少しずつ、


こちらへ近づいてくる。


「……」


三枚目。


海から、


膝。


四枚目。


腰。


五枚目。


胸。


六枚目。


首。


そして、


七枚目。


完全に陸へ上がっている。


写真の中の俺が、


カメラを見ている。


笑っている。


その隣に、


女が立っている。


今度は、


女の顔が見えた。


俺は、


スマホを落とした。


その女は、


俺の母親だった。


---


母は、


三年前に亡くなっている。


写真に映るはずがない。


俺は、


震える手で、


母の写真を探した。


スマホのアルバム。


母。


幼い頃。


家族旅行。


葬儀。


最後の写真。


全部ある。


そして、


さっきの写真を見る。


母が、


海の中に立っている。


俺の肩に、


手を置いている。


「……母さん」


その瞬間。


スマホが鳴った。


着信。


母


俺は、


画面を見つめた。


ありえない。


それでも、


着信は続く。


出る。


「……もしもし」


返事はない。


海の音。


ザー。


ザー。


ザー。


「母さん?」


女性の声。


「……どうして返事しなかったの?」


俺は、


凍った。


「あなたが呼んだのに」


「……」


「海で」


「俺は呼んでない」


「呼んだよ」


「呼んでない!」


電話の向こうで、


母が笑った。


「じゃあ、


誰があなたを呼んだの?」


その瞬間。


電話が切れた。


---


俺は、


旅館を出ようとした。


荷物をまとめる。


玄関へ向かう。


仲居さんが、


俺を見る。


「お帰りですか?」


「はい」


「……」


仲居さんが、


俺の後ろを見る。


顔色が変わる。


「どうしました?」


「……いえ」


「何です?」


「あなた、


一人で来ましたよね?」


「はい」


仲居さんは、


震えながら言った。


「では、


後ろにいる方は、


どなたですか?」


俺は、


振り返らなかった。


玄関のガラスに、


自分が映っている。


その後ろ。


女。


母。


俺の肩に、


手を置いている。


俺は、


走って外へ出た。


---


海沿いを走る。


夜。


観光客はいない。


街灯だけ。


俺は、


駅へ向かう。


電車に乗れば、


帰れる。


そう思った。


駅に着く。


ホーム。


電車が来る。


俺は、


乗り込む。


座席に座る。


息を整える。


窓を見る。


暗い海。


俺の顔が、


ガラスに映っている。


そして、


その隣。


母。


「……」


俺は、


目を閉じた。


見なければいい。


見なければ、


何もない。


電車が動く。


しばらくして、


車内アナウンス。


「次は――」


駅名。


聞き慣れない。


「……?」


窓の外を見る。


海。


ずっと海。


電車が、


海の上を走っている。


「そんな……」


乗客を見る。


誰もいない。


俺一人。


そして、


向かいの席に、


誰か座っている。


黒い服。


顔は見えない。


「……」


俺は、


席を立った。


その人も、


立つ。


俺が歩く。


その人も歩く。


車両を移動する。


その人もついてくる。


俺は、


振り返った。


そこにいたのは、


俺だった。


俺と同じ顔。


同じ服。


同じ鞄。


そして、


そいつが言った。


「ようやく、


こっちに来たね」


「……」


「ずっと待ってた」


「お前は誰だ」


そいつは、


笑った。


「俺?」


「……」


「昨日、


海に入ったほう」


「俺は入ってない」


「そう思ってるだけ」


そいつが、


窓を見る。


俺も見る。


海の上。


遠くに、


島々。


その一つに、


赤い点が見える。


「何だ?」


そいつが言う。


「一つ目」


「……」


「北海道」


俺は、


息を止めた。


「二つ目。


青森」


「……」


「三つ目。


秋田」


「……」


「四つ目。


山形」


俺は、


振り返った。


そいつは、


笑っている。


「そして、


五つ目」


そいつが、


俺を指差した。


「宮城」


---


電車が止まった。


ドアが開く。


駅名は、


表示されていない。


俺は、


ホームへ降りる。


誰もいない。


駅の看板を見る。


文字がない。


ただ、


赤い丸が一つ。


俺は、


それを見つめた。


すると、


背後から声。


「名前を呼んで」


振り返る。


誰もいない。


「呼んで」


また。


「あなた自身の名前を」


俺は、


黙っている。


「呼ばないと、


帰れないよ」


俺は、


答えなかった。


すると、


海の向こうから、


大量の声が聞こえた。


男。


女。


老人。


子供。


知らない人。


知っている人。


全員が、


同じ言葉を叫んでいる。


「呼んで」


俺は、


耳を塞いだ。


それでも聞こえる。


「呼んで」


「呼んで」


「呼んで」


そして、


最後に。


俺自身の声。


耳元で、


囁いた。


「俺の名前は――」


俺は、


反射的に、


その続きを言いそうになった。


だが、


寸前で口を閉じた。


その瞬間。


世界から、


音が消えた。


---


気がつくと、


朝だった。


俺は、


駅のベンチに座っていた。


見覚えのある駅。


普通の駅。


人もいる。


電車も走っている。


俺は、


立ち上がった。


スマホを見る。


昨日の写真。


すべて消えている。


母からの着信もない。


旅館の予約も、


仕事の予定も、


すべて正常。


俺は、


安心した。


夢だった。


全部、


夢だった。


そう思った。


そのとき。


スマホに、


一枚だけ写真が残っていた。


見覚えのない写真。


日本地図。


北海道から鹿児島まで。


そして、


四つの赤い点。


北海道。


青森。


秋田。


山形。


そして、


五つ目。


宮城。


俺は、


写真を削除しようとした。


できない。


画面に、


文字が表示される。


「残り42」


「……」


俺は、


意味が分からなかった。


その直後。


スマホの画面が、


勝手に切り替わる。


カメラ。


インカメラ。


俺の顔。


普通の顔。


だが、


俺の後ろ。


誰かが立っている。


黒い服。


俺と同じ顔。


そして、


そいつが、


ゆっくり口を開いた。


声は聞こえない。


けれど、


何と言っているのか、


分かった。


「次は福島」


画面が暗くなった。


――宮城・第一話 終。

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