秋田・第四話
座敷にいる人数
「この村では、夜になったら人数を数えないでください」
最初にそう言ったのは、
旅館の主人だった。
俺は笑った。
「人数を数えないって……どういうことです?」
主人は笑わなかった。
「特に、宴会のあとには」
「なぜ?」
「一人、多くなるからです」
---
俺がその村を訪れたのは、
仕事のためだった。
秋田県内の山間部にある、
人口の少ない集落。
古い家屋が多く残っていて、
昔ながらの風習も残っている。
俺は、
地域文化を記録する雑誌の編集者だった。
取材相手は、
村の古老だった。
名前は、
佐藤源一。
八十を超えている。
「昔の祭りについて話を聞きたい」
そうお願いすると、
老人は快く応じてくれた。
ただ、
一つだけ条件を出した。
「夜の宴会には参加してくれ」
「宴会ですか?」
「この村のことを知りたいなら、
酒を飲むだけじゃなく、
人の顔を見なきゃいけない」
その言葉の意味を、
俺は理解していなかった。
---
午後六時。
古い民家の座敷に、
十人ほどの村人が集まった。
料理が並ぶ。
酒が並ぶ。
笑い声が響く。
最初は、
普通の宴会だった。
「この村は昔、
もっと人がいたんだ」
老人が言った。
「何人くらい?」
「今の倍以上だ」
「それが、
なぜ減ったんです?」
老人は、
箸を置いた。
「逃げたんだ」
「何から?」
「村から」
「……」
老人は笑った。
「怖いものがあったからな」
俺は、
冗談だと思った。
「どんな?」
「夜になると、
家の中の人数が増える」
周囲の村人たちが、
一瞬だけ黙った。
俺は笑った。
「それ、
有名な怪談ですか?」
「怪談じゃない」
老人が言った。
「昔の村では、
本当に起きていた」
---
宴会が進む。
酒が入り、
村人たちの口も軽くなった。
俺は、
古い祭りについて質問した。
「昔の祭りでは、
家の中に人を集めたんですか?」
「そうだ」
「何人くらい?」
老人は、
指を折った。
「家族全員」
「それだけ?」
「それだけじゃない」
老人は、
俺を見る。
「一人、
余分に座る」
「……誰が?」
「誰でもない」
「?」
「座布団だけ置く」
俺は、
笑った。
「空席を作るんですか?」
「そう」
「何のために?」
老人は、
答えなかった。
代わりに、
隣の男が言った。
「そこには、
村の外から来た者が座る」
俺は、
眉をひそめた。
「旅人?」
「そうじゃない」
男は、
酒を飲んだ。
「帰る場所を失った者だ」
---
午後九時。
宴会は、
さらに盛り上がっていた。
俺は、
人数を数えた。
老人。
男。
女。
若者。
子供。
全部で十一人。
……いや。
十二人。
俺は、
もう一度数えた。
十二人。
「……」
知らない女が、
一人いた。
白い服。
長い髪。
座敷の隅に座っている。
俺は、
隣の村人に聞いた。
「あの人、
誰ですか?」
村人は、
女を見た。
そして、
顔を青くした。
「……誰も、
いないだろ」
「え?」
「そこには、
誰もいない」
俺は、
もう一度見る。
女は、
確かにいる。
こちらを見ている。
そして、
笑っている。
「……」
俺は、
酒のせいだと思った。
目を逸らした。
もう一度見る。
いない。
「……」
消えた。
「見間違いか」
そう思った。
だが、
その直後。
老人が、
突然立ち上がった。
「宴会は終わりだ」
「え?」
「全員、
帰れ」
村人たちが、
一斉に立ち上がった。
俺だけが、
取り残される。
「どうしたんです?」
老人は、
俺の肩を掴んだ。
「お前、
人数を数えたな?」
「……はい」
老人は、
小さな声で言った。
「だから、
見つかった」
---
俺は、
その夜、
旅館へ戻った。
部屋に入り、
鍵をかける。
「……」
疲れていた。
布団に入る。
眠ろうとする。
すると、
廊下から、
足音がした。
トン。
トン。
トン。
誰かが歩いている。
止まる。
俺の部屋の前。
コン。
ノック。
「はい?」
返事はない。
コン。
コン。
「どなたですか?」
すると、
女性の声。
「人数を数えて」
俺は、
凍った。
「……」
「何人いる?」
俺は、
答えなかった。
「ねえ」
「……」
「今、
部屋に何人いる?」
俺は、
一人だ。
そう答えようとした。
しかし、
その瞬間。
背後から、
声がした。
「二人」
俺は、
ゆっくり振り返った。
誰もいない。
「……」
もう一度。
「二人」
今度は、
ベッドの下。
俺は、
動けなかった。
「誰だ」
返事はない。
ただ、
ベッドの下から、
手が一本、
ゆっくり出てきた。
白い手。
「……」
手が、
床を這う。
指が、
俺の足首へ向かってくる。
俺は、
後ずさった。
「来るな!」
手が止まる。
そして、
女性の声。
「一人増えたね」
---
俺は、
部屋から飛び出した。
廊下には、
誰もいない。
旅館の主人の部屋へ走る。
ドアを叩く。
「助けてください!」
主人が、
出てくる。
「どうしました?」
「部屋に何かいる!」
主人は、
俺を見る。
「何人?」
「……え?」
「部屋には、
何人いました?」
「一人です」
主人は、
黙った。
「本当に?」
「はい」
「なら、
まだ大丈夫です」
「何が?」
主人は、
部屋の中を見る。
そして、
小さな声で言った。
「あなたの後ろに、
一人いる」
俺は、
振り返らなかった。
---
翌朝。
俺は、
村の老人を訪ねた。
「昨日の女は何です?」
老人は、
驚かなかった。
「見たか」
「はい」
「何人でした?」
「十二人」
老人は、
首を横に振った。
「違う」
「?」
「最初から、
十三人いた」
「……」
「お前が数えたことで、
十三人目が、
お前に気づいた」
俺は、
言葉を失った。
「じゃあ、
あの女は?」
老人は、
答えた。
「この村では、
昔から『余り』と呼んでいる」
「余り?」
「人間の人数に入らない」
「じゃあ、
何なんです?」
「分からない」
老人は、
遠くを見る。
「ただ、
一つだけ分かっている」
「何です?」
「余りが出た家では、
必ず一人、
いなくなる」
---
その日の午後。
俺は、
帰ろうとした。
村から出る。
車に乗る。
エンジンをかける。
だが、
村の出口に、
人が立っていた。
老人だった。
「帰るのか?」
「はい」
「なら、
最後に一つだけ聞く」
「何です?」
老人は、
俺の目を見る。
「昨日の宴会で、
誰が一番最初に、
あの女を見た?」
俺は、
考えた。
「……俺です」
老人は、
頷いた。
「そうだな」
「それが?」
「なら、
もう決まった」
「何が?」
老人は、
笑った。
「次にいなくなるのは、
お前だ」
---
俺は、
車を走らせた。
村を出る。
山道を下る。
しばらくして、
スマートフォンが鳴った。
村の編集担当者からだった。
「もしもし?」
『今、
どこですか?』
「帰ってます」
『そうですか』
「どうしました?」
『さっき、
村の方から連絡がありました』
「何て?」
『あなた、
まだ村にいるって』
俺は、
笑った。
「何言ってるんですか。
今、
車で帰ってますよ」
『……』
「もしもし?」
しばらく、
沈黙。
『写真、
送ります』
画像が届いた。
俺は、
信号待ちで、
画面を開いた。
昨夜の宴会の写真だった。
座敷に、
村人たちが並んでいる。
俺もいる。
そして、
隅に、
あの女。
俺は、
拡大した。
さらに、
拡大。
「……」
女の隣に、
一人、
男が座っている。
俺だ。
だが、
おかしい。
俺は、
写真を撮った覚えがない。
さらに、
その写真の奥。
壁に掛かった鏡。
鏡の中に、
座敷が映っている。
そこにいる人数を、
数えた。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
六人。
七人。
八人。
九人。
十人。
十一人。
十二人。
十三人。
十四人。
「……」
十四人。
写真の中の座敷には、
十四人いる。
俺は、
もう一度、
数えた。
十四人。
そして、
十四人目が、
こちらを向いた。
---
その顔を見て、
俺は、
急ブレーキを踏んだ。
「……」
十四人目。
それは、
俺だった。
だが、
写真の中の俺は、
笑っている。
現実の俺は、
笑っていない。
写真の中の俺が、
こちらに向かって、
手を振っている。
そして、
スマートフォンに、
メッセージが届いた。
知らない番号。
「今、何人?」
俺は、
スマートフォンを落とした。
車内を見る。
俺一人。
「……一人」
思わず、
呟いた。
その瞬間。
後部座席から、
声。
「二人」
俺は、
振り返った。
誰もいない。
「……」
助手席を見る。
誰もいない。
だが、
シートベルトが、
締まっている。
誰かが、
座っているように。
---
俺は、
車を捨てて、
走った。
道路を走る。
山を下りる。
人家が見える。
コンビニが見える。
俺は、
店へ飛び込んだ。
「助けてください!」
店員が、
驚く。
「どうしました?」
「後ろに、
誰かいるんです!」
店員は、
俺の後ろを見る。
「誰もいませんよ」
「本当に?」
「はい」
俺は、
安堵した。
水を買う。
レジに並ぶ。
店員が、
言った。
「お客様」
「はい?」
「お連れ様は?」
「……」
「先ほどから、
ずっと後ろに立っていますが」
俺は、
振り返らなかった。
店員が、
顔を青くする。
「……」
「どうしました?」
「いえ……」
店員は、
俺の後ろを見ながら、
小さな声で言った。
「お客様の後ろ、
三人います」
---
俺は、
その場から逃げた。
警察へ向かった。
すべて話した。
警察官は、
俺の話を聞いてくれた。
そして、
村へ確認の電話をした。
しかし。
「そんな宴会は、
昨日はありません」
「……」
「村の住民にも確認しましたが、
あなたを知っている人はいません」
俺は、
混乱した。
「老人は?」
「誰です?」
「佐藤源一」
警察官は、
名簿を調べた。
「……その名前の方は、
この村にはいません」
「そんなはず……」
俺は、
言葉を失った。
「昨日、
俺は確かに……」
警察官が、
俺の肩に手を置く。
「落ち着いてください」
その瞬間。
別の警察官が、
奥から走ってきた。
「すみません」
「どうしました?」
「この人の話、
聞いたことがあります」
「?」
「去年も、
同じことを言ってきた人がいます」
俺は、
顔を上げた。
「誰です?」
警察官は、
一枚の写真を出した。
そこに写っていたのは、
去年、
行方不明になった男性だった。
「この人です」
写真を見る。
俺は、
絶句した。
男性の後ろ。
村の宴会場らしき場所。
そして、
その隅に、
女が一人。
---
俺は、
写真を受け取った。
裏を見る。
日付。
一年前。
そして、
鉛筆で書かれた文字。
「宴会の人数は十三人」
その下に、
さらに一行。
「一人多い」
俺は、
震えた。
警察官が言う。
「この男性は、
最後にこう言っていました」
「……何を?」
「『人数を数えると、
消される』と」
「……」
「その後、
行方不明になりました」
---
俺は、
その日のうちに、
秋田を離れた。
自宅へ帰る。
妻が迎えてくれた。
「お帰り」
俺は、
妻を抱きしめた。
「……怖かった」
「何が?」
「何でもない」
その夜。
妻と二人で、
夕食を食べた。
テレビを見た。
普通の生活。
何も起きない。
「大丈夫だ」
俺は、
そう思った。
午後十一時。
妻が、
突然聞いた。
「ねえ」
「ん?」
「今日、
何人だった?」
「……」
「何が?」
「私たち」
俺は、
笑った。
「二人だろ」
妻は、
不思議そうな顔をした。
「……そうだよね」
「どうした?」
「ううん」
妻は、
立ち上がった。
「お風呂入ってくる」
妻が、
部屋を出る。
俺は、
テレビを見る。
画面には、
ニュース。
何気なく、
時計を見る。
午後十一時十三分。
その瞬間。
玄関から、
音。
コン。
コン。
コン。
俺は、
立ち上がった。
「誰?」
返事はない。
コン。
コン。
コン。
そして、
女性の声。
「人数を数えて」
俺は、
動けなかった。
「……」
「今、
家に何人いる?」
俺は、
答えない。
すると、
背後から、
妻の声。
「三人」
俺は、
振り返った。
妻が、
立っている。
「……」
「どうしたの?」
「今、
何て言った?」
妻は、
笑う。
「三人って」
「……」
「私とあなたと――」
妻が、
ゆっくり、
俺の後ろを指差した。
「――あの人」
俺は、
振り返らなかった。
妻の顔を見る。
「……誰?」
妻は、
笑っている。
「昨日から、
ずっといるでしょう?」
---
俺は、
動けなかった。
妻が、
近づいてくる。
「ねえ」
「……」
「どうして、
そんな顔してるの?」
「お前には、
見えてるのか?」
「もちろん」
「誰が?」
妻は、
俺の耳元で、
囁いた。
「十三人目」
その瞬間。
家中の照明が、
消えた。
暗闇。
妻の声。
「一人」
俺の声。
「……」
妻の声。
「二人」
そして、
三人目の声。
俺のすぐ後ろから。
「三人」
俺は、
目を閉じた。
「……」
声が、
次々に増えていく。
「四人」
「五人」
「六人」
「七人」
「八人」
「九人」
「十人」
「十一人」
「十二人」
「十三人」
俺は、
叫んだ。
「やめろ!」
静かになる。
そして、
最後の声。
俺とまったく同じ声。
「十四人」
---
電気が戻った。
俺は、
一人で立っていた。
妻はいない。
家の中にも、
誰もいない。
テーブルの上に、
夕食が二人分。
そして、
もう一つ。
誰も座っていない椅子。
その椅子には、
白い座布団。
俺は、
近づかなかった。
だが、
座布団の上に、
紙が置かれている。
震える手で、
紙を見る。
そこには、
一行。
「席が一つ足りません」
俺は、
理解した。
今まで、
一人増えると思っていた。
違った。
この怪異は、
人を増やしているんじゃない。
**最初からいる人間を、
一人ずつ消している。**
そして、
消えた人間の代わりに、
「余り」が、
席を埋める。
俺は、
家族の写真を見る。
妻。
俺。
二人。
……いや。
違う。
写真の中に、
妻しかいない。
俺の姿が、
消えている。
その瞬間。
背後から、
妻の声がした。
「あなた」
俺は、
振り返った。
妻が立っている。
泣いている。
「どこに行ってたの?」
「……」
「ずっと探してた」
「俺はここにいる」
妻は、
首を横に振る。
「違うよ」
「……」
「あなたは、
もういない」
俺は、
後ろを見る。
白い座布団。
そこに、
誰かが座っている。
俺だった。
俺と同じ顔。
俺と同じ服。
そいつが、
こちらを見る。
そして、
笑う。
「人数、
合ったね」
---
翌朝。
妻は、
警察へ電話した。
「主人がいなくなりました」
警察が来る。
家を調べる。
何もない。
失踪の痕跡もない。
ただ、
座敷の隅に、
白い座布団が一枚。
警察官が、
尋ねる。
「この座布団は?」
妻は、
首を傾げた。
「そんなもの、
昨日はありませんでした」
警察官が、
座布団を持ち上げる。
裏側に、
古い文字が書かれている。
「十三人目」
その瞬間。
家の外から、
村の老人の声が聞こえた。
「人数を数えるな」
警察官が、
玄関を開ける。
誰もいない。
雪だけが、
降っている。
そして、
雪の上には、
十三人分の足跡が残っていた。
家から、
道路へ。
一列に並んで。
最後の一人だけ、
裸足だった。
---
その村では、
今でも年に一度、
古い宴会が開かれるという。
座敷には、
必ず一枚、
余分な座布団が置かれる。
誰もそこには座らない。
そして宴会が終わると、
村人たちは、
絶対に人数を数えない。
なぜなら、
もし数えてしまったら。
そこにいる「余り」が、
自分を見つけてしまうからだ。
そして一番怖いのは、
その宴会に参加した人間が、
翌朝、
自分の家族にこう聞くことだという。
「昨日、
家に帰ったのは、
何人だった?」
その質問をされた家族は、
決して、
答えてはいけない。
答えてしまうと、
今度は、
その家の中で、
人数が変わる。
一人減る。
一人増える。
そして最後には、
誰が本物だったのか、
誰にも分からなくなる。
だから、
秋田のその村では、
夜の宴会が終わったあと、
最後に必ず一つだけ、
言う言葉がある。
「おやすみ」
そして、
絶対に、
こうは言わない。
「また明日」
なぜなら、
「また明日」と言った相手が、
明日も同じ人間とは、
限らないからだ。
――秋田・第四話 終。




