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日本の怖い話  作者: こうた


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11/21

秋田・第三話

帰り道


その山には、


「帰り道」という名前の道がある。


地図には載っていない。


看板にも書かれていない。


ただ、


地元の人間だけが、


そう呼んでいる。


理由を聞いてはいけない。


それが、


この山の決まりだった。


---


「絶対に一人で入るなよ」


そう言ったのは、


山岳ガイドの佐々木だった。


俺は笑った。


「そんな危ない山なの?」


「山が危ないんじゃない」


「じゃあ何が?」


佐々木は、


雪に覆われた山道を見ながら言った。


「帰り道が、


危ない」


俺は、


意味が分からなかった。


---


俺は、


写真家だった。


秋田の雪山を撮影するため、


三日間の予定で、


山に入っていた。


目的は、


人のほとんど来ない場所にある、


古い集落跡。


昔、


十数軒の家があったらしい。


しかし、


雪崩で道が塞がり、


住民は全員、


山を下りた。


今では、


誰も住んでいない。


「廃村を撮影するだけだろ?」


俺が言うと、


佐々木は、


首を横に振った。


「廃村じゃない」


「?」


「人がいなくなった村だ」


「同じじゃない?」


「違う」


佐々木は、


それ以上言わなかった。


---


山へ入った。


雪は深かった。


歩くたびに、


膝まで沈む。


空は曇り。


風もない。


音がない。


自分の呼吸と、


雪を踏む音だけ。


ザク。


ザク。


ザク。


しばらく歩くと、


佐々木が立ち止まった。


「ここから先は、


俺は行かない」


「え?」


「一人で行って」


「案内してくれるんじゃ?」


「ここから先は、


道が変わる」


「道が?」


「うん」


佐々木は、


俺の肩を掴んだ。


「絶対に、


後ろから呼ばれても、


振り返るな」


「誰に?」


「誰でも」


「意味が分からない」


「分からなくていい」


佐々木は、


戻っていった。


俺は、


一人になった。


---


一時間ほど歩く。


雪の中に、


古い電柱が見えた。


「……」


こんな場所に、


電柱?


近づく。


電線はない。


電柱だけが、


何本も続いている。


その先に、


古い家。


さらに、


もう一軒。


そして、


もう一軒。


「……」


村だった。


地図にはない。


完全に雪に埋もれている。


俺は、


カメラを取り出した。


シャッターを切る。


パシャ。


その瞬間。


背後から、


声がした。


「何してるの?」


俺は、


振り返らなかった。


佐々木の言葉を思い出した。


――後ろから呼ばれても、


――振り返るな。


「……」


声が、


もう一度。


「ねえ」


今度は、


女性。


「写真、


撮ってるの?」


俺は、


無視した。


「……」


声が、


近づいてくる。


雪を踏む音。


ザク。


ザク。


ザク。


俺の背後で、


止まった。


「ねえ」


耳元。


「私、


写ってる?」


俺は、


シャッターを切った。


パシャ。


そして、


走った。


---


村の奥へ。


家が並んでいる。


どれも、


古い。


窓は割れている。


屋根は、


雪で潰れている。


しかし、


一軒だけ。


玄関に、


明かりがついていた。


「……」


俺は、


近づいた。


誰か住んでいる?


玄関をノックする。


コン。


コン。


返事がない。


もう一度。


コン。


すると、


中から、


声。


「どうぞ」


女性の声。


俺は、


ドアを開けた。


中は暖かかった。


ストーブが燃えている。


畳。


ちゃぶ台。


湯気の立った鍋。


そして、


女性が一人。


「どうぞ」


女性は、


笑った。


「寒かったでしょう」


「……はい」


「座って」


俺は、


座った。


「ここには、


人が住んでるんですか?」


女性は、


笑うだけだった。


「あなた、


帰るところはある?」


「あります」


「本当に?」


「はい」


「家族は?」


「います」


「名前は?」


「……」


俺は、


なぜか答えたくなかった。


「どうして?」


女性は、


鍋をかき混ぜながら、


言った。


「帰るために、


必要だから」


---


俺は、


立ち上がった。


「もう帰ります」


女性が、


こちらを見る。


「外は、


暗くなってるよ」


窓を見る。


確かに、


外は真っ暗だった。


「……」


「泊まっていけば?」


「いえ」


「ここなら、


怖くないよ」


女性は、


笑っている。


「帰り道が、


分からなくなるから」


俺は、


玄関へ向かった。


女性が、


言った。


「一つだけ、


教えてあげる」


「何ですか?」


「帰り道を探すとき、


絶対に、


自分の名前を呼ばないで」


俺は、


振り返った。


「どうして?」


女性は、


笑った。


「帰り道が、


あなたを見つけるから」


---


外へ出た。


雪。


暗闇。


俺は、


スマートフォンを見る。


圏外。


GPSも、


動かない。


「……」


来た道を戻る。


だが、


おかしい。


村が、


ない。


「……」


振り返る。


家。


さっきまであったはずの家が、


全部消えている。


「……嘘だろ」


雪原だけ。


電柱もない。


道もない。


俺は、


焦った。


「佐々木!」


叫ぶ。


返事はない。


「佐々木!」


風が吹く。


そして、


遠くから。


「……直人」


俺は、


凍った。


俺の名前。


誰かが、


呼んだ。


「直人」


また。


俺は、


口を閉じた。


自分の名前を、


呼び返してはいけない。


だが、


声の主は、


俺の知っている人だった。


母親。


「直人」


俺は、


立ち止まった。


母は、


数年前に亡くなっている。


「直人、


帰っておいで」


「……」


「寒いでしょう」


俺は、


泣きそうになった。


「お母さん……?」


口に出した瞬間。


雪の中から、


大量の声が返ってきた。


「お母さん」


「お母さん」


「お母さん」


「お母さん」


何十人もの声。


俺は、


口を押さえた。


遅かった。


---


雪の中に、


足跡が現れた。


俺の前に、


一本。


そして、


その足跡が、


俺の後ろへ続いていく。


まるで、


誰かが、


俺の足跡を逆向きに歩いている。


ザク。


ザク。


ザク。


後ろから、


足音。


俺は、


振り返らない。


「直人」


母の声。


「振り返って」


「……」


「お母さんだよ」


俺は、


目を閉じた。


「お願い」


「……」


「顔を見せて」


その声が、


突然、


別の声に変わった。


妻の声。


「あなた」


次に、


娘の声。


「パパ」


そして、


俺自身の声。


「直人」


「……」


「振り返れ」


俺は、


走った。


---


どれだけ走ったか、


分からない。


やがて、


木の看板が見えた。


「帰り道」


俺は、


立ち止まった。


「……」


看板の矢印が、


右を向いている。


その先に、


道がある。


「帰れる……」


俺は、


進んだ。


雪道を歩く。


しばらくすると、


見覚えのある場所。


駐車場。


車。


そして、


佐々木が立っていた。


「直人!」


俺は、


駆け寄った。


「佐々木さん!」


「無事だったか!」


「はい!」


「何があった?」


俺は、


話した。


村。


女。


母の声。


帰り道。


佐々木は、


黙って聞いていた。


そして、


最後に、


こう言った。


「……お前、


誰と一緒に歩いてきた?」


「え?」


「さっきから、


お前の後ろにいるだろ」


俺は、


振り返った。


誰もいない。


「……いませんよ」


佐々木が、


青ざめる。


「いる」


「どこ?」


「お前の、


すぐ後ろ」


俺は、


ゆっくり振り返った。


誰もいない。


ただ、


雪の上に、


足跡。


俺のもの。


そして、


その隣に、


もう一人分。


佐々木が、


小さな声で言った。


「……帰ってきたな」


「何が?」


「お前じゃない」


---


俺は、


意味が分からなかった。


「どういうことです?」


佐々木は、


答えない。


「車に乗れ」


「はい」


俺は、


車へ向かった。


だが、


佐々木が、


突然、


俺の腕を掴んだ。


「待て」


「何ですか?」


「お前、


自分の名前、


言ったか?」


「……」


俺は、


思い出した。


村で。


母の声を聞いたとき。


「お母さん……?」


そう言った。


「それだけです」


佐々木は、


顔を覆った。


「……終わった」


「何が?」


「お前、


帰り道を呼んだ」


---


俺は、


笑った。


「何ですか、


それ」


「笑うな」


佐々木は、


真剣だった。


「この山の帰り道は、


道じゃない」


「じゃあ?」


「人間だ」


「……」


「帰り道という名前の、


何かがいる」


---


俺は、


車に乗った。


エンジンをかける。


佐々木も、


助手席に乗る。


「早く、


山を下りよう」


「分かりました」


車を走らせる。


雪道。


ライトに照らされる白い世界。


十分。


二十分。


三十分。


しかし、


山を下りない。


「……」


「おかしい」


佐々木が言った。


「もう、


麓のはず」


俺は、


ブレーキを踏んだ。


道路脇に、


看板。


「帰り道」


「……」


俺たちは、


同時に、


顔を見合わせた。


「さっきも見た」


佐々木が言った。


「同じ場所を、


回ってる」


「……」


そのとき。


後部座席から、


声。


「お帰り」


俺は、


アクセルを踏んだ。


佐々木が、


振り返る。


「見るな!」


だが、


遅かった。


後部座席に、


女性が座っている。


あの家の女。


そして、


その隣に、


もう一人。


母。


「……」


母が、


俺を見る。


「直人」


「……」


「帰ってきたね」


俺は、


目を逸らした。


「お母さん……」


佐々木が、


叫ぶ。


「名前を呼ぶな!」


俺は、


口を閉じた。


母が、


笑う。


「どうして?」


「……」


「私は、


あなたのお母さんでしょう?」


俺は、


何も言わない。


すると、


母の顔が、


ゆっくり変わった。


皮膚が、


雪のように白くなる。


目が、


黒くなる。


口が、


耳まで裂ける。


「違う?」


俺は、


震えた。


「じゃあ、


誰?」


---


車が、


突然止まった。


エンジンが、


消える。


外は、


真っ暗。


佐々木が、


震える手で、


ライトをつける。


前方に、


家。


一軒。


俺が、


さっき入った家。


「……」


佐々木が、


呟く。


「戻された」


「どうするんです?」


「逃げる」


「どこへ?」


佐々木は、


ドアを開けた。


「どこでもいい」


俺も、


降りる。


だが、


佐々木が、


突然、


叫んだ。


「走れ!」


二人で、


雪の中を走る。


後ろから、


大量の足音。


ザク。


ザク。


ザク。


ザク。


振り返らない。


絶対に。


「直人!」


佐々木が、


叫ぶ。


「振り返るな!」


俺は、


走った。


そして、


気づいた。


佐々木の声が、


後ろから聞こえている。


俺の隣に、


佐々木はいない。


「……」


俺は、


立ち止まった。


「佐々木さん?」


返事がない。


後ろを見る。


誰もいない。


雪原。


そして、


一つの足跡。


俺の足跡。


その隣に、


佐々木の足跡。


さらに、


もう一つ。


俺の足跡。


三本。


俺は、


理解できなかった。


---


夜が明けた。


俺は、


山道で発見された。


一人だった。


救助隊によると、


俺は、


登山口から二キロしか離れていなかった。


「一晩、


何をしていたんですか?」


俺は、


説明した。


村。


家。


女性。


佐々木。


だが、


救助隊員は、


不思議そうな顔をした。


「佐々木さん?」


「はい」


「誰ですか?」


「ガイドの佐々木さんです」


「この山に、


佐々木というガイドはいません」


「……」


「あなた、


一人で来たんですよ」


俺は、


首を横に振った。


「違います」


「じゃあ、


誰と?」


俺は、


答えようとした。


その瞬間。


頭の中に、


一つの疑問が浮かんだ。


佐々木の顔。


思い出せない。


声は分かる。


名前も分かる。


でも、


顔だけが、


どうしても思い出せない。


---


病院へ運ばれた。


検査を受ける。


異常なし。


その日の夕方。


妻が、


迎えに来た。


「あなた……」


俺は、


妻を見て、


安心した。


「美香」


妻が、


泣きながら抱きつく。


「無事でよかった」


「ごめん」


「何があったの?」


俺は、


全部話した。


妻は、


黙って聞いていた。


そして、


最後に、


一つだけ聞いた。


「その山、


どこ?」


「……」


俺は、


答えた。


妻の顔が、


変わった。


「そんな山、


ないよ」


「何言ってる?」


「あなた、


昨日からずっと、


病院にいたんだよ」


「……」


「撮影に行くって、


家を出たのは、


三日前」


俺は、


混乱した。


「三日前?」


「うん」


「俺、


山に行った」


「行ってない」


「写真は?」


俺は、


カメラを探した。


カメラは、


あった。


中を見る。


昨日撮った写真。


雪山。


古い家。


廃村。


女性。


母。


佐々木。


そして、


最後の一枚。


俺自身が、


写っている。


雪の中。


一人。


だが、


俺の後ろに、


大量の人間が立っている。


何十人。


全員、


こちらを見ている。


そして、


写真の一番後ろ。


俺のすぐ後ろに、


女性が立っている。


あの家の女。


その女が、


手を伸ばしている。


俺の肩に。


---


その写真を、


拡大した。


女性の口元が、


見える。


何か言っている。


俺は、


唇の形を読む。


「帰ろう」


その瞬間。


病室の窓を、


何かが叩いた。


コン。


コン。


コン。


俺と妻は、


窓を見る。


四階。


外には、


何もない。


また。


コン。


コン。


コン。


妻が、


怯える。


「……何?」


俺は、


答えられない。


すると、


窓ガラスに、


白い指が、


一本だけ現れた。


内側から。


そして、


指で、


文字を書く。


「帰り道」


俺は、


叫びそうになった。


その瞬間。


病室のドアが開いた。


看護師が入ってくる。


「どうしました?」


俺は、


窓を指差した。


「今、


そこに……」


看護師は、


窓を見る。


「何もありませんよ」


「でも!」


看護師は、


不思議そうな顔をする。


そして、


俺の妻を見る。


「……この方、


どなたですか?」


「妻です」


「……」


看護師が、


首を傾げる。


「奥様なら、


先ほどから廊下にいますけど」


俺は、


隣を見る。


妻がいる。


「……」


看護師が、


もう一度、


廊下を見る。


「では、


この方は……?」


俺は、


ゆっくり、


隣にいる女を見る。


妻と同じ顔。


妻と同じ声。


そして、


同じ笑顔。


女が、


俺の耳元で、


囁いた。


「帰ろう」


俺は、


ようやく理解した。


あの山から、


帰ってきたのは、


俺じゃない。


**「帰り道」が、


俺の姿をして、


帰ってきたのだ。**


そして、


本物の俺は、


まだ、


あの山にいる。


雪の中。


あの村で。


帰り道を、


待っている。


――秋田・第三話 終。

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