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日本の怖い話  作者: こうた


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10/21

秋田・第二話

悪い子はいねが


「悪い子はいねが」


その声を、


最初に聞いたのは、


午前二時だった。


秋田へ転勤してから、


まだ三か月。


俺は、


妻と五歳の娘、


三人で暮らしていた。


その夜、


娘の結衣が、


突然泣き出した。


「パパ……」


「どうした?」


「外に、


鬼がいる」


俺は、


笑った。


「鬼?」


「うん」


「夢でも見た?」


結衣は、


首を横に振った。


「違う」


そして、


布団の中から、


小さな声で言った。


「悪い子、


いねがって、


言ってる」


---


俺は、


窓へ近づいた。


外は雪。


街灯が、


白い道路を照らしている。


誰もいない。


「誰もいないぞ」


「いるよ」


結衣が言う。


「玄関の前」


俺は、


玄関を見る。


何もない。


「大丈夫」


娘の頭を撫でる。


「寝よう」


「パパ」


「ん?」


「絶対に、


ドア開けないでね」


「分かった」


結衣は、


俺の服を掴んだ。


「約束して」


「約束する」


その夜は、


それで終わった。


---


翌朝。


玄関を開けた。


雪が積もっている。


その中に、


足跡があった。


玄関前から、


道路へ続いている。


裸足の足跡。


「……」


俺は、


しゃがんだ。


雪の上に、


小さな足跡。


子供のものだった。


妻が、


後ろから来た。


「どうしたの?」


「これ」


妻も、


黙った。


「昨日、


雪降ってなかったよね?」


「うん」


「じゃあ、


誰が?」


妻は、


答えなかった。


---


その日の夜。


俺は、


会社から帰ってきた。


玄関を開ける。


「ただいま」


返事がない。


「結衣?」


妻も、


いない。


リビングへ行く。


テーブルの上に、


紙が置いてある。


結衣の字。


「パパへ」


俺は、


紙を開いた。


そこには、


こう書いてあった。


**「今日、


鬼が来る」**


その下に、


もう一行。


「パパは悪い子?」


俺は、


笑った。


「何だこれ」


その瞬間。


玄関から、


音がした。


ドン。


ドン。


ドン。


家が、


揺れた。


俺は、


立ち上がった。


「……」


また。


ドン。


ドン。


ドン。


そして、


低い声。


「悪い子はいねが」


俺の背中に、


冷たいものが走った。


「……」


もう一度。


「悪い子はいねが」


俺は、


玄関へ近づいた。


だが、


娘との約束を思い出した。


――絶対に、


ドア開けないで。


俺は、


ドアの前で、


止まった。


「……誰ですか?」


返事はない。


しばらくして、


低い声。


「悪い子はいねが」


俺は、


何も言わなかった。


すると、


ドアの向こうから、


声が変わった。


妻の声。


「あなた」


俺は、


息を止めた。


「開けて」


「……」


「私だよ」


俺は、


ドアから離れた。


「妻は、


今どこだ?」


「玄関の前」


「嘘だ」


「どうして?」


「妻なら、


俺が帰る時間を知ってる」


ドアの向こうが、


静かになった。


そして、


低い声に戻った。


「悪い子だ」


ドン!


ドアが、


大きく揺れた。


---


その夜。


妻と娘が、


帰ってきた。


二人とも、


何も知らなかった。


「玄関、


誰か来た?」


妻が聞く。


「……鬼みたいなのが来た」


妻の顔が、


変わった。


「見た?」


「見てない」


「声は?」


「聞いた」


妻は、


黙った。


そして、


結衣を見る。


「結衣」


「なに?」


「今日、


誰かに会った?」


結衣は、


首を横に振る。


「会ってない」


「本当に?」


「うん」


妻は、


それ以上聞かなかった。


だが、


俺には分かった。


妻は、


何か知っている。


---


夜。


結衣が、


眠ったあと。


俺は、


妻に聞いた。


「何を知ってる?」


妻は、


しばらく黙っていた。


「……秋田では、


昔から、


子供に悪いことをすると、


鬼が来るって話があるでしょう?」


「なまはげ?」


「そう」


「それが?」


「この辺では、


昔、


少し違う話もあったらしい」


「どんな?」


妻は、


声を落とした。


「鬼は、


悪い子を探しているんじゃない」


「じゃあ?」


「……家族の中に、


悪い子がいるかどうかを、


確認している」


「同じだろ」


「違う」


妻は、


俺を見る。


「悪い子がいなかった場合、


鬼は帰らない」


「……」


「代わりに、


誰か一人を、


悪い子にする」


---


俺は、


笑えなかった。


「そんな話、


誰から聞いた?」


「近所のおばあちゃん」


「いつ?」


「今日」


「結衣と一緒に?」


妻は、


頷いた。


「うん」


俺は、


嫌な予感がした。


「その人、


結衣に何か言った?」


妻は、


答えなかった。


「言ったんだな?」


「……」


「何を?」


妻は、


小さな声で言った。


「『今年は、


誰が悪い子になるのかな』って」


---


その夜。


午前二時。


また、


玄関が鳴った。


ドン。


ドン。


ドン。


「悪い子はいねが」


俺は、


布団の中で、


目を開けた。


妻も起きている。


結衣は、


眠っている。


「……」


ドン。


「悪い子はいねが」


今度は、


家の中から聞こえた。


「……え?」


妻が、


震えた。


玄関ではない。


廊下。


そして、


足音。


ズシ。


ズシ。


ズシ。


何かが、


家の中を歩いている。


「あなた……」


妻が、


俺の腕を掴む。


「動かないで」


足音が、


近づいてくる。


ズシ。


ズシ。


ズシ。


そして、


娘の部屋の前で、


止まった。


「……」


ドアの向こうから、


低い声。


「悪い子はいねが」


結衣が、


寝言を言う。


「……パパ」


俺は、


飛び起きそうになった。


だが、


妻が止める。


「行かないで」


「結衣が……」


「ダメ」


「でも!」


ドアの向こうから、


声。


「悪い子は、


お前だ」


「……」


俺は、


息を止めた。


声の主は、


結衣に言っていた。


「お前のパパは、


悪い子だ」


結衣が、


泣き始める。


「違う……」


「パパは、


悪い子」


「違う!」


「嘘つき」


「違う!」


「ママも、


そう言っていた」


妻が、


震えた。


「……」


俺は、


妻を見る。


「俺、


何もしてないよな?」


妻は、


答えない。


「おい」


「……」


「何で黙ってる?」


妻は、


泣きながら言った。


「結衣、


寝てない」


「え?」


「最初から、


起きてる」


俺は、


娘の部屋を見る。


「……」


「じゃあ、


今、


誰が喋ってるの?」


---


俺は、


ドアを開けた。


妻が、


叫ぶ。


「あなた!」


廊下には、


誰もいない。


結衣の部屋へ入る。


ベッドの上。


結衣が、


布団を被っている。


「結衣?」


返事がない。


「パパだよ」


布団が、


動く。


「……」


俺は、


布団をめくった。


結衣が、


いた。


泣いている。


「パパ……」


「大丈夫」


「鬼、


いた」


「どこ?」


結衣は、


部屋の隅を指差した。


何もない。


「ここに、


いた」


「もういない」


結衣は、


首を横に振った。


「違う」


「何が?」


「鬼、


まだいる」


「どこ?」


結衣は、


俺を見る。


「パパの中」


---


その瞬間。


部屋の電気が、


消えた。


「……」


真っ暗。


妻が、


後ろで叫ぶ。


「あなた!」


俺は、


結衣を抱き上げた。


「逃げるぞ!」


廊下を走る。


玄関へ。


しかし、


玄関の前に、


何かが立っていた。


巨大な影。


頭に、


角。


手には、


木の棒。


「……」


俺は、


固まった。


影が、


ゆっくり顔を上げる。


「悪い子はいねが」


俺は、


結衣を抱きしめた。


「娘には、


何もするな」


影が、


笑った。


「娘?」


「……」


「悪い子は、


お前だ」


俺は、


叫んだ。


「俺は、


何もしてない!」


影は、


一歩近づく。


「嘘だ」


「何が!」


「お前は、


娘を守ると言った」


「……」


「でも、


守れなかった」


「……」


「今夜、


お前が死ねば、


娘は助かる」


俺は、


結衣を見る。


娘は、


泣いている。


「パパ、


死なないで」


俺は、


影を見る。


「……」


影が、


言った。


「どうする?」


俺は、


答えられなかった。


すると、


妻が、


俺の横へ来た。


「私が死ぬ」


「……え?」


妻は、


影を見る。


「この子の母親だから」


影は、


首を傾げる。


「悪い子は?」


妻は、


答える。


「私」


俺は、


妻の腕を掴んだ。


「何言ってる!」


「あなた」


妻は、


笑った。


「結衣を連れて逃げて」


「嫌だ」


「お願い」


影が、


笑う。


「一人、


決まった」


そして、


妻へ向かって、


手を伸ばした。


「やめろ!」


俺は、


妻を抱きしめた。


その瞬間。


影が、


消えた。


「……」


静かになった。


電気が、


戻る。


妻も、


いる。


結衣も、


いる。


何も起きていない。


「……」


俺たちは、


抱き合った。


---


翌朝。


昨夜のことを、


誰にも話さなかった。


三人で、


朝食を食べる。


結衣が、


笑っている。


「パパ」


「ん?」


「今日、


鬼来ない?」


「来ないよ」


「本当?」


「本当」


そのとき。


玄関から、


声。


「悪い子はいねが」


俺たちは、


固まった。


「……」


妻が、


玄関を見る。


俺は、


立ち上がった。


だが、


結衣が、


俺の服を掴む。


「パパ」


「ん?」


「開けちゃダメ」


「……」


「鬼じゃないから」


「え?」


結衣が、


玄関を見る。


そして、


小さな声で言った。


「鬼は、


もう入ってる」


---


俺は、


振り返った。


リビング。


妻。


結衣。


そして、


もう一人。


俺の後ろに、


誰かが立っている。


大きな影。


角。


赤い顔。


そして、


その顔が、


ゆっくり俺の耳元へ近づいた。


「悪い子はいねが」


俺は、


動けなかった。


すると、


妻が、


笑った。


「あなた」


「……」


「この人、


誰?」


俺は、


妻を見る。


「……え?」


妻は、


結衣を抱きしめる。


「私、


この人知らない」


俺は、


凍りついた。


「何言ってるんだ?」


妻は、


怯えた顔で、


俺を見る。


「結衣。


知らないおじさんがいるよ」


「……」


結衣も、


俺を見る。


そして、


泣きながら言った。


「パパ……」


「俺だよ」


「違う」


「……」


「パパは、


昨日から帰ってきてない」


俺は、


言葉を失った。


「何言ってるんだ……」


妻が、


結衣を抱いて、


後ろへ下がる。


「近づかないで」


「俺だ!」


「違う!」


その瞬間。


背後から、


低い笑い声。


「悪い子はいねが」


俺は、


振り返った。


鬼が、


立っている。


だが、


その顔は、


俺の顔だった。


そして、


鬼が、


俺に向かって言った。


「お前は、


誰だ?」


---


俺は、


走った。


家から出る。


雪の中を、


裸足で走る。


後ろから、


妻と娘の声が聞こえる。


「パパ!」


「待って!」


「パパ!」


振り返れない。


振り返ったら、


何かが終わる気がした。


ただ、


走る。


走る。


雪の中を、


どこまでも。


そして、


気づいた。


自分の足跡が、


一つしかない。


俺の足跡。


その隣に、


もう一つ。


巨大な裸足の足跡。


そして、


さらにその隣に、


小さな子供の足跡。


三人。


誰かが、


俺と一緒に歩いている。


俺は、


立ち止まった。


雪の向こうから、


声がした。


「悪い子はいねが」


俺は、


振り返った。


誰もいない。


ただ、


雪の上に、


四人分の足跡がある。


俺。


鬼。


子供。


そして――


もう一人。


俺は、


気づいた。


四人目の足跡だけが、


俺の足跡と、


完全に重なっている。


その瞬間。


耳元で、


声がした。


「見つけた」


俺の声だった。


「悪い子」


そして、


世界が、


真っ暗になった。


---


翌朝。


近所の人が、


雪の中で、


男を一人発見した。


意識を失っていたが、


命に別状はなかった。


男は、


自分の名前を言えなかった。


家族の名前も。


住所も。


ただ、


一つだけ、


何度も繰り返していた。


「悪い子はいねが」


「悪い子はいねが」


「悪い子はいねが」


警察が、


身元を調べた。


そして、


男が暮らしていた家へ向かった。


家には、


妻と五歳の娘がいた。


二人とも、


無事だった。


警察官が、


男の写真を見せる。


「この人を知っていますか?」


妻は、


写真を見て、


首を横に振った。


「知りません」


「ご主人では?」


「違います」


娘も、


言った。


「この人、


パパじゃない」


警察官が、


困惑する。


「では、


お父さんは?」


娘は、


窓の外を見る。


雪が降っている。


そして、


指を差した。


「外にいるよ」


「どこに?」


娘は、


笑った。


「鬼と一緒」


---


その日の夜。


家の前に、


大きな足跡が残っていた。


巨大な足跡。


その隣に、


男の足跡。


そして、


小さな子供の足跡。


三人分。


だが、


翌朝。


足跡は、


四人分になっていた。


誰かが、


新しく、


家へ入ってきたらしい。


玄関には、


泥のついた木の棒が、


一本だけ立てかけられていた。


その棒には、


誰かの名前が、


爪で刻まれていた。


「次は、お前」


――秋田・第二話 終。

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