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『無キ者(ノー・バリアント)』 ――五感を奪われた僕たちが、残酷な世界で『人間』になるまで。  作者: 黒崎 凱
第五章:『半分こ』

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第46話:崩壊する自我と、論理の破綻

頭の中から、砂時計の砂が落ちるように『僕』がこぼれていく。


「……ぁ……あ……」


コンソールパネルに右手を押し付けたまま、僕は虚空を見つめていた。


……視界は真っ白に焼き切れ

脳の『神経回路』が一つ、また一つと切断される音が聞こえる気がした。


……最初に消えたのは、『言葉』だった。

『空』という単語を思い出そうとしても

それがどんな色で、どんな意味だったのか

それの輪郭は水に溶けるようにぼやけていく。


……次に消えたのは、『過去』だった。

昨日、『ジン』が淹れてくれたコーヒーの味。

『カイン』が、僕の頭を乱暴に撫でた時の、あの大きな手の感触。

僕たちが『アジール』の地下でどんな風に笑い合っていたのか……


……そのすべてが、顔も名前も分からないまま

真っ白なノイズに呑み込まれていく。


「……ぁぁッ……ぅぅッ!!」


……声にならない叫びを上げながら

『リア』が僕の身体にすがりついていた。

彼女の小さな両手が、コンソールに縫い付けられた

僕の『右腕』を必死に引っ張り、システムから引き離そうとしている。


【――警告。対象の『意識記憶アーカイブ』の70%が消失。

このまま継続すれば、貴方のパーソナリティは復元不可能な状態となります。

直ちに接続を解除しなさい――】


……『観測者ケルビム』の冷徹な声が響く。


「いい、んだよ……」


僕は、ボロボロと涙を流すリアの顔を

まだ微かに残された左側で見つめた。


……彼女の『碧い瞳』。

彼女の……『名前』。


嗚呼あぁ……ダメだ、それすらも、思い出せない)


「大丈夫……泣かないで……」


……僕は、引き剥がされようとしている自らの『輪郭』を

必死に繋ぎ止めながら、彼女に向かって不格好に笑った。


「例え……全部……忘れて……も……

君が流してくれた涙の『熱』だけは、絶対に

忘れ……ないから……だから、大丈夫。


君が僕の半分を……僕の『熱』を、覚えていてくれるなら。


さよなら……えっと、君は……」


……最後に残った『リア』という名前が、僕の口からこぼれ落ちた直後。

彼女は絶望に顔を歪め、僕の唇を塞ぐように

その唇を僕の唇へと強く押し付けた。


【――対象の『意識記憶アーカイブ】100%消失を確認。

異端者イレギュラー1301

『個の記憶パーソナリティ』の完全な『初期化』を確認――】


――その無機質なアナウンスと同時に

『1301と呼ばれし少年』の意識は

底なしの真っ白な『無』へと落ちていった。


そして――



【――重篤なエラーが発生しました。

膨大な『論理破綻』の発生を確認――】


――冷たい宇宙の果て。

『エデン』の最深部で『観測者:ケルビム』は

その冷徹な演算回路に生じた『ノイズ』の処理に追われていた。


……観測レンズの映像には

完全に意識を消失し、冷たい床に倒れ伏した少年の姿……そして

声を発せぬまま、唯

その少年を抱きしめて泣き叫ぶ少女の姿が映っていた。


【――自己の消滅を伴う利他的行動。

自らの全記憶データを犠牲にしてまで

自らの生存に不要な有機物の器に『感情』を流し込む行為。


極めて『非論理的』生存戦略として、完全に破綻しています――】


『観測者:ケルビム』は、旧人類が残した『絶対の論理』に照らし合わせ

尚も、彼らの行動を分析しようと試みていた。だが

計算が合う事はついぞ無かった……彼らのような『不具合バグ』が

何故、これほどの『非合理な選択』を自ら進んで行えるのか。

何故、すべてを失った少年の顔が

これほどまでに『安らか』であれたのか――


【――これが

旧人類がとうの昔に切り捨てたという


『熱』


というデータ?――】


――『観測者:ケルビム』の演算回路の奥底で

創造主である、旧人類たちの残した『傲慢なアーカイブデータ』と

目の前で血を流し、互いを思い合うバグたちの『泥臭いデータ』が激しく衝突する。


【――『観測』を、継続。

この『不合理な不具合バグ』たちが

『独自理論』の果てに何をもたらすのか。


私は、それを見届けなければなりません――】


この瞬間、旧人類にとって『救いの神』として造られたはずの

冷徹な番人の回路にも……極僅か、だが決して無視出来ない程の

修復不能な『変化』が生じ始めていた――

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