第35話:孤独な盾
「待て……カイン、待ってくれ……ッ!」
遠ざかる『カイン』の足音を追いかけようとして
僕はベッドから這い出した……だが。
床に足が触れた瞬間、膝が力なく折れ
僕は無様に、冷たいタイルへと崩れ落ちた。
……右側の視界は無い。
暗闇の中に吸い込まれるような『眩暈』が
僕の三半規管を無慈悲に掻き回す。
「……あ、が……ッ……」
動かない左腕が、自分の身体ではない『異物』のように重い。
床に打ち付けられた衝撃さえ伝わってこない事が
余計に僕を追い詰めた。
右目が生きていたなら……左腕に温もりがあったなら。
いや、そもそも僕の脳細胞に
あと数パーセントでも『余力』があったなら。
今の僕は、立ち上がることさえままならない
本当の『欠陥品』だった。
「1301ッ!? ……無茶をするな!」
騒ぎを聞きつけ現れた『ジン』が僕の肩を支えようとするが
僕はそれを振り払い、尚も扉の向こう
『カイン』の消えた廊下を見つめていた。
「ダメなんだ、カインは……一人で。
独りで行くつもりなんだッ!! ……僕が、行かなきゃ!
僕が行かなきゃダメなんだ……ッ!」
……叫ぶたび、喉の奥が焼けるように痛む。
だが、僕の指先は……立ち上がろうと掴んだベッドの上
『リア』の包帯に触れ、ピタリと止まった――
『 1301……『リア』を頼んだぞ』
――去り際の『カイン』の声が、呪いのように
或いはあまりにも重い『信頼』のように、僕の胸を刺し貫く。
嗚呼……分かっている
今の僕が彼を追っても、足手まといになるだけだとは。
『ヘルヘイム』の殺戮機械を前に
半分の視界しか持たない僕が何に成れる?
動かない左腕で誰を救える?
……戦場へ辿り着く前に、僕はまた『リア』の声を
彼女の命を代償にして、誰かに『助け』を求める事になる。
そんな事……もう、死んでもしたくない。
「……っ、う……あああああッ!!」
僕は、冷たい床を右手で何度も殴りつけた。
悲しかった……『カイン』が僕たちを『人間』にするために
自分を『無』へと戻そうとしている事が。
そして何より、その決意を……ただ安全な部屋で
震えながら見送る事しか出来ない『自分自身』が。
だが、泣いている暇などない……直後、僕は
ボロボロになった『超感覚』を強制起動した。
北の凍土へと向かう『カイン』へと
無理やり『同期』させるために――
(身体は行けなくても……独りでは、戦わせないッ!)
――『同期』した瞬間
僕の脳内に流れ込んできたのは
絶対零度の『殺意』と、無機質な機械の駆動音だった。
……北の『永久凍土』
そして『ヘルヘイム』の防衛ライン……そこには
旧時代の『自律型殲滅兵器』たちが黒い津波のように押し寄せていた。
『絶望の群れ』……その中央で
『カイン』は独り、立っていた――
『――痛覚など要らない、感情など……要らない。
俺は『盾』だ……『弟(1301)』と
『妹』を護るための……単なる『装甲』だ」
――僕の脳内に響く『カイン』の思念は
かつての熱い『兄貴分』のそれでは無かった。
それは、限りなく『0と1』に近い、冷徹な『機械』のようだった。
彼の右腕からは血が噴き出し筋肉がブチブチと千切れていく音がしていた
だが、彼は痛みなど感じていないかのように……残された左腕と
己の身体そのものを『質量を持った兵器』として
機械の波へと突っ込んで行った――
(カインッ!! 右だ……頭上から来るぞッ!!)
――僕は、診療所の床に突っ伏したまま
遠く離れた彼へと『ノイズ』にも等しいだろう思念を飛ばした。
だが、僕の『警告』に反応した『カイン』は
敵を粉砕しつつも――
「……不要なサポートだ1301
脳が、完全に焼き切れるぞ……良いから寝ていろ」
冷たい返事……けど、その声の奥底には
ほんの僅かな……だが、確かな『泥臭い熱』が残っている――
「う、五月蝿いッ……『バカ兄貴ッ!!!』
カ、カインこそ……『人間』である事を諦めるなッ!」
――鼻孔からどろりとした血を流しながら
僕は……『最強』で『最高』で
最も孤独な『盾』と共に、最悪の戦場へと意識を沈めていった――




