第33話:『幽霊(ゴースト)』の帰還
――寒い。
此処には『上下前後』は疎か『時間』の概念さえも存在しない。
自らをデータとして解き放ちすぎた僕の意識は
情報の吹雪に晒され、端から少しずつ
『0と1』の塵へと還元され始めていた。
『リア』……『カイン』……
名前を呼ぼうとしても、声帯のない世界では
その『思考』さえノイズにかき消されそうになる……僕は。
このまま『情報の海の底』へと、音もなく沈んでいくのだろうか?
抗う事も出来ず……『嘘』を嘘のままにしてしまうの……だろうか? ――
『――よおっ!
相変わらず、情けねえツラしてやがんな? 坊主』
――不意に、背後から突き刺すような
乱暴で懐かしい『声』が響いた。
振り返ると、そこには『プラント』の最下層で消滅したはずの男
『第零世代』の『ゼロ』が……ノイズまみれの
『立体投影映像』のような姿で、不敵に笑って立っていた。
「ゼ、ゼロ……? なぜ、あんたが此処に……」
「ん? ……ここは肉体であって肉体じゃ無え
寄せ集めの機械で出来た、言わば『ゴミ箱』みてぇな所だ。
もっとわかり易く言うとすりゃあ
役目を終えたデータが最後に行き着く『吹き溜まり』だよ。
……お前が『ゼロ・ワン』の野郎に
『熱』なんて余計なもんを叩き込んだおかげで
俺の『残りカス』まで呼び覚まされちまったってわけだ……ハハッ! 」
『ゼロ』は、呆れ顔で僕の胸元を強く小突いた。
肉体などないはずなのに、そこには確かな
焼け付くような『痛み』があった。
「……いいか? 坊主。
『ホッ』として足元掬われてんじゃ無えよ。
お前の『身体』は、まだ泥の中でお前を待ってる。
お前の大切な『誰かさん』が、そんなお前を
文字通り『死ぬ気で呼び続けてる』のが聞こえねえのか?」
『ゼロ』が指し示した暗闇の向こう……そこには
幾千万の悲鳴を塗り潰すような、酷く掠れた
途切れ途切れの『音』が響いていた――
―― ァァ……ア……ア……ァ……
それは『旋律』ではない。
『祈り』ですらもない……唯。
一人の『少年』をこの世界に繋ぎ止めるためだけに
喉を焼き切り、魂を削りながら放たれる、泥臭い『叫び』だ。
「っ!? ……リアッ!!」
「ったく、やっと気づいたのかよ……さぁ行けッ!
ここはお前の居場所じゃ無え!!!
次に会うときは……本物の酒でも奢ってもらうぜ?」
瞬間……『ゼロ』は僕の背中を全力で『蹴り飛ばした』
激烈な衝撃――意識が、猛烈な加速と共に
情報の海を突き抜け、冷たい『重力』に捕らわれた。
……爆発的な光が網膜を焼き、火花を散らす神経系は
僕の魂を無理やり『肉体』へと縫い付けた――
「か、は……ッ! ……うぐッ!?
あ゛ぁぁぁぁぁッ!!!――」
――肺に流れ込んできたのは
噎せ返るような土の匂いと、生臭い血の味だった。
僕は……泥だらけの地面の上で、絶叫と共に目覚めたのだ。
「っ!!!……っ……ぁ……っ!!」
そんな僕を精一杯抱き締める力無い優しさ……『リア』が
音にならない叫びを上げ、僕の胸に顔を埋めていた。
……彼女の白い喉からは血が溢れ出し、僕の服を赤く染めていた。
僕を呼び戻すために、彼女は自らの声を
文字通り『使い果たした』のだ。
「リア……遅くなって……ごめん……戻った……よ……」
僕は、彼女を抱き締めようとして……『異変』に気づいた。
伸ばした左腕に、感覚がない。
視界の半分――右側の景色は
まるで『情報の海』に置いてきてしまったかのように
完全な黒で塗り潰されている。
……肉体を脱ぎ捨てると言う『禁忌』を犯した代償は
あまりにも冷酷に僕の身体を蝕んでいたのだ。
「自由ってのは……高額……だ……なぁ……ッ……」
欠けた視界の中で、僕は『リア』を強く、強く抱きしめた。
『右』の光を失い『左』の温もりを感じられなくなった
この不完全な身体こそ、今……僕が『人間』として生きている
何よりの最悪で最高な証明だった。
……帰ってこられたのは『奇跡』じゃない。
泥の中で、僕たちは寄り添いながら
唯、震える呼吸を重ね続けた。
『神様』を殺し『悪魔』を鎮めた後の
あまりにも残酷で愛おしい『本当の空の下』で――




