第32話:神様の寂しさ
――『感覚』が『数値』へと置換されていく。
『強制写本』
……肉体という『重り』を切り離された僕の意識は
爆発的な情報の濁流に呑み込まれていた。
『視覚』は極彩色の『ノイズ』へ
『聴覚』は数千万人の悲鳴を重ね合わせた『不協和音』へ
気を抜けば、僕という『個』の境界線は一瞬で溶け去り
この情報の海に霧散してしまうだろう。
(痛い……熱い……『リア』……リア……ッ!)
……僕は、脳細胞が焼き切れる寸前に焼き付けた
『リアの熱』を核にして、バラバラになりそうな意識を繋ぎ止めた。
それだけが、この冷たい『0と1の世界』で
僕が『人間』であるための唯一の『杭』だから。
(逃げ場所はない……進む……この濁流の中を……ッ……)
……『ノイズ』の渦を掻き分け『ゼロ・ワン』の精神の核へと突き進む。
そこに広がっていたのは、凍てつくような『静寂』だった。
「おや……来たのかい?
肉体を捨て、ただの『電気信号』に成り下がってまで」
……情報の海の底、漆黒の翼を休め
膝を抱えて座り込んでいたのは
アジールを襲ったあの『悪魔』ではなかった。
それは……『名前』も『服』も、触れてくれる『親』さえも与えられず
唯、冷たい培養液の中で『完璧な器』として育てられた
一人の『怯えた少年』だった。
「成程……それが、君の正体か『ゼロ・ワン』」
「……私は、彼らの悲鳴を聞きすぎた。
『マザー』が消えた後、行き場を失った数千万の『孤独』が
私の中に雪崩れ込んで来たんだ。
……耐えられなかったんだ、私は。
だから……すべてを『無』と言う一つに溶かそうとした。
それが、私にできる唯一の救済だった」
……少年の瞳には、赤い電子紋様が虚しく明滅している。
彼は、世界中の『無キ者』たちの
『絶望』と言う棄て去るべき感情を一身に背負わされた
巨大な『ゴミ箱』だったのだ。
「……救済なんかじゃない。
君は、独りが怖くて、みんなを道連れに心中しようとしているだけだ」
ひどい言葉を投げ掛けている自覚は在った
だけど、どんな方法でも良いから状況を変えたかった。
『――うるさいッ!! お前に何が分かる!?
肉体を持ち、誰かに『手を握って貰えた』お前に
この『空っぽ』の地獄が理解できるはずがないだろうッ!!』
『ゼロ・ワン』の絶叫……漆黒の翼は
鋭利な『データの刃』となって僕を貫こうとする。
……情報の断片が僕の意識を削り
存在を消滅させようとする激痛……だが、僕は逃げなかった。
「ああ、分からないよ……君を『すべて理解出来る』なんて言わない」
僕は一歩……また一歩と、荒れ狂うノイズの中を歩み寄った。
肉体などないはずなのに、胸の奥が焼けるように熱い――
『嗚呼……この思いを伝えてみよう』
――直後、僕は『ゼロ・ワン』に対し真っ直ぐに向き合った。
「こんな状態でも……僕の中には『痛み』がある。
泥を啜って、血を流して、大切な人を護れなくて泣いた……
……そんな、不完全で、最低で、最高な『熱』があるんだッ!!」
僕は、自分の意識のすべてを解放した。
禁忌の『端末』が記録していた
僕の『魂の写本』を……『武器』としてでは無く
『贈り物』として『ゼロ・ワン』の核へと送りたかったから。
『リアの手の温もり』
『カインの背中の広さ』
『鼻孔を突く、土と風の匂い』
『空を覆う雲と、太陽の鮮やかさ』
僕を繋ぎ止めるすべて……歌声が鼓膜を震わせた時の
あの、震えるような『喜び』……僕の記憶という名の『熱』が
『ゼロ・ワン』の『虚無』を埋め尽くしていく――
『……あ……が……熱い……何だ、これ……ッ……!!!
『痛い』筈……なのに……どう……して……』
――『ゼロ・ワン』の瞳から、赤い光が消えていく
代わりに溢れ出したのは、青白い『電子の涙』だった。
直後『救済の論理』が音を立てて崩れ始めた。
集団の苦しみが弾き出した『正解』が
一人の少年の『熱い涙』によって上書きされていく――
「……それが『人間』なんだよ『ゼロ・ワン』
君が……君が、独りで抱える必要なんてなかったんだ」
僕は、泣きじゃくる彼の細い肩を
実体の無い腕で強く抱き締めた……その瞬間
世界を覆っていた黒翼は、眩い光の粒子となった。
……数千万の意識が
それぞれの肉体へと還る『再誕』の鐘が、脳内で鳴り響いた。
だが……迂闊だった。
『ホッとした』
その『感情』が引き金となり、僕をこの世界に繋ぎ止めていた
『杭』が、過負荷によって音を立てて軋み始めたのだ――
「……しまっ……た……」
――『帰り道』が、分からなく成った。
自らを『データ』として解き放ち過ぎたせいで
僕という個体の『座標』が、情報の海に溶けて消えようとしていた――




