表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢裁判録~婚約破棄で断罪された公爵令嬢ですが、王宮記録官が証拠と手続きで冤罪を覆します~  作者: ビッグサム


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/71

第三十話 首札の語は、白箱裏で原本に移された


 瓶に付けた仮の名は、ときに紙の上で本名の顔をする。


 だが、その移しかえには、必ず誰かの机がいる。


 白箱裏の上覧前整理卓は、昼を過ぎても青砂の匂いを残していた。


 王太子宮の取次室の奥。人目から半歩だけ外れたその机は、急ぎ便や上覧前の整理票を一時的に置くための場所だ。帳簿を開いても不自然ではなく、原本を一行だけ直しても、周囲には“整えているだけ”に見える。


 だから厄介だった。


 レオニー・サールは、その机の前に座らされていた。


 昨夜の講読席裏で見たときより、顔色はさらに悪い。だが、崩れてはいない。崩れないようにしている者の顔だ。白い指先だけが、膝の上で硬く組まれている。


 机上には、香具庫裏で見つかった青玻璃瓶。

 首から剥がれた白札の断片。

 贈答品流通原本。

 副控え。

 そして、昨夜出た着席控え。


 ――礼拝棟連絡立会 L.S.


 ルカ・エヴァレットは、それらを順番どおりに並べた。


「確認します」


 静かな声で言う。


「あなたは茶会前日夕刻、白箱裏の上覧前整理卓に着席していました」


 レオニーはすぐには答えなかった。

 だが着席控えを見て、小さく息を呑む。


「……はい」


「礼拝棟連絡立会として」


「はい」


「同じ時刻、返礼添付品払出簿には、浄花油小瓶一をあなたが持ち出した記録があります」


 レオニーの視線が、青玻璃瓶へ落ちる。


「はい」


「この瓶ですか」


 しばらく沈黙が続いたあと、彼女は頷いた。


「たぶん……はい」


 たぶん、という逃げ方をルカは追わない。

 今はまず、繋がるところを固める。


「では次です」


 ルカは首札断片を小紙の上へ置いた。


 ――預

 ――り

 裏面に、L.S.


「この首札は、あなたが書いたものですか」


 レオニーの指先がかすかに震えた。


「……はい」


「語は、“主催側預り”」


「はい」


「礼拝棟返礼添付品の札に、なぜその語を書いたのです」


 そこが、この回の芯だった。


 レオニーは唇を湿らせ、ようやく言った。


「イレーヌに、そうしろと」


「どういう理由で」


「返礼卓止め、や、礼拝控え預り、では……白箱裏で止まるから」


 アルヴィンが低く言う。


「主催側預りなら、主催卓や宮付の整理へ回しやすい」


 レオニーは目を上げられないまま、かすかに頷いた。


「……はい」


 それで一つ、見えた。


 最初に作られたのは、原本の一行ではない。

 瓶へ掛ける札だ。

 しかも、その札の語は礼拝棟の運用語ではなく、宮付で物を一時退避させるときの語だった。


「では」


 ルカは流通原本の差し込み行を指した。


 ――礼拝棟返礼添付品 小瓶一

 ――主催側預り


「この一行も、あなたが書きましたか」


 今度、レオニーははっきり首を振った。


「いいえ」


「断言できますか」


「できます」


 声が少し強くなった。

 そこは違うのだろう。


「私は、帳簿へは触っていません。触るのは、イレーヌか、次席か、その机の方たちです」


 ルカは頷いた。


「あなたが書いたのは瓶の首札だけ」


「……はい」


「なら、その語がどこで帳簿の一行へ変わったかを聞きます」


 レオニーの喉が動く。


 机上の青砂が、昼の光を鈍く返していた。


「白箱裏の机へ瓶を持ち込みましたね」


「はい」


「そのとき、原本はありましたか」


 レオニーは少し考えてから、答えた。


「ありました。開かれていました」


「誰が開いていた」


「イレーヌです」


「レナートは」


「後から来ました」


 順番が出る。


 レオニーが瓶を持ち込み、イレーヌが原本を開いていた。

 そのあとにレナートが来た。


「その場で、あなたは首札を読み上げましたか」


 レオニーの目が、そこで初めて上がった。


 その問いが一番痛いのだと、ルカは分かった。


「……はい」


「誰に求められて」


「イレーヌに。“そのまま読んで”と」


「そのまま?」


「はい。瓶に掛けた語を、そのまま」


 エレノアが静かに息を吐く。


 最初の札の語が、そのまま原本の一行へ移った。

 少なくとも文言の由来は、ここで確定した。


「そのとき、書いたのは誰です」


 レオニーは目を閉じた。


 短い沈黙のあと、答える。


「レナート次席です」


 室内の空気が冷える。


「見たのですね」


「見ました。私は瓶を机へ置いて、イレーヌが原本を押さえて、次席が……その、青砂を」


 言葉がそこで詰まる。


 だがもう、十分だった。


「次席が原本へ行を足した」


「はい」


「副控えは」


「触っていません」


「だから、原本だけに一行がある」


「はい」


 ルカは副控えと原本を並べ、青砂の粒が残る差し込み行を見た。


 首札の語。

 イレーヌの“そのまま読んで”。

 レナートの筆。

 白箱裏の青砂。


 これで、差し込み行の出生地と文言の接続はほぼ揃った。


 だがまだ一つ、残っている。


「なぜ、あなたはその語を首札へ書いたのです」


 レオニーの肩がわずかに縮む。


「イレーヌが、返礼卓止めでは遅れると」


「何が」


「……上へ見せる順番が、です」


 またそれだ。


 止まってはならない。

 遅れてはならない。

 だから語を替える。経路を替える。机を替える。


「主催側預りなら、どうなると思っていた」


「主催卓か宮付の白箱裏で、一時物として扱われます。返礼の細かい確認を飛ばして、後で戻せるから」


 後で戻せる。

 その“後で”が、いつも誰かを沈める。


「小瓶の中身は、浄花油だと思っていましたか」


 ルカが問うと、レオニーはそこで明確に揺れた。


「……最初は」


「最初は?」


「瓶を受け取ったときは、浄花油だと。でも、白箱裏へ行く前に、封が変わっていました」


 アルヴィンが目を細める。


「誰が持ち替えた」


「香具庫裏で、アルノーが」


 そこも繋がる。


 アルノーが一滴を抜き、戻し、何かを小瓶へ移した。あるいは、空になった小瓶へ別の役目を与えた。


「その時点で、おかしいと思ったのですね」


「はい……でも」


 レオニーの声が初めて崩れた。


「先生が、“名目だけ揃えればよい”と。主簿へ一行が入れば、あとは順に流れると」


 先生。

 ここではエルマか、あるいはその思想そのものだ。


「主任先生ですか」


 レオニーは、今度はすぐには答えない。


 だが否定もしなかった。


「……私は、その場では名を呼びませんでした」


「誰が言ったかではなく、誰の言葉として受け取ったかを聞いています」


 ルカの声は静かだった。


「主任先生の言葉だと思いました」


 それで足りる。


 思想の出所としては。


 実際に帳簿へ書いた手はレナート。

 語を与えたのはレオニーとイレーヌ。

 その語の使い方を許したのは、主任先生の理屈。


「もう一つ」


 ルカは白箱仮札控えを出した。


 ――主催預り

 ――返納後整


「この仮札を見たことは」


「あります」


 レオニーは答える。


「次席の机の端に。私が首札を読んだあと、イレーヌが“これで帳も合う”と」


 帳も合う。


 その一言で、原本差し込みが“事故の記録”ではなく、“先に作った語へ帳簿を合わせる作業”だったことが、さらに強くなる。


「帳を合わせたのですね」


 エレノアが低く言う。


「起きたことに記録を付けるのではなく、通したい順に記録を寄せた」


 レオニーは返せない。

 返せないことが、今は何より重い。


「記録する」


 セドリックの声が、そこで静かに落ちた。


 王子は席を立ってはいない。だが、場の中心はすでに彼の言葉へ寄っていた。


「礼拝棟返礼添付品小瓶一の首札は、レオニー・サールが“主催側預り”の語で書いた。白箱裏の上覧前整理卓において、同語をレオニーが読み上げ、イレーヌ・バルダン立会のもと、レナート・セルヴィスが贈答品流通原本へ差し込み行を書いた」


 ベルナールは、今度はすぐに口を開けなかった。


 開けば、もう“別件”の形を保てないと分かっている顔だった。


「殿下」


 ルカが一礼する。


「これで、毒物線と流通線の接続は、語・机・書き手の順で切れます」


「分かっている」


 セドリックは短く答えた。


「本審で採る柱が、また一つ定まった」


 そのとき、監査院補佐が今度は急がずに入ってきた。

 顔色は悪い。だが、慌ててはいない。慌てる段階を越えた報告なのだと、入ってきた瞬間に分かった。


「受領官」


「何だ」


「レナート・セルヴィスが、供述の修正を願い出ています」


 室内の空気が変わる。


「何を」


「“白箱から二通を抜いたあと、原本にも一行を足した。だが、筆は自分のものではない”と」


 ルカの指先が止まる。


 筆は自分のものではない。


 書いたのはレナート。

 だが、使った筆は別。

 その一言で、まだ隠れている“机の主”がまた顔を出す。


 青砂の机。

 白箱裏。

 貸し出された筆。

 そして、そこへ寄ってくる複数の手。


 エレノアが小さく言った。


「まだ、机そのものの持ち主が残っていますのね」


 ルカは頷いた。


 そうだ。

 差し込み行は、どの机で生まれたかまでは切れた。

 語がどこから来たかも切れた。

 だが、その机に常に置かれていた筆と砂と、誰がそれを支配していたかは、まだ最後の一枚が残っている。


 紙は、そこまで来ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ