第64話 その写真、俺の遺影に使われるんですか?
堤防から一キロとちょっと歩いた程度。
時間にして三十分と掛からない。
片側一車線の橋の歩道を歩いて渡って川を越え、見えた小山の石階段を上ってやって来たのは地元の神社。
鳥居を潜った望が腰に片手を当てて振り返ると、少女が少し息を荒くしてこちらを睨んできていた。
「はぁ、はぁ、やっと着きましたか……」
「おいおい、その歳で運動不足か?」
「歩き疲れたんじゃなくて話し疲れたんですっ……!」
まったくもう、と少女は呼吸を整えるついでにため息を吐く。それを見て望はからかいすぎたかとほんの少しだけ反省。その反省を今後に活かすかどうかは検討中だ。
「ほら、そんなところに突っ立ってないでこっち来て見てみろよ。疲れて来た甲斐のある景色だからさ」
「疲れさせた張本人にそんなことを言われてもという感じですが……」
少女は望に呆れた視線を注いで境内へと足を踏み入れ、すぐにその瞳にいっぱいの桜色を反射させた。
「っ、綺麗……」
「な」
この神社の境内のあちこちに植えられている桜は遅咲きの八重桜。堤防の桜並木はソメイヨシノなので、そちらが見頃を過ぎてから満開の時期を迎える。
それがちょうど今、堤防の桜並木から春風に乗せてバトンを受け取ったかのように、枝という枝にあしらわれた花々を満開に咲き誇らせていた。
「写真、撮ろうか?」
「はい?」
「お前と桜の写真」
「えっ、い、いりませんよそんなの……!」
望と捨ては別に恥ずかしがるような提案をしたわけではないのだが、少女は頬をも景色色に染めて首を横に振った。
「私はあっちで写真を撮ってきますので、貴方はその辺で適当に過ごしていてください」
「ん、俺も撮影に同伴するというのは――」
「――却下です。うるさいので」
「では静かに同行するというのは――」
「――お断りします。もういるだけで鬱陶しいので」
ぷいっ、と顔を背けて、スマホを手に歩いて行ってしまう少女。望はその背中を見送ってから、拒絶されてちょっぴり傷ついた心を癒すべく、賽銭箱を回り込んで社に上がる階段に腰を据えて景色を眺めることにした。
「ん~、今なら縁側で日光浴したがるじぃじとばぁばの気持ちがわかる気がする……」
風が吹くたび、ざぁ……と騒めく木々。
チラチラと桜の花弁が舞って転がって。
ひぃよひぃよ、と聞こえるのはヒヨドリの鳴き声。
そんな春の息吹を全身で感じ、小四から中学卒業まで一緒に暮らしていた祖父母と、その田舎の風景へと思いを馳せる。
(元気してるかなぁ。ゴールデンウィークは厳しいけど、夏休みには帰らないとな……)
春休みに一度帰省しようかとも考えていたが、元々そこまで期間が長くなかったし、何より悪の組織の活動が活発になっていた影響もあって色々忙しかった。
(あー、でも、俺が帰省したらその間御使いの仕事出来ないよな。どうしよ、妃菜も連れて帰るか? いやいや、じいじとばぁばに関係性どう説明すんだよ。それに妃菜はこの街の魔法少女だし離れるワケには……)
うぅん、と唸りながらしばらく頭を悩ませたが、まだまだ先の話だしそのときになって考えるかと、思考を中断。
涼しいけど寒くなくて。
暖かいけど熱くなくて。
そんな春の日和に、徐々に目蓋が重たくなってくるのを感じる。
自分の膝に肘を立てて頬杖を突く。
春風に騒めく木々は子守歌。
こうなるともう閉じた目蓋は開かない。
望は次第に呼吸のテンポを緩慢にさせていき、その意識を心地の良い深みへと沈めていった――――
◇◆◇
(……不用心な人)
満足いくまで写真を撮って戻ってきた少女――アフィスティアは、頬杖をついて静かな寝息を立てる望を見てそう思った。
黒髪というにはやや色素の薄い髪がさらさらとそよ風に揺れ、インドア派と豪語するだけのことあってほとんど日に焼けていない顔に影を落としている。
アフィスティアは足音を殺してすぐ傍まで寄ると、膝を折って身を低くして望の寝顔をジッと覗き込む。
「……ふっ、間抜けな顔。ようやく静かになりましたね」
道中あれほど口を動かしては、飄々としていて腹立たしい表情を見せていたのに、一度眠りに落ちてしまえばどことなく子供っぽさを感じさせる無垢なものだった。
どこにでもいそうな顔という印象だったが、よくよく見れば生意気にも存外整っているではないか。アフィスティアは可笑しそうに僅かに口角を緩めた。
「空寝を決め込んでいるワケではないですよね?」
ツン、と。
アフィスティアが人差し指で鼻先を突いてみても、望は眉一つ動かない。
「……えぇっと、タップして撮りたいものにピントを合わせて……こうしたら背景がぼけていい感じに……」
望にレクチャーされた手順を何度もなぞって写真を撮ってきたため、今日一日でかなり撮影技術が上がったという自負がある。
……カシャッ。
「……よし、貴方の間抜け面をこの手に納めてやりましたよ」
望の寝顔にフォーカスされた一枚が映し出された画面を見て、アフィスティアはしてやったりとでも言いたげに口許で弧を描く。
「それにしても起きませんね……疲れているのでしょうか……?」
人間の身で魔法少女を支える御使いなどやっているのだ。多少は他人より魔力量が多いのだろうが、それでもたかが知れている。肉体的にも精神的にもそれなりに負担は大きいはずだ。
「だからといって、私が敵であることにも気付かずにこうも無防備な姿を晒すとは……御使いとして、いえ人として警戒心が足りないのではないですか?」
「…………」
忠告しても、望の胸はスローペースで膨らんでは萎むだけ。
(……正直、何の脅威にもなり得ない人間ですが……)
アフィスティアは少し目を細めた。
少し魔力量が多いだけのただの人間。
戦う力はなく、出来ることと言えばほんの数回魔法少女の魔力を補助するくらいなものだろう。
だが、それなりに知恵は回るらしい。
戦闘中も冷静に状況判断が出来るようで、アラゾニアが厄介そうに愚痴っていた。
戦況が拮抗したときにこそ、一摘まみの閃きが勝敗を決定づけることもあるだろう。
「さて、どうしたものか……」
斜陽が山の木々に遮られる。
木漏れ日程度しか差し込まなくなり、境内が薄暗く、そして肌寒くなった。
(いたところでどうということはないですが、いなくなってくれた方が都合は良いでしょうか……)
戦場に望がいる場合に受けるデメリットにたいしたものはない。しかし、望がいなくなれば魔法少女である妃菜から御使いを奪うことが出来る。魔法少女の魔力補助役を排除出来るなら、それなりに旨味がある。
(それに、あの魔法少女とどんな関係性かは知ったことではありませんが、少なくとも仲は良いようですし……この男を始末すれば、多少は精神的に追い込むことが出来るかもしれませんね……)
アフィスティアは静かに立ち上がった。
光のない紫炎色の瞳をもってして、望を無感情に見下ろす。
ザァ……と木々が騒めく。
境内を囲う薄闇の影から、ゆらゆらと直立する黒い靄が現れる。
山は人々にとって一種の畏怖の対象。
薄暗い神社というのも人によっては恐ろしく映るだろう。
負の感情が寄り集まってシャドウが自然発生する条件は十二分に満たしている。
それらの数が二体、三体……と徐々に増えていくのを尻目に見て、アフィスティアは冷たく笑う。
「……ついてませんね、貴方」
呟いて、静かに持ち上げた右手を望に伸ばした――――




