第61話 曲者ばかりの幹部で困りますね
「……ティア……なさい…………」
誰かの声が聞こえる。
誰かが誰かを呼んでいる。
深い深い暗闇に微睡む意識で、そんな声を聞く。
自分が今どうなっているのかわからない。
自分が誰なのか、何なのかもわからない。
「……アフィスティア」
その声が繰り返し呼び掛けてくるたびに、意識以外に感覚というものが生まれる。
少しひんやりとしている。
花のような匂いがする。
静かで、身体の下は硬くて痛い。
「目覚めなさい、アフィスティア」
「…………」
薄らと目蓋を開けると、眩い光が飛び込んできて眼球の奥が痛かった。
霧が掛かったような視線の先に、おぼろげに人影が見て取れる。
「……アフィス、ティア……?」
繰り返し呼び掛けられたその名を口にすると、人影は満足そうに頷いた。
「ええ、アフィスティア。貴女の名前ですよ」
名前。
それは私を表す記号。
私が私であることを指し示す、固有名詞。
「父であり母であるわたくしに仕える、最も信頼厚き子供達……七罪冠の一人【強欲】……」
私を私と定義したその人影が、甘美に溶けるような声で囁いた。
「わたくしの願いの盃を満たすのが、貴女の渇望であらんことを……」
………………。
…………。
……。
「……はぁ」
妖精の国、某所。
人里離れた土地に寂しげに建つ古城の一室で、少女は目覚めた。
――アフィスティア。
記憶の始まり。
始めて目蓋を開けた瞬間。
自分がそう定義されたあの日から、自分はアフィスティア以外の何者でもない。
過去など――それ以前など、存在しない。
だというのに…………
「夢なんて久し振りに見ましたよ……まったく、あの魔法少女が顔を合わせるたびにワケのわからない人違いをしてくるせいですね……」
敗北したアラゾニアを回収するために河川敷で妃菜と出逢ったときからだ。何度人違いだと否定しても謎の確信を持って自分を妹だと主張してくるせいで、自分は本当に自分なのかという哲学めいた余計な悩みを持つようになってしまった。
「確か……由菜、でしたか……」
由菜、由菜、由菜。
河川敷でそう呼ばれて初めて聞いた名前だというのに、何故か妙に口馴染んだ響きに思えた。
そして、妃菜を大鎌で打ちつけたときに込み上げてきた圧倒的な罪悪感はなんだったのか。魔法少女という敵を倒すことにそんなもの、感じる必要はないというのに。
それで変に動揺してしまったせいか、咄嗟に『お姉ちゃん』などと口走りそうになった。
「まぁ、こうやって動揺させるのも作戦の内ということなのでしょうね」
アフィスティアは支度を整え部屋を出た。
コツコツと足音を響かせて艶のある石で出来た廊下を歩いていると、両手をズボンのポケットに突っ込んで大股で歩くやや小柄な男がこちらに向かって歩いてきているのが見えた。
特に話すことはないが、互いに目が合ったのですれ違う前に一度立ち止まる。
「身体の調子はどうですか、アラゾニア?」
「あぁん?」
アラゾニアはただでさえ人相の悪い顔を更に顰めてアフィスティアを睨む。本人に睨んでいるつもりがあるのかどうかは不明だが。
「テメェがオレ様の心配だなんて百億年早ぇんだよ」
相変わらず偉そうで威圧的な口の悪さ。
ただ、別にこれはアラゾニアに悪意があるわけではない。
かれこれもう一年程の付き合いになるアフィスティアが、そんなアラゾニア語を脳内で『心配してくれてありがとな』と意訳するのはそう難しいことではなかった。
「そうですか。ではさっさと慢心した挙句あの魔法少女にコテンパンにされたダメージを回復してくださいね。幹部が二人もやられて黒魔力の収集にも支障をきたしています」
「チッ、黙ってろ! あんなのたいしたダメージじゃねぇよ。大体、あの魔法少女だけだったらオレ様が勝ってたんだ。それをあの小賢しい人間の御使いが……」
いや、負けは負けでは? とアフィスティアは内心で思ってしまったが、必要以上にアラゾニアのプライドを傷付けてもロクなことにならないので黙っておく。
「ってか、何で人間が魔法少女の御使いやってんだよ!?」
「私に聞かれても知りませんよ……」
「テメェも一応は魔法少女だろうが」
「協会に所属もしていませんし御使いも必要ないので、専門外です」
肩を竦めて言うと、アラゾニアは「使えねぇ」と短く愚痴を溢して去っていく。アフィスティアも肩越しに見送ってから、再び歩き出した。
特に行く当てもなかったが、横目に蔵書室への扉が半開きになっているのが見えたので、何となしに足を踏み入れてみる。
数え切れないほどの本棚とその分だけの本が納められた巨大なその空間は、いつも通りの散らかりよう。
積み上がっては崩れ落ちている本の山脈を踏破すれば、その先に一人の少女がちょこんと床に座っており、分厚い本と睨めっこをしていた。
外見年齢はアフィスティアとさして変わらないくらい。華奢な身体に白い肌。癖一つない黒髪は背丈を超えて長くサラリと床に流れており、あどけなさを残しつつも美しいその顔では、静かに目蓋が閉じられている。
この妙に神秘的な少女は、いつも大抵ここにいる。
「【怠惰】」
アフィスティアが傍によって声を掛けると、名を呼ばれた少女――オクニリアはその目蓋が閉じられた顔を振り向かせてきて、ふっと柔らかく微笑んだ。
「……アフィスティア、いらっしゃい」
「今度はなんの本を読んでいるんですか?」
オクニリアが「ん……」と本の表紙を見せてくる。
「なんか……冒険譚、あったから……」
「面白いですか?」
「ん、そこそこ……外、行かなくても……私も冒険、した気持ちになれる、から……」
気持ち満足そうに微笑んでいるように見えるオクニリアに、アフィスティアは小首を傾げた。
「それなら、自分でも出掛けてみればいいのではないですか?」
「……ん、めんどくさい」
「そ、そうですか……」
「でも、外の世界は、興味ある……」
オクニリアは立ち上がろうとして、床に垂れていた自分の黒髪を足で踏んでしまい転ぶ。ドサドサァ、と辺りに積んであった本が崩れてオクニリアに襲い掛かる。
「い……痛い……」
「まったく……」
何をやっているんですか、とアフィスティアはオクニリアに被さった本を退けて、大人しくその場に座らせた。頭や服を手で払い、くっついた埃を落とす。
「異世界、どんなとこ……?」
「日本のことですか?」
「ん、アフィスティア達が任務で行ってる世界……興味、ある……」
なら自分も戦力として任務に就けばいいのでは? と思ったが、返ってくる答えは間違いなく『面倒臭い』なので聞きはしない。
アフィスティアはスッと宙に右手を伸ばしてどこからともなくヘアブラシを取り出すと、乱れたオクニリアの長い長い黒髪を丁寧に梳かしていく。
「こことはまったく違いますね。文明も技術も発展していて、とても賑やかです」
「へぇ……見てみたい、な……」
「案内しましょうか?」
「……めんどくさい」
アフィスティアは微苦笑を湛えた。
「時間、あったら……アフィスティア、写真撮ってきて……?」
「まぁ、別に構いませんが……」
特に今は何かの任務で忙しいわけでもない。正直時間はいくらでもあるくらいだ。
「あと、本も……」
「本ですか?」
「ん……ここの本は、読み飽きた……」
「な、なるほど……」
注文が多いな、と思いはしたが、いつものことだ。それに、こうしてオクニリアの世話を焼いているとどうしてか心が落ち着くし、何か懐かしいような感じもして気分が良い。
(とはいえ本、ですか……)
本にも沢山種類があるが、生憎アフィスティアはあまり本を読まない。まして異世界の――日本の読み物なんてまったく知識がない。
「まぁ、適当に見繕ってきましょうかね」
「ん、よろしく……」
オクニリアの髪を梳かし終え、アフィスティアはヘアブラシを空間に消すようにして仕舞って立ち上がる。
「記憶の迷路……抜けられるといいね……」
去り際背中にそんな呟きが聞こえてきたが、意味がよくわからなかったので深く気にすることなく、アフィスティアはプライベートで世界を跨いでいった――――




