第54話 報連相を怠った末路……
「さて、と。すっかり妃菜に帰りが遅くなることを伝え忘れていたワケだが……」
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
東の空から徐々に夜の帳が下ろされて、街に生活の明かりが灯り始めている景色を窓の外にして、望は電車に揺られながら手に持ったスマホへ視線を落としていた。
メッセージアプリが起動されている画面には、妃菜とのやり取りが映し出されているのだが…………
――――――――――――――――――――
『今帰ったよ~』
『望くんの方が早く帰ってると思ってた』
『今日は私の方が早かったね!』
『待ってまーす』
『お買い物してるの?』
『言ってくれれば私も行ったのに~』
『気を付けて帰ってきてね!』
『待ってるよー』
『今日、帰り遅いね?』
『何か用事あったっけ?』
【不在着信】
『望くん?』
『どこ?』
【不在着信】
『最近ずっと望くんと一緒だったから、久し振りに一人でちょっと寂しいな……』
『この家ってこんなに広かったっけ』
『すごく静かだよ』
【不在着信】
『望くん』
『ねぇ』
【不在着信】
『早く帰ってきてほしいな』
『お願い……』
【不在着信】
【不在着信】
『ねぇ、大丈夫?』
『望くんどこ?』
『お願い既読して……』
『スマホ使えない状況?』
『無事?』
『捕まったりとかしてないよね?』
『探しに行く!』
『どこ?』
『見付かんないよ』
『望くんどこにいるの?』
【不在着信】
【不在着信】
『お願い返事して……』
【不在着信】
【不在着信】
【不在着信】
『ごめんなさい』
『望くん帰ってきて……』
『この家にいるの嫌になっちゃった?』
『私何かしちゃったかな……』
『ごめんなさい』
『ごめんなさい』
『話したいよ』
『望くん』
『どこに行ったの……』
『寂しいよ』
『一人にしないで』
『おねがい』
【不在着信】
『悪い今気付いた!』
『今すぐ帰ります!』
『無事です!』
『家で待ってて!』
『ほんとゴメン!』
――――――――――――――――――――
気付いたのは、カラオケボックスの部屋を出る前に美玖達と連絡先の交換をするためにスマホを出したとき。
望は基本的に常時マナーモード派でスマホから着信音が鳴らないようにしているので、カラオケにいた約三時間の間はスマホをカバンに入れっぱなしで気付くことが出来なかった。
(にしても俺、妃菜の中で一晩二晩帰らなかったことになってる……? 三時間放置してただけとは思えない履歴だぞ、コレ……)
もちろん帰りが遅くなる旨を伝えなかった自分に非があることは認めているが、流石にこの文面を見せられると背筋に冷たいものを感じる。
この通知の数を見たときは思わず「うわっ」と口にしてしまい、美玖達に不思議がられたのはついさっきのことだ。
「これは……駅に着いたらダッシュだな……」
◇◆◇
「はぁ、はぁ、はぁっ……! ひ、妃菜、ごめっ……ただいま……!」
ぜぇはぁ、と息も絶え絶えな望。
駅に着くなりホームを小走りで移動し改札を出るなり全力疾走。住宅街を駆け抜けて、傾斜が緩やかな小高い丘を躓きながら走り、今こうして家の玄関前に辿り着いた。
目の前には、玄関扉の前で小さく両膝を折り畳んで座って待っていた妃菜の姿。
膝に埋められていた顔が少し持ち上げられ、その淡紅色の瞳がチラリとこちらを向く。
「……望くん、出て行っちゃったかと思った」
「んなワケないだろ……」
望は妃菜と目線の高さを合わせるように膝を折り、荒い呼吸を整えながら力なく笑う。
「ほら、身体が冷えるから中に入ろう」
「……ん」
望が差し出した手に妃菜が小さく頷いてから掴まり、二人で立ち上がった。玄関の鍵は開いていたので、そのまま扉を開けて中に入る。
帰宅が遅れた理由と合わせて、今日美玖達と話した怪奇現象の調査について相談しなければならない。
「俺ちょっと部屋に荷物置いてくるから、妃菜はリビングで待ってて――」
キュッ、と自室がある二階に登る階段へ向かおうとしていた望の制服のブレザーの裾を、妃菜が摘まんで引き止める。
どうしたのかと振り返ると、妃菜が虚ろな瞳で望の腕を見つめていた。そして、ポツリと呟く。
「……匂う」
「え、あっ、悪い。走って帰ってきたからちょっと汗掻いたかも……」
そういうことであれば話をする前にシャワーを浴びた方が良いかもしれないなどと考えている望の顔に、妃菜がそのハイライトをどこかへ忘れてきたような瞳を向けた。
「知らない女の匂いがする」
「――ッ!?」
ドキッ、と心臓が強く悲鳴を上げた。
意図せずして身体が強張ってしまう。
心拍数はみるみる上昇しているはずなのに、どうしてか体温が下がっていく感覚。
妃菜が首を傾げた。
はらり、と肩に掛かっていた白髪が滑り落ちる。
「……望くん」
「違うんだ妃菜これにはワケが――」
「――私が家で待ってる間、ずっと女の人といたの? 全然連絡が取れないくらい女の人に集中してたの? それで、どこにいたの? 一時間くらい街中を跳び回ったけど見付からなかったってことはどこかに入ってたんでしょ? 女の人とどこに入って何をしてたの? ねぇ、望くん?」
望が一歩後退れば、妃菜が一歩詰め寄り。
さらに一歩引けば、やはり一歩押される。
そんな調子で後ろに下がっていると、気付けば階段の前まで移動してきていた。
「うおっ……!?」
後ろをよく見ずに後退っていたせいで、踵を階段に引っ掛けて身体を後ろに倒してしまう。そのまま尻餅をつくように階段に座り込んだ。
妃菜はそんな望を見下ろす形で佇んでおり、リビングの照明の逆光で望からはその表情に影が差してよく見えない。
「ひ、妃菜さんちょっと落ち着いて……!? ちゃんと理由があるから! 説明するから!」
これ以上後退り出来なくなった望が妃菜を制止するように手を突き出して、必死に声を掛ける。
妃菜は数秒その場で微動だにせず佇んでいたが――――
……ポタ。
ポタポタッ……!
「……妃菜?」
「うぅっ……」
妃菜の足元の床に水滴が弾けた。
それを見た望が顔を上げて、俯いた妃菜の顔をよく覗き込んで見てみると…………
……泣いていた。
ぎゅぅっ、と胸を強く締め付けられるような感覚が望を襲う。
「心配、した……心配してたっ……! またっ、私の傍から……今度はっ……望くんが、連れ去られたかもって……! うぅっ……ひぅっ……!」
「……ゴメン、妃菜。そうだよな……本当にゴメン……」
自分の傍にいるのが当たり前の人が帰ってこない。
妹の由菜が連れ去られている妃菜にとって、それがどれだけ心の傷になっているか。
望は改めて思い知って、深く深く反省した。




