十二話 兆候
フィオがファルネーゼ侯爵家に来て二ヶ月が経った。順調に授業や課題をこなし、フィオの成績はみるみる上がっていった。
「はい、では今日の授業はここまでとします。もう基本的な読み書きは完璧ですね」
「本当ですか?ありがとうございます!ターナー先生!」
「良いですね。だんだんと話し方も身分相応のものになってきています。私は高い報酬に見合った働きが出来ているようですね、おっと…これは子供に聞かせるような事では無かった…失敬」
「……?」
「いえ、気にしないで結構です。このまま行けば我が母校…帝国立総合学校の入学試験を突破することも不可能ではありません。気を休めずに努力を続けていきましょう」
「はい!ターナー先生!」
授業が終わって夕食に向かう途中、何やら使用人の世間話がフィオの耳に入ってきた。
「そろそろ始まるらしいわねぇ」
「怖いですよね……すぐに終わってくれればいいんですが…」
最近屋敷や街中ではこのような暗い噂話が絶えない。ヴァルテルが言うには近々せんそうというものが始まるらしい。
ドラヴェス帝国の北東に隣接するサングィス朝ラミナ王国は長年帝国と敵対関係にあり、十数年に一度のペースで争いが起きているようだ。毎度圧倒的な軍事力の差で帝国が優勢になるというのだが……依然として決着が着いていないのは何か訳があるのだろうか。いずれにしろ今回の戦争で最後になるだろうという意見が多いようだ。その根拠を色々とヴァルテルが教えてくれたのだがフィオには難しくてわからなかった。
「と、この話は終わりにしましょう。フィオ様が今考えなくてはいけないのは入学試験の勉強だけです」
「うぅ……分かってるよ」
ヴァルテルには見抜かれていた。勉強の話に飽きてしまったので、なにか気を紛らわす話題が欲しかっただけだということに。
「戦争ねー…なんだかなー」
ニーナはスープをゴクゴクと飲み干したあと難しい顔をしてそう言った。
「ニーナの気持ちはよく分かる。私もそうだが、元来我らが一族は血生臭い事は好かん」
「そうそう。父様の言う通り平和が一番だよ!戦争なんて命の無駄だと私は思う」
とは言うものの、この一家のような意見は帝国内で少数派らしい。帝国の頂点である現在の皇帝が血気盛んな性格らしく、それに連なる家臣も自然と似たような者が多いのだと。
「絶対いつか…私がなくしてみせる…」
ニーナはついこの前まで生えていたはずの右手を見てそう呟いた。フィオにしか聞こえていないようだったが、フィオにはこの言葉が何を意味するのかわからなかった。
◇◆◇◆
「すまんの、来週からしばらく授業が出来んくなった」
開口一番リューディアはそう告げた。
「せんそう?だよね?エドガー先生も同じだったから僕は大丈夫だよ!」
そう、防衛学校入試対策授業をしてくれていたエドガーは戦に駆り出されたので、当面の授業は中止になった。代わりにたんまりと宿題を出されたのでべつに暇になったわけではない。
「ふむ、お主も知っておるのか。そうだ。皇帝陛下の勅令とあらば無下には出来ないだろう?全く…ワタシはこの体での戦闘にまだ慣れておらんというのに…嘆かわしいことだ」
よく分からないが乗り気では無いらしい。
「今日の授業は私と魔法戦だ」
「え!そんなの…まだ僕には…」
「話を最後まで聞け。魔法戦と言ってもワタシから攻撃することはない。攻撃するのはおぬしだけだ。ワタシに魔法を喰らわせられた時点で授業を終了とする」
「それだったら…出来ると思う」
「ガハハハ!そうか!出来るか!ワタシも戦の前の肩慣らしのつもりでやらせてもらうからのう!全力で来るのだぞ!」
フィオはリューディアに向けて杖を構えた。リューディアはというと腕を組んで偉そうに突っ立っている。
「いつでもよいぞ」
その言葉が合図となった。フィオは体の魔力を杖に集中させ、魔法陣を構築する。
「魔殴!」
リューディアに向けて見えない魔力の塊が遠慮なく発射された。フィオはリューディアを傷つける事など不可能だと思っているので、最初から本気だ。
リューディアはフィオの魔殴に小さな水の球をぶつけて相殺した。
(当たり前だけどただ魔法を撃つだけじゃだめだよね…)
フィオがこの三ヶ月で学んだ魔法は二つ。無属性魔法「魔殴」「魔弾」である。魔弾は魔殴よりも操作性を上げた代わりに威力を落とした単純な魔法だ。
無論、この二つの魔法だけで彼女に勝てるとはフィオは思っていない。なんならリューディアもそんなつもりで言っていないだろう。呪いを使って戦えという意味だ。
「さて、おぬしはどうやってワタシに勝つつもりだ?」
フィオはその問いに答えるようにテキパキと何かをし始めた。よく見てみると地面に絵を描いているではないか。それも一つや二つではない、数え切れないほどの円だ。
(どういうことだ。魔法が発動しておらんな……むっ!そういうことか!)
目を細めてみるとそれらは完全な円ではなく、欠けた月のように一部分が無い状態のものだった。
「ガハハハ!手を出さんと言ったのは間違いだったようだな!見ておることしかできんわ!」
フィオはリューディアを囲むように不完全な円を百個近く地面に描いた。
「行くよ…!リューディア先生!」
そう言ってフィオは杖を地面に突き刺してリューディアの周りを駆け抜けた。
―――シャーーーッ!
フィオが地面に引いてゆく線は計算されたように円の欠けた部分を埋めていった。途端に無属性魔法「魔弾」が光に群がる羽虫の大群のようにリューディアの方へ放たれる。
―――ズドドドドド!
フィオは手を止めることなくさらに魔法を発動させてゆく。
「やってくれるな小僧!」
リューディアは赤い魔法陣を構築し、魔法で炎の壁を生み出した。炎を操り、次々と魔弾をいなす。
(全部描き終わった!今だ!)
フィオはポケットから緑色の絵の具を取り出し、手にべちょっとぶちまけた。ちょうどいいキャンバスがなかったので自分の服にぺたぺたと色を塗ってゆく。
リューディアは残った数十発の魔弾に気を取られてこのことに気づかない。
緑色の絵が風の刃に変貌し、空を裂いた。
「むっ!そうきたか!」
フィオの放った風属性魔法「風よ吹け」はリューディアの周りの炎をも裂き、彼女に直撃した。かに思えたが…炎の更に内側に透明な水の膜が張られており、それを破ることは叶わなかった。
「あぁー…無理だったぁ」
フィオは奥の手が通用しなかったのを見て地面に倒れ込む。闘いに夢中になっていて気づかなかったが、魔力もすっからかんになっていたのだ。
(でも…ちょっと安心したかも)
正直ニーナのことがあったのであの風魔法を使うのが怖かった。でもリューディアはなんなく防いでくれた。それにフィオは悔しさと安心感を同時に覚えていたのだ。
「よくやったのう。フィオ・ファルネーゼよ」
残りの魔弾を全て捌ききったリューディアはフィオの隣に座った。
「ほれ、見てみぃ」
「それってどういう…」
リューディアが指を指した箇所、彼女のローブの袖がザックリと切れていた。フィオの攻撃は命中していたのだ。
「ほんとに!?やった!」
「全く末恐ろしい子だ。五歳の所業とは思えんぞ」
そう言ってリューディアはフィオの真っ白な頭を撫でる。リューディアも十六歳の少女のはずだが……つくづく掴みどころのない人物である。とフィオは心の中で思った。
言っていた通りリューディアとエドガーは来週から侯爵家に来なくなった。マグヌスに聞いてみると毎回遅くとも三ヶ月ほどで戦争は終わるようで、その頃に戻ってくるだろうとの事だった。
しかし、なんと二週間で戦争は決着を迎えた。結果は帝国軍の大敗。この戦争は後に「スカラ川の悲劇」と呼ばれることとなる。
リューディアとエドガーは戦争が終わっても帰ってくることはなかった。




