第7話:環境部式・害獣駆除マニュアルと、疫病の王の『分別』作業
第7話:環境部式・害獣駆除マニュアルと、疫病の王の『分別』作業
グーテン街の外れ、高い防壁によって一般市民の居住区から隔離されたエリア。
それが、眼帯の男ドノバンが仕切る『スラム街』だった。
「……ひどいな、これは」
現場に到着した俺は、思わず眉間を揉んだ。
スラムの最奥部には、街中から不法投棄されたありとあらゆるゴミが山のように積み上がり、巨大な『谷』を形成していた。腐敗した生ゴミ、魔物の骨、壊れた家具。そこから発生するメタンガスと硫化水素が混ざり合い、視界が緑色に霞むほどの淀んだ空気が漂っている。
「アニキ……申し訳ねえ。俺たちスラムの住人は、街のゴミ捨て場にバラックを建てて住み着くしか生きていく術がなかったんでさぁ」
ドノバンが痛ましげに目を伏せる。
俺の脳内エクセルが、瞬時にこの地域の『環境アセスメント(環境影響評価)』を弾き出した。
ゴミの発酵熱による自然発火のリスク、有毒ガスの滞留、そして何より――病原菌を媒介する害獣の異常繁殖。市役所の環境部時代、悪質な不法投棄業者と戦い続けた俺の血が、公務員としての使命感で静かに沸き立つのを感じる。
「キューーッ!」「ギヂィィッ!」
ゴミ山の奥から、豚ほどもある巨大なネズミ『ジャイアント・ラット』が数匹、赤い目を光らせて姿を現した。その口元からは緑色のヨダレが滴り、周囲の空気をさらに汚染していく。
「出やがったな! アニキ、俺が先陣を切って奴らをぶった斬ってきやす!」
大剣を背中から引き抜き、猛然と突撃しようとする狂犬ガルド。俺はすかさず、持っていた手製のバインダーで彼の屈強な胸板を『スパーン!』と叩いて制止した。
「待て。ここは労働安全衛生法が適用される現場だ。事前のリスクアセスメント(危険予知)を行わずに敵陣へ突っ込むなど、典型的な『現場猫(労災)』案件として始末書の対象になるぞ」
「げ、げんばねこ……? し、始末書……!?」
「いいか。害獣駆除の基本は『包囲殲滅』と『発生源の封鎖』だ。剣を振り回して暴れれば、驚いたネズミがスラムの居住区へ四散して被害が拡大する。俺の指示通りに動け」
俺はバインダーに挟んだ羊皮紙に、ササッとゴミ山の簡易マップを書き込み、三人の部下(舎弟)たちにタスクを割り振った。
「ザック。お前は身軽さを活かして、ゴミ山の周囲を走り回り、ネズミの逃げ道になりそうな小さな穴をすべてマッピングして塞げ」
「了解しやした、アニキ! 斥候の腕の見せ所でさぁ!」
「ボランさん。ザックの報告をもとに、広めの逃走経路を『土壁の魔法』で完全に封鎖してください。魔力の消費を抑え、あくまで『蓋をする』ことだけに専念を」
「フォッフォッ。お安い御用ですぞ、お館様。長年の経験が活きる地味な作業はお任せあれ」
「そしてガルドとドノバン。お前たちは風上から、湿った落ち葉と廃材を燃やして『不完全燃焼の煙』を巣穴に送り込め。燻り出し(燻蒸消毒)を行う」
俺の完璧な『タスク管理』による指示を聞き、男たちは息を呑んだ。
「な、なんて緻密な軍略だ……!」「それぞれの特性を完全に把握した適材適所の采配……!」「これが、数々の死線を潜り抜けてきた男の『戦術』……!」
いや、ただの市役所の害獣駆除マニュアルなのだが。
勝手に軍神のように崇め奉る彼らをよそに、俺は腕時計(現実世界から着けてきたもの)を確認して手を挙げた。
「作戦開始だ」
俺の号令とともに、アニキ一家の連係プレーが見事に機能し始めた。
ザックが風のように駆け抜けて穴を特定し、ボランが的確な土魔法で退路を断つ。そしてガルドたちが大量の煙をゴミ山の奥へと送り込む。
たまらず飛び出してきたネズミたちは、計算し尽くされた『キルゾーン(駆除エリア)』へと誘導され、待ち構えていたガルドの大剣とドノバンの斧によって、次々と流れ作業のように『処理』されていった。
「す、すげえ! あんなに苦戦してたジャイアント・ラットが、面白いように狩れるぞ!」
「アニキの指示通りに動くだけで、俺たちは一切の危険を冒さずに魔物を制圧できてる……!」
俺はバインダーに『駆除数』の正の字を書き込みながら、満足げに頷いた。
素晴らしい。魔法が使えない俺でも、プロジェクト・マネージャーとして後方から指揮を執るだけで、前衛のむさ苦しい男たちが勝手に無双してくれる。
これなら、指一本汚すことなく、ギルドの可愛い受付嬢に『スラムを救った英雄』として華麗な報告ができるというものだ。
しかし、公務員の現場仕事というものは、得てして予期せぬトラブルに見舞われるものである。
「GYAOOOOOOOOOOOッ!!!」
突如、ゴミ山の中心部が爆発するように吹き飛び、尋常ではない咆哮がスラム街に轟いた。
もうもうと立ち込める緑色の瘴気の中から姿を現したのは、軽トラックほどもある巨大な肉の塊――ジャイアント・ラットの『突然変異種』だった。
「な、なんだあのバケモノは……!」
「アニキ! ダメです、あいつの体から出てる瘴気は、さっきまでの比じゃねえ! 少し吸っただけで、血を吐いちまう……ッ!」
最前線にいたガルドとドノバンが、ボス・ネズミから放たれる濃密な疫病のガスに当てられ、膝をついて激しく咳き込み始めた。
ボス・ネズミは赤い目を爛々と輝かせ、動けなくなったガルドたちに向かって、鋭い牙を剥き出しにして巨大な顎を開いた。
絶体絶命の危機。
俺の脳内ライブラリが、高速で『Bunkoid版・絶対にすべらない!合コンでの必勝会話術100選』の第15章を検索・表示した。
――【予期せぬトラブルこそ、男の器を見せる最大のチャンス。誰もが尻込みするような泥臭い仕事を涼しい顔で処理し、頼れる背中を演出せよ。女性はそんな『いざという時に動ける男』に本能的な魅力を感じるのだ】。
なるほど。
ここで俺が、あのおぞましいボスの処理を一人でスマートにこなせば。
後日この武勇伝がギルドの受付嬢の耳に入った時、俺の株はストップ高を記録するに違いない。
「……仕方ない。ここからは、俺が直接『行政代執行』を行う」
俺はバインダーを小脇に抱え、一人、ゆっくりと緑色の瘴気が渦巻く『死の領域』へと歩み出した。
「ア、アニキィ!? ダメだ、そのガスに触れたら全身の皮膚が腐り落ちちまうッ!!」
「お館様ぁぁぁっ!!」
背後で舎弟たちが悲痛な叫びを上げるが、俺の足は止まらない。
女神の適当なチートスキル『病気にかからない身体』。それは第4話のドブ掃除で実証された通り、着用している衣服にまで強力なバリア効果を及ぼす。
致死性の疫病ガスが俺の体に触れようとした瞬間、見えないフィルターに弾かれるようにして霧散していく。俺の市役所指定の作業着は、シミ一つ、汚れ一つなく、洗いたての清潔さを完璧に保っていた。
俺が無傷のまま、平然と瘴気の中心まで歩いてきたことに、ボス・ネズミが驚愕したように動きを止めた。
「GYARUUUUUUUUUッ!!」
ボス・ネズミが威嚇のため、周囲のゴミが吹き飛ぶほどの凄まじい殺気と咆哮を俺に向かって放つ。並の冒険者なら、そのプレッシャーだけで心臓が止まるだろう。
だが、俺にはもう一つの地味スキル『反威圧』がある。
「うるさいな。近隣住民への騒音公害で通報するぞ」
俺は中指で眼鏡をクイッと押し上げ、完全に感情を排した『お役所スマイル』で、見下ろしてくるボスの赤い目を真っ直ぐに見据えた。
殺気も、威圧も、俺にとっては窓口で怒鳴るクレーマーの飛沫以下のそよ風だ。俺が瞬き一つせず、一切の恐怖を感じていないことを悟った瞬間――ボス・ネズミの巨体が、ビクゥッと怯えるように震え上がった。
『……こ、こいつ、これだけの瘴気と殺気を浴びて、なぜ微動だにしない……!? 得体が知れなすぎる……!』
ネズミの表情が、明らかにそう語っていた。
俺はバインダーから、太く頑丈な『事業系大型廃棄物用・指定ゴミ袋』と、捕獲用のロープを取り出した。
「お前は魔石の反応があるから、資源ゴミだ。大人しく分別されろ」
完全に戦意を喪失し、後ずさりしようとするボス・ネズミの脳天に、俺はロープを的確な『もやい結び』で投げ縄のようにして引っ掛け、力任せに引き倒した。
ズスゥゥン! と巨体がゴミの山に倒れ込む。
そこにすかさず、息を止めて駆け寄ってきたガルドの大剣が、ボスの急所へと深々と突き立てられた。
「……討伐完了、だな」
俺はズレた眼鏡を直し、バインダーにチェックマークを入れた。
その直後だった。
背後で、ガルド、ザック、ボラン、そしてスラムの顔役ドノバンをはじめとする、様子を見守っていた数十人のスラムの男たちが、全員揃って石畳に両膝をついたのだ。
「あ、アニキ……。あんた、いったい何者なんだ……」
ドノバンが、震える声で呻くように言った。
「あんな、一瞬で命を刈り取る死の瘴気の中を、ただの散歩みたいに歩いていきやがった……」
「おまけに、あの災厄の王が、アニキに睨まれただけで恐怖に震え上がり、戦意を失ってやがった……!」
「圧倒的だ……! 俺たちは今日、本当の『神』を見たんだ……!!」
「うぉぉぉぉぉぉん!! アニキィィィッ!! 一生ついていきやすぅぅぅッ!!」
地鳴りのような歓声と号泣が、スラム街に響き渡った。
数十人のむさ苦しい男たちが、泥だらけの顔を涙で濡らしながら、俺に向かって深々と平伏している。
違う。
俺はただ、清潔な服のままスマートに害獣を駆除して、受付嬢にモテたかっただけなのに。
こうして、俺の『包囲殲滅マニュアル』と『病気無効のバリア』は、スラムのならず者たちに決定的な勘違いを植え付け、アニキ一家の構成員を一気に数十名規模へと膨れ上がらせてしまうのだった。
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