第5話:異世界酒場での食品衛生指導と、男泣きの健康管理(ベジファースト)
第5話:異世界酒場での食品衛生指導と、男泣きの健康管理
夕暮れ時のグーテン街。
オレンジ色に染まる石畳のメインストリートを、俺は深くため息をつきながら歩いていた。
「アニキ! 次はどこへ向かいやすか! カチコミですか!」(ガルド)
「俺が斥候として先行しやすぜ、兄貴!」(ザック)
「フォッフォッフォ。お館様、わしは後方から支援魔法の準備をしておきましょうぞ」(ボラン)
俺の背後には、大剣使いの巨漢ガルド、ネズミのように痩せ細ったシーフのザック、そして白髪の老魔術師ボランが、カルガモの雛のようにピッタリと隊列を組んでついてきている。
ギルドでうっかり『無料の労働・生活相談』に乗ってしまった結果、彼らは完全に俺を『組織のボス』として崇拝し始めてしまった。
俺は足を止め、振り返って三人を諭すように言った。
「カチコミには行かない。それと、俺はただの一般人だ。ファミリーとか若頭とか、そういう物騒な反社会的呼称はやめなさい。市民の通報が入ったらどうするんだ」
「おお……なんという慈悲深さ。強大な力を持ちながら、あくまで一般市民に溶け込もうという隠密行動の極意……! さすがはアニキだ!」
「……もういい。好きにしろ」
訂正する労力すら惜しくなってきた。
それに、腹が減った。女神から放り出されてから、俺はまだ何も食べていない。手持ちの資産は、女神から貰った3銀貨と、スライムのドブ掃除で稼いだ銅貨5枚のみ。(※ボランが勝ち取った退職金の銀貨5枚は、「それは君の正当な権利だから自分で管理しなさい」と突き返してある)
「ガルド。この辺りで、安くて腹にたまる定食屋はないか。できれば、可愛い店員さんがいるところが望ましい」
俺がリクエストすると、ガルドは「可愛い店員、ですか?」と首を傾げた後、「ああ、アニキの豪遊ですね! 任せてくだせえ!」と胸を叩き、路地裏にある一軒の酒場へと案内してくれた。
『赤猪の牙亭』と書かれた看板が揺れるその店は、いかにもファンタジー世界の酒場といった風情だった。
重い扉を開けると、肉を焼く煙と、安酒のツンとしたアルコール臭、そして男たちのむさ苦しい体臭が混ざり合った空気が漂ってくる。
俺たちは空いている丸テーブルに腰を下ろした。
その瞬間、俺の『環境部職員としての本能』が警鐘を鳴らした。
「……机が、異常にベタついているな」
俺は指先でテーブルの表面をスッと撫でた。長年の油汚れと、こぼれたエールが層になり、もはや独自の生態系を築き上げている。
食品衛生法に基づく飲食店営業許可の基準に照らし合わせれば、即座に営業停止処分を下すべき惨状だ。
「おい、アニキがお待ちだぞ! 誰か注文を取りに来い!」
ガルドが怒鳴ると、厨房の奥から「はいはい、今行きますよー!」と、可愛らしい声が響いた。
現れたのは、そばかすがチャーミングな、赤毛のお下げ髪のウェイトレスだった。歳は10代後半といったところか。愛想の良い笑顔に、俺のテンションが密かに急上昇する。
チャンスだ。
俺の脳内で、Bunkoid版『絶対にすべらない!合コンでの必勝会話術100選』の第7章のページがパラパラと開かれた。
――【食事の席では、男がスマートに注文をリードすべし。女性の健康や美容を気遣ったメニューを選ぶことで、『気が利く大人の男』をアピールできる】。
彼女は店員だが、俺のスマートさをアピールする絶好の観客だ。
俺は中指で眼鏡を押し上げ、メニュー板(文字が読めない客のために絵が描かれている)を一瞥し、ウェイトレスに向かって完璧な微笑みを向けた。
「すまないが、まずはこのテーブルを念入りに水拭きしてくれないか。アルコール度数の高い酒があるなら、それを布に染み込ませて除菌してほしい。食中毒の発生源になる」
「えっ? は、はい……!」
俺の冷静すぎる衛生指導に、ウェイトレスは目を白黒させながらも慌ててテーブルを拭き始めた。
よし、第一印象は『清潔感に厳しい大人の男』だ。俺自身の服は『病気にかからない身体』のバリア効果で、スライムのドブ掃除後とは思えないほどパリッと清潔に保たれているため、説得力は抜群である。
「注文をお願いしよう。とりあえず、よく煮込んだ根菜のスープを4人分。それと、肉は表面を炙っただけのレアではなく、中まで完全に火を通したウェルダンで。飲み物は、冷たいエールではなく『一度沸騰させた白湯』を人数分頼む」
「えっ……? あ、エール(酒)じゃなくて、お湯ですか?」
「ああ。未加熱の生水はコレラや赤痢などの感染症リスクが高いからね。しっかり煮沸消毒したものをお願いしたい」
ウェイトレスは「は、はぁ……」と不思議そうな顔で厨房へと戻っていった。
周囲の冒険者たちは、酒場に来て酒を頼まない俺たちを怪訝な目で見ている。
「あ、アニキ……? あの、酒は飲まねえんですか?」
ザックが申し訳なさそうに尋ねてきた。俺は彼ら三人を見回し、深くため息をついた。
「いいか、お前たち。ガルドは顔色が悪い。ザックはガリガリで栄養失調だ。ボランさんに至っては高齢で免疫力が落ちている。こんな状態で、アルコール度数の高い酒を空腹の胃に流し込んだら、急性アルコール中毒や肝機能障害を引き起こす。それに、生焼けの肉は寄生虫のリスクがある」
「きせいちゅう……?」
「要するに、健康寿命を縮めるということだ。お前たちは今日から俺の管轄下に入った。ならば、俺にはお前たちの健康と衛生環境を管理する義務がある。資本となる身体を大事にしろ」
俺はただ、市役所の『健康福祉課』のポスターに書いてあるような正論を述べ、同時に『後輩の体調を気遣うデキる上司』を演じてウェイトレスにアピールしただけだった。
やがて、湯気を立てる根菜のスープと、中までしっかり火の通った豚肉のステーキ、そして温かい白湯が運ばれてきた。
俺は全員の前に皿を配り、一つ指示を出した。
「さあ、食え。ただし、まずはスープの中の野菜から食べるんだ。急に肉や炭水化物を入れると血糖値が急上昇して血管に負担がかかる。『ベジファースト』を徹底しろ」
「べじ……ふぁーすと……?」
三人はポカンと口を開けたまま、目の前の温かい食事を見つめていた。
そして、ガルドが震える手でスプーンを握り、スープの野菜を口に運んだ瞬間――彼の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「うぅ……うぅっ……あったけえ……。野菜が、胃の奥に優しく染み渡りやす……」
「兄貴……俺たちみてえな、いつ死んでもおかしくねえド底辺のチンピラに……『未来の健康』を心配して飯を食わせてくれるなんて……!」
「おおお……わしは長年冒険者をやってきましたが、仲間の『ケットウチ』とやらを気遣ってくれるリーダーなど、ただの一人もおりませんでしたぞ……っ!」
三人の男たちが、スプーンを握りしめながら、ボロボロと号泣し始めたではないか。
彼らにとって、これまでの食事とは「安い酒で痛みを誤魔化し、固い干し肉を齧る」だけの作業だったのだろう。
『自分たちの身体(資本)を本気で案じてくれる存在』の登場は、彼らの孤独な心に決定的なクリティカルヒットを与えてしまったらしい。
「うぉぉぉん! アニキィィ! 俺ぁ一生、アニキの言う通り『べじふぁーすと』の掟を守りやすぅぅっ!!」
「俺の血圧と血糖値は、すべて兄貴に捧げやす!!」
「いや、俺に捧げなくていいから。泣きながら白湯を飲むな。むさ苦しい」
俺は冷静にツッコミを入れながら、厨房の方をチラリと見た。
そこには、男三人が『温かい野菜スープ』をすすりながら大号泣しているというカオスな異常空間を見て、完全にドン引きし、青ざめた顔で後ずさりしているウェイトレスの姿があった。
……おかしい。
Bunkoid版の指南書には、『健康を気遣う男はスマートでモテる』と書いてあったはずなのに。
どうやら俺の異世界モテ・ライフへの道は、まだまだ前途多難らしい。
俺は静かに白湯をすすりながら、明日からの生活費をどう稼ぐべきか、脳内エクセルで事業計画(クエスト選び)を組み立て始めるのだった。
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