第3話:本名「アニキ」の誕生と、環境部仕込みの不法投棄(スライム)撤去作業
第3話:本名「アニキ」の誕生と、環境部仕込みの不法投棄撤去作業
「お、お待ちどうさまでしたぁっ! こちら、新規登録用の書類になります! あ、あの、お名前は……っ!?」
金髪の受付嬢が、涙目でガタガタと震えながら羽ペンを構えていた。
無理もない。先ほどまでギルドで一番暴れていた大男のガルドが、狂犬から忠犬へとジョブチェンジし、俺の斜め後ろで番犬のように大人しく控えているのだ。受付嬢からすれば、俺は『狂犬をノーモーションで手懐けた裏社会のヤバい奴』にしか見えていないだろう。
誤解を解かねばならない。俺は極めて紳士的に微笑み、自分の本名を名乗ろうと口を開いた。
「俺の名前は――」
「兄貴だ!!」
俺の言葉を遮り、隣のガルドがギルド中に響き渡る大声で叫んだ。
「この人は今日から俺の兄貴だ! いや、俺だけじゃねえ! この街の貧乏冒険者すべての救世主、偉大なる兄貴だァァッ!!」
「ひぃぃぃっ! ア、アニキ様ですね! かしこまりましたぁぁっ!」
サラサラサラサラッ!!
受付嬢の羽ペンが、摩擦で煙が出るのではないかという異常な速度で羊皮紙の上を滑っていく。
「あ、いや、ちょっと待って。それは彼が勝手に呼んでいるだけで、俺の戸籍上の本名は――」
「はいっ! こちら、アニキ様のギルドカードになります! 紛失時の再発行には銀貨1枚かかりますのでご注意ください!」
カンッ、と木製のカウンターに差し出された真新しい銅製のプレート。
そこには、この世界の公用語でハッキリと、こう刻まれていた。
【氏名:アニキ / ランク:F】
俺の顔からスッと笑顔が消えた。
おい嘘だろ。いくらなんでも適当すぎる。公文書偽造じゃないかコレ。本人確認書類の提示すらないのか。市役所の窓口なら「書類の不備です、住民票を持って出直してください」と即座に突き返す事案だ。
しかし、ここで「いや、本名は違うんだ。直してくれ」と訂正するのは、どうにもダサい。
ソノママゾンで購入し、Bunkoid版で熟読した『絶対にすべらない!合コンでの必勝会話術100選』にも、【女性の前でオロオロと些細なミスを弁解する男はモテない。トラブルすらも鷹揚に受け入れる器の大きさを見せろ】と書かれている。
俺は余裕のある男を演じ切るため、内心の激しい動揺を完璧に隠し、涼しい顔でカードを懐にしまった。
「……迅速な手続きに感謝する。それで、さっそく仕事を受けたいんだが」
「仕事、ですか!?」
「ああ。なにぶん、手持ちが3銀貨しかなくてね。今日明日の飯代を稼ぎたい」
俺の素直な資産申告に、ギルド内が再びザワついた。
「おい聞いたか……あれほどの凄腕なのに、3銀貨しか持ってないらしいぞ」
「強さを求めて過酷な修業を積んできた結果、世俗の財産をすべて捨てたってことか……」
「金や名誉には目もくれない……なんてストイックな御仁だ……!」
いや、本当にさっきポンコツ女神から3銀貨しか貰えなかっただけなのだが。なぜか勝手に修道僧のように美化されている。
ガルドが申し訳なさそうに巨体を縮め、俺の耳元で囁いた。
「あ、兄貴。Fランクがすぐ受けられるその日払いの依頼は、さっきの胡散臭い職員が出してきた『毒沼のヘドロ・スライム駆除』くらいしか残ってねえです。あれは危険手当も出ない、完全な死に仕事でさぁ……」
「なるほど。報酬は?」
「……銅貨5枚です」
ギルドカードの発行手数料がガルドの奢りだったため、手持ちは3銀貨(銅貨300枚)のままだ。銅貨5枚なら牛丼並盛一杯分といったところか。労働基準法的には完全にアウトだが、無職よりはマシである。
「よし、それを受けよう。ガルド、現場を案内してくれ」
「あ、兄貴……! 俺に気を使って、あんな最悪の依頼を自ら被ってくださるなんて……! 俺も必ずお供しやす!!」
「いや、気を使ったわけじゃないんだが」
かくして俺――本名『アニキ』は、初めての異世界クエストへと赴くことになった。
*
グーテン街の裏手にある、巨大な下水処理施設。
そこは、強烈な腐敗臭と致死性の瘴気(有毒ガス)が立ち込める、この世の地獄のような場所だった。
「ゲホッ、ゴホッ! あ、兄貴……ここはやっぱり危険です……! 少し吸い込んだだけでも、肺が焼けるように痛てぇ……!」
ガルドが分厚い布で口と鼻を固く覆い、涙目でえずいている。
無理もない。下水に繁殖した巨大な『ヘドロ・スライム』が放つ毒素は、一般の冒険者なら5分で高熱を出して倒れるレベルの代物だそうだ。だからこそ誰もやりたがらず、Fランクに押し付けられていたのである。
しかし。
「――なるほど。排水溝の詰まりによる硫化水素の滞留と、不法投棄された生ゴミがスライムの温床になっているわけか。市役所の裏山にある不法投棄現場よりはマシだな」
俺は布で顔を覆うこともせず、無防備な作業着姿のまま、ズブズブと毒のヘドロの海へと足を踏み入れていた。
匂いは確かにキツいが、体調には一切の変化がない。女神が適当にくれたチートスキル『病気にかからない身体』のおかげだ。ウイルスだろうが有毒ガスだろうが、俺の肉体はすべてのバッドステータスを自動で無効化していた。
「よし、ガルド。君はそこで見ててくれ。俺が詰まりの原因を分別処理する」
「あ、兄貴ィ!? ダメです、素手でその毒ヘドロを触ったら、皮膚がドロドロに溶けちまう!!」
俺は足元でうごめくバスケットボール大の『ヘドロ・スライム』を、両手でガシッと鷲掴みにした。
「有機物の塊……これは燃えるゴミ、だな」
スライムは「ギシャァァァッ!?」と粘着質の悲鳴を上げたが、俺は一切動じず、女神の布バッグから取り出した麻袋へとスライムを力任せにギュウギュウに押し込んだ。
溶けるどころか、手荒れ一つしない。現場仕事で鍛えられた中肉中背の筋肉は、ぬかるんだ足場でも完璧な体幹バランスを保っていた。
「さぁ、どんどん行くぞ。こっちの鉄くずは燃えないゴミ。あそこの魔物の骨は……粗大ゴミか? いや、一般廃棄物だな。事業系廃棄物ではないから市の管轄で処理できる」
俺が一切の魔法も使わず、ただひたすらに物理と人力で毒沼を清掃していく姿を、安全圏にいるガルドは震えながら見つめていた。
「信じられねえ……。あの致死性の瘴気をノーガードで吸い込みながら、素手でヘドロ・スライムを引っこ抜いてやがる……。しかも、一切の乱れがない完璧な動き(分別作業)……!」
ガルドの目には、俺が『圧倒的な気で毒を弾き返す、伝説の武闘家』にでも見えているのだろう。
だが俺の頭の中にあるのは、『はやくこの臭い仕事を終わらせて、ギルドの可愛い受付嬢さんに報告に行き、「汚い仕事も厭わない立派な方!」と好感度を稼ごう』という不純な動機のみである。
「おいガルド! そっちに飛んだぞ、袋を開けろ!」
「は、はいっ、兄貴!!」
こうして、本来なら魔法使いを含めた数人がかりのパーティで、解毒ポーションを飲みながら数日かけて行うはずの最悪のデスマーチ案件は、元・環境部職員による圧倒的な『現場のノウハウ』と『病気無効スキル』によって、たったの2時間で制圧されることとなる。
俺たちがギルドに帰還したとき、再び伝説が一つ刻まれることなど、清掃作業に没頭している俺はまだ知る由もなかった。
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