第21話:神話級のクレーマー(古竜)と騒音公害、バインダー一つで受理する『被害届』
第21話:神話級のクレーマー(古竜)と騒音公害、バインダー一つで受理する『被害届』
領主から五億円(金貨五千枚)という莫大な災害復旧補助金をむしり取り、グーテン街にようやく平和な日常が戻った……かに見えた、その日の夕刻。
「……よし。これで倒壊したバリケードの修繕費と、全市民への見舞金の分配案は完成だな。残りの予算は、五十人の馬鹿共(部下)の食費と福利厚生に回すとして……」
現地対策本部の二階。
執務室のデスクで、俺が完璧な予算執行計画書に事務印(アニキ印)を押して一息ついた、まさにその瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォ……ッ!!!
突如として、グーテン街全体を激しい横揺れが襲った。
地震ではない。空から、尋常ではない質量の『何か』が、街の中心部――中央広場へと降下してきたことによる、すさまじい風圧と地鳴りだった。
「な、なんだ!?」「空が……空が真っ暗に……っ!」
一階のロビーから、ガルドたちの悲鳴が上がる。
俺は眉をひそめ、窓から外を見下ろした。夕焼けに染まっていたはずの空は、巨大な漆黒の翼によって完全に覆い隠されていた。
「……冗談だろ」
中央広場に降り立ったのは、まるで一つの小山ほどもある巨大な生物だった。
黒曜石のように輝く分厚い鱗。空を切り裂く巨大な翼。そして、黄金に燃え盛る二つの瞳。
それは、おとぎ話や神話の中でしか語られない、生態系の絶対的頂点。
――『古竜』である。
『愚カナ人間ドモヨ……。我ガ千年の眠リヲ妨ゲ、我ガ庭(森)ヲ荒ラシタ罪……ソノ命ヲ以テ贖ウガイイ……!!』
古竜の口から放たれたのは、直接脳髄に響くような、重低音の念話だった。
同時に、古竜の全身から、先日のベノム・キメラなど比較にならないほどの『世界を滅ぼすレベルの威圧感』が放たれた。
「ガァッ……!?」
「あ、あああ……っ!」
対策本部の一階から飛び出していったゼノやシルヴェスター、そしてガルドたち五十人の男たちが、武器を抜くことすらできず、次々と石畳に両膝をついて嘔吐し始めた。
Bランクの最高戦力であるゼノたちですら、圧倒的な生命の格差の前に、指一本動かすことができないのだ。
「そ、そうか……っ!」
シルヴェスターが、血を吐きながら絶望の声を絞り出した。
「数万の魔物たちが、なぜ一斉に森から逃げ出したのか……! 領主の乱開発は、生態系の破壊だけじゃなかった……! あの森の最奥で眠っていた、この『真の主』の逆鱗に触れて、叩き起こしてしまったんだ……!!」
「終わりだ……」
ゼノもまた、完全に心が折れた目で空を仰いだ。
「あんな神話のバケモノ、俺たちが何千人いようが勝てるわけがねえ……! 街ごと、ブレス一発で消し炭だ……っ!」
グーテン街の全市民が、死を覚悟した。
古竜が、街を更地にするための巨大な灼熱のブレスを口腔に圧縮し始め、周囲の空気がチリチリと焦げ始めた、その時である。
バンッ。
対策本部の扉が開き。
バインダーを小脇に抱え、ボールペンをカチカチと鳴らしながら、作業着姿のインテリ眼鏡(俺)が、極めて不機嫌な足取りで広場へと歩み出てきたのだ。
「ア……アニキィィ!? ダメだ、出てきちゃいけねえ!! 息をするだけで魂が潰されるぞ!!」
ガルドが這いつくばりながら絶叫する。
しかし、俺はガルドの言葉を完全に無視し、コツコツと足音を立てて、古竜の巨大な鼻先のすぐ下まで歩を進めた。
『……何者ダ、人間。我ノ覇気ヲ受ケテ、何故立ッテイラレル……?』
古竜が、ブレスのチャージを止め、黄金の瞳を驚愕に見開いて俺を見下ろした。
当然だろう。周囲の人間は全員、威圧感だけで気を失うか膝をついているというのに、ただ一人、魔力ゼロのヒョロガリの男が、無表情で直立しているのだから。
だが、俺には女神のチートスキル『反威圧』がある。
いかに世界を滅ぼす神話の竜のプレッシャーであろうとも。市役所の窓口で「今すぐ市長を出せ! さもなくばこのガソリンを被って火をつけるぞ!」とポリタンクを持ってきた最狂の市民の『命懸けの覚悟(殺気)』に比べれば、ただの「風圧が少し強いな」程度の物理現象でしかない。
「……全く。またアポなしの厄介なクレーマーか」
俺は深々と、これ見よがしなため息を吐き、バインダーでパタパタと古竜の鼻息(熱風)を扇いだ。
「あのな、そこのデカいトカゲ。お前が怒っている理由はわかる。自分の所有地(森)を、行政の許可もなく勝手に開発され、安眠を妨害された挙句に、騒音と振動で叩き起こされたんだろう?」
『……如何ニモ。故ニ我ハ、コノ不敬ナル街ヲ焦土ト――』
「だからといって!」
俺はバインダーで自分の太ももをパァァァン!と叩き、古竜の言葉をピシャリと遮った。
「いきなり窓口(街)に乗り込んできて、大声(念話)を出して暴れるのはやめなさい。ここは住宅街だ。あなたのその無駄にデカい鳴き声は、拡声器暴走条例に違反する立派な『騒音公害』だ。市民が怯えているのが見えないのか」
『なっ……!?』
「不満があるなら、正規の手段を踏め。行政不服審査法に基づく『開発許可の取り消し請求』か、領主に対する『損害賠償請求』の民事訴訟を起こせばいいだろう。なぜいきなり実力行使に出る。手続きの手順をすっ飛ばすな」
『……テ、テヅツキ……? ソンガイバイショウ……?』
古竜の黄金の瞳が、完全に「点」になっていた。
数千年の時を生きる古竜にとって、人間とは「自分を恐れて平伏するか」「愚かにも武器を向けてきて塵になるか」の二択しか存在しなかった。
『バインダーを持った男に、騒音のクレームと法的手続きの不備を淡々と説教される』などという事態は、文字通り有史以来、初めての経験だったのである。
「す、すげえ……!!」
膝をついていたゼノが、震える声で呻いた。
「あ、あの神話の古竜の威圧を完全に無効化するどころか……『デカいトカゲ』呼ばわりして、真っ向から説教してやがる……!!」
「アニキの器は、神をも凌駕するのか……ッ!!」
シルヴェスターも、涙を流しながら俺の背中(ただのクレーム対応)を拝んでいる。
俺はバインダーに挟んだ『損害賠償請求書(白紙)』を引き抜き、ペンと共に古竜の鼻先に突きつけた。
「いいか。あなたの森を不法に荒らしたのは、この街の市民ではなく、あの悪徳領主だ。つまり、あなたと我々市民は、同じ『行政の被害者(仲間)』ということになる」
『ヒガイシャ……我ガ、人間ト同ジ立場ダト……?』
「そうだ。現に我々は今日、あの悪徳領主を告発し、すでに五億円の賠償金を勝ち取っている」
俺は中指で眼鏡をクイッと押し上げ、完璧な『お役所スマイル』を浮かべた。
「どうだろう。ここは一つ鉾を収めて、我々(アニキ一家)に『事後処理』を委任しないか? あなたが直筆でこの『被害届』にサイン(爪痕)を残してくれれば、我々が代理人として領主を徹底的に追い詰め、あなたの森の原状回復を約束しよう」
『…………』
古竜は、完全に毒気を抜かれていた。
怒りに任せて街を焼き払おうとしていたが、目の前の男の言う通り、本当の怒りの矛先は『森を荒らした開発業者(領主)』である。
しかも、この男は全く自分を恐れず、極めて論理的(?)に解決策を提示してきている。
『……フッ。フハハハハハッ!!』
突如、古竜が腹の底から響くような声で笑い出した。
『オモシロイ人間ダ。我ガ覇気ニ微塵モ動ジズ、アロウコトカ我ヲ言イ包メヨウトスルトハナ。……良カロウ。貴様ノソノ度胸ニ免ジテ、今日ノ所ハ鉾ヲ収メテヤロウ』
古竜は器用に爪の先を使い、俺の差し出したバインダーの書類に『スッ』と署名代わりの傷跡を残した。
『我ガ名ハ、古竜イグニス。……眼鏡ノ人間ヨ、貴様ノ名ハ何ト言ウ』
「……アニキだ。グーテン街の現地対策本部長を務めている」
『アニキ、カ。覚エテオコウ。次ニ我ガ眠リヲ妨ゲタ時ハ、貴様ノソノ減ラズ口ゴト、街ヲ灰ニシテクレルワ……!』
ズドォォォォォォン……ッ!!
古竜イグニスは、巨大な翼を羽ばたかせると、まるで竜巻のような風圧を残して、夕闇の空へと飛び去っていった。
空を覆っていた絶望の暗雲が晴れ、再び街に平和な夕焼けの光が差し込む。
「……よし。これで被害届は受理した。あとは領主の城にこれを郵送して、追加の原状回復費を請求するだけだな」
俺がバインダーを小脇に抱え直し、何事もなかったかのように振り返った、その瞬間だった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!」
「アニキィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!」
五十人の舎弟たちのみならず。
広場の奥で様子を見守っていた数千人の市民たち、ギルドの冒険者たち、そしてクロエやエララちゃんたち女性陣までもが、全員揃って石畳に平伏し、地鳴りのような歓声と号泣を上げ始めたのだ。
「あ、あの神話の古竜すら……剣を一振りもせず、言葉(対話)だけで屈服させちまった……!!」
「アニキはただの英雄じゃねえ!! この街の、いや、世界の救世主だァァァァッ!!」
「パパァァァ! 一生ついていきます!! 私たち、野菜いっぱい作りますからねぇぇッ!!」
「いや、俺はただ窓口対応をしただけで」
俺の虚しい弁明は、数千人の狂気的な「アニキ! パパ!」の大合唱によって、完膚なきまでに掻き消された。
こうして。
グーテン街に訪れた最大の危機(神話級)は、魔法適性ゼロの元公務員による『理不尽なクレーマー処理』によって幕を閉じた。
そしてこの瞬間、アニキ(俺)は、グーテン街の裏社会どころか、全市民から神の如く崇められる『絶対的なカリスマ(※ただし恋愛対象外)』として、完全にその地位を確立してしまったのである。
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