第17話:人災(スタンピード)の到来と、市役所仕込みの『ハザードマップ』
第17話:人災の到来と、市役所仕込みの『ハザードマップ』
ジリリリリリリリリリリッ!!!
グーテン街の空に、耳を劈くような不吉な警鐘が鳴り響いていた。
街の広場に設置された、非常事態を知らせる巨大な魔石の鐘である。普段はのどかなこの街が、今や阿鼻叫喚のパニックに包まれていた。
「報告します! 東の森から魔物の大群……『スタンピード』が発生! その数、およそ五千から一万! ゴブリン、オーク、さらには上位種のオーガまで混ざっています! このままではあと数時間で、街の外壁が突破されます!!」
冒険者ギルドの緊急対策室。
血だらけの斥候が転がり込んで叫んだ報告に、部屋に集まっていた街の重鎮たちは一斉に顔面を蒼白にした。
「ご、五千だと!? 馬鹿な、東の森は魔物たちのテリトリーで、これまで街に大規模な侵攻を仕掛けてきたことなど一度もなかったはずだぞ!」
禿頭のギルドマスターが、机を叩いて怒鳴る。
その隣で、高価な絹の服を着た丸々太った男――グーテン街を治める街長が、滝のような冷や汗を流しながらガタガタと震えていた。
「ひぃぃっ! ど、どうしよう! 領主様が『森を切り拓いて別荘地を造れ』と仰るから、土建ギルドに命じて強引に木を燃やして伐採させたのがマズかったのか……っ! こ、こうなったら冒険者を全員森の入り口に向かわせろ! 水際で食い止めるんだ!」
「無茶を言うな街長! 相手は五千だぞ、平原で正面衝突すれば、こちらの冒険者など一瞬で蹂躙されて全滅する! ……誰か、Bランクの『双牙』を呼べ! あいつらならあるいは――」
「呼ぶ必要はない。彼らなら俺の部下に入っている」
バンッ。
緊急対策室の重厚な扉が開き、極めて事務的な、感情の起伏のない声が響いた。
室内にいた重鎮たちが一斉に振り返る。
そこに立っていたのは、シミ一つない清潔な作業着に身を包み、手製のバインダーを小脇に抱えたインテリ眼鏡の男――俺である。
そして俺の左右には、街の最高戦力であるゼノとシルヴェスターが、まるで忠実なSPのように鋭い眼光を放って付き従い、背後にはガルドたち五十人のむさ苦しい男たちが、重機のような鋼の装備に身を固めて無言の威圧感を放っていた。
「な、なんだお前は! ここは街のトップの会議室だぞ、薄汚い作業員が――」
「街長、黙れ!!」
ギルドマスターが慌てて街長の口を塞ぐ。彼は、俺の両脇に控える『双牙』が、完全に俺の下に付いている異常事態を一瞬で察知したのだ。
「あ、あなたが……最近噂の、アニキ殿、ですね。ゼノとシルヴェスターまで従えているとは……。し、しかし、今はそれどころでは……!」
「わかっている。魔物の大群だろう? ギルドの受付で概要は聞いた。……それにしても街長」
俺はツカツカと歩み寄り、冷徹な『お役所の監査担当』の目で、太った街長を見下ろした。
「環境アセスメント(環境影響評価)も行わず、生息域を力任せに破壊した結果がこれだ。生態系のバランスを崩せば、行き場を失った野生動物(魔物)が人里に雪崩れ込んでくるのは、自治体の環境管理における『初歩中の初歩』のミスだぞ。今回の事態は、自然災害ではない。明らかな『行政の怠慢による人災』だ」
「ひっ……! わ、わしは領主様に言われた通りに……!」
「責任逃れは後で聞く。今は『初動の被害をいかに抑えるか』が最優先だ」
俺は街長を完全に無視し、ギルドマスターが広げていた作戦机の上に、持参した巨大な羊皮紙の束をバサッと広げた。
それは、俺がこの数日間、暇を見つけては街の散歩がてら作成していた『グーテン街の広域地図』だった。
だが、ただの地図ではない。
その上には、半透明の薄い魔羊の皮(トレーシングペーパーの代用品)が重ねられ、赤や黄色、青の色とりどりのインクで、奇妙な線や網掛けが無数に書き込まれていたのだ。
「な、なんだこれは……? 地図の上に、赤い模様が……」
シルヴェスターが、目を丸くして覗き込む。
「これは『ハザードマップ(被害予測地図)』だ」
俺はバインダーから指し棒(ドワーフ親方特製の伸縮式)を取り出し、地図の東側をピシッと叩いた。
「よく見ろ。スタンピードとはいえ、数千の生き物が移動するのだ。彼らはバラバラに動くわけではない。水が高いところから低いところへ流れるように、地形の起伏、つまり『等高線』に沿って、最も抵抗の少ないルート(谷間や大通り)を濁流のように進んでくる。この赤い網掛けの部分が、魔物の群れが集中して流れ込む『浸水(侵攻)予想区域』だ」
「なっ……! 魔物の動きを、地形から予測しているだと……!?」
ギルドマスターが絶句する。
「街長が先ほど『水際(森の入り口)で食い止めろ』と言ったな。それは素人の愚策だ。開けた平原で五千の濁流(魔物)と正面衝突すれば、防波堤(冒険者)は一瞬で決壊する」
俺は指し棒を街の中心部へとスライドさせた。
「敵の数が圧倒的なら、あえて街の入り口を解放し、この強固な石造りの建物を『導流堤』として利用する。魔物を大通りに誘い込み、このハザードマップの赤いルートに沿って誘導するんだ。そして、狭くなった路地に強固なバリケードを築き、少人数で迎撃する。これなら、前衛が受ける負担は常に『路地の幅の分(十匹程度)』に限定される」
「す、すげえ……!!」
ゼノが、戦慄と共に叫んだ。
「あの五千の化け物の群れを……力でねじ伏せるんじゃなく、地形を使って『自分の手の平の上で転がす』っていうのか……! これが、アニキの神算鬼謀……ッ!」
「軍略ではない。ただの防災計画だ。……そして、最も重要なのはここからだ。赤以外の区域、特にこの高台にある『中央広場(緑色の区域)』。ここを【指定避難所】とする」
俺は指し棒で、街の中心にある一番安全な高台を叩いた。
「ギルドと市役所の全権限をもって、直ちに市民全員をこの中央広場へ避難させろ。女子供、老人を最優先だ。物資(毛布や水)の集積も急げ」
「し、しかしアニキ殿! 市民を中央広場に集めたとして……もし、魔物がそこまで到達してしまったら、逃げ場のない市民は文字通り『全滅』してしまいますぞ!?」
ギルドマスターが悲鳴のように反論する。
確かにその通りだ。中央広場は高台にあり、守りやすいが、逆に言えば袋のネズミになるリスクもある。
だが、俺の狙いはそこ(市民の命)ではない。
俺の脳内ライブラリ――ソノママゾンで購入した『公務員のための危機管理マニュアル(改訂版)』にはこう記されている。
――【災害時、本部(指揮官)は絶対に最前線に出てはならない。最も安全で、全体が見渡せる堅牢な場所に陣取り、そこから指示を出すのが鉄則である】。
俺は魔法適性ゼロ、剣も振れないヒョロガリの一般人だ。
魔物が溢れかえる前線などに出れば、一秒で肉片と化す。だからこそ、俺が一番安全に生き残るためには、『市民が集まる最も安全な避難所(中央広場)の、さらに奥の安全地帯(指揮本部)』に引きこもるのが、最も合理的かつ生存率の高い選択なのだ。
「案ずるな」
俺は中指で眼鏡を押し上げ、ゼノやシルヴェスター、そしてガルドたち五十人の舎弟たちを振り返った。
そして、彼らに向かって『無慈悲なシフト指示』を下した。
「魔物を食い止める防衛線は、このハザードマップで指定した三箇所のボトルネックのみとする。ゼノ、シルヴェスター、ガルド。お前たちを各防衛線の責任者に任命する。他のメンバーを適切に配置し、何があってもこの三箇所を死守しろ」
「おうっ!」
「そして……俺は前線には立たない。剣も魔法も使えない俺が前線に出れば、足を引っ張るだけだからな」
俺は極めて利己的な『自己保身』の理由を、堂々と告げた。
「俺は、指定避難所である中央広場で、逃げてきた全市民の管理(避難誘導)を行う。お前たちが前線で泥と血に塗れている間、俺は安全な場所で指示を出すだけだ。……不公平だと思うか?」
俺がそう尋ねた瞬間。
ゼノの目から、ドバッ!!と滝のような涙が噴き出した。
「うぉぉぉぉぉん!! ア、アニキィィィッ!! なんて重い覚悟だ……!!」
「……え?」
「ゼノの言う通りです、アニキ……っ!」
シルヴェスターも、美しい顔を涙で濡らしながら、俺に向かって深く、深く頭を下げた。
「アニキは……市民全員を中央広場に集めることで、逃げ場のない『背水の陣』を自ら敷いたのですね。もし我々前線が突破されれば、アニキは武器も持たずに、真っ先に五千の魔物の前に立ち塞がり……市民のための『最後の盾』となって死ぬ覚悟だというのか……!!」
「違う、俺は一番安全な場所に隠れたいだけで」
「泣かせるじゃねえか!!」
ガルドが大剣を天に突き上げて咆哮した。
「アニキは俺たちを心の底から信頼してくれてるんだ!『お前たちなら絶対に防衛線を抜かれない。だから俺は、安心して市民の命を預かる』ってな! アニキが俺たちのためにそこまで命を懸けてくれてるのに、一匹でも魔物を広場に通すような奴は、この一家にはいねえよなァ!!」
「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!! 俺たちの命に代えても、パパ(アニキ)と市民を守り抜けェェッ!!」」」
五十人の舎弟たち――グーテン街の裏社会と最高戦力を合わせた最強の集団が、己の命を完全に投げ打つような、狂気的な士気を爆発させた。
その凄まじい闘気に、ギルドマスターも街長も腰を抜かし、「ひぃぃっ……! あ、あのアニキって男のカリスマ性、尋常じゃない……!」とガタガタ震えている。
違う。
俺の『絶対安全圏に引きこもるための防災計画(自己保身)』が。
なぜ『市民を背に庇い、部下を信頼して己を犠牲にする壮絶な背水の陣』へと脳内変換されてしまうのか。
「いざ出陣だァッ! アニキのハザードマップ通りにバリケードを構築しろ!!」
ゼノの号令と共に、五十人の死神たちが、地鳴りのような足音を立ててギルドを飛び出していく。
俺は一人、静寂の戻った緊急対策室でマイ水筒の白湯を啜りながら、「まあ、俺が安全ならそれでいいか」と、早々に思考を放棄(公務員の割り切り)するのだった。
グーテン街の運命を懸けた、狂気の防衛戦の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
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