第15話:モテテク『ミラーリング』と、中間管理職(Bランク)の悲哀
第15話:モテテク『ミラーリング』と、中間管理職(Bランク)の悲哀
粉砕された木製テーブルの残骸が散乱する、現地対策本部の一階ロビー。
張り詰めた殺気と暴力の気配が充満する中、俺はただ一人、バインダーを抱えたまま深く、そしてひときわ長く、同情的なため息を吐いた。
「……はぁぁ」
その場にそぐわないあまりにも無防備なため息に、Bランクの赤髪の格闘家・ゼノが眉間に青筋を立てた。
「おい、コラ。なにため息ついてやがる。俺たちのカチコミが退屈だって言いてえのか?」
「……そう捉えられても仕方がないな。ゼノと言ったか。君の拳には、確かに凄まじい破壊力がある。だが、その怒りの根底にあるものは、極めて『矮小』で『悲しい』ものだ」
「なんだと……ッ!?」
ゼノが再び凄まじい闘気を立ち上らせ、今度こそ俺の頭をカチ割ろうと拳を振り上げた瞬間。
俺の脳内で、ソノママゾンで購入したBunkoid版『絶対にすべらない!合コンでの必勝会話術100選』の第60章のテキストが鮮やかにポップアップした。
――【怒りや警戒心を剥き出しにしている相手には『ミラーリング(同調)』を行え。相手の姿勢、呼吸のペース、声のトーンを意図的に真似ることで、相手の無意識下に『この人は自分と同じだ(仲間だ)』という強烈な親近感と安心感を植え付けることができる】。
俺はゼノの振り上げた拳から目を逸らさず、彼と全く同じように足を肩幅に開き、少しだけ前傾姿勢を取った。
そして、彼が怒りで荒げている呼吸(フシューッ、という呼気)のリズムに、己の呼吸をピタリと合わせたのだ。
「ゼノ、君は今、両肩に力が入りすぎている。それでは本来のパフォーマンス(業務効率)が落ちるぞ。……シルヴェスター君もだ。柄に置いたその右手、無意識に震えているんじゃないか?」
「っ……!」
俺が彼らと同じように少しだけ目を細め、声のトーンを彼らの威圧的な低さに合わせて同調させると、二人のBランクの動きがピタッと止まった。
(よし、効いている。無意識の同調効果で、俺への敵対心が『対等な相手への興味』に切り替わった証拠だ。ここから一気に『傾聴』のフェーズに移行し、彼らの承認欲求を満たしてやる)
俺はバインダーを小脇に抱え直し、まるで部下の悩み相談に乗る課長のような、慈愛に満ちた眼差しで二人を見つめた。
「わかるよ。君たちのその苛立ちは、俺に対する個人的な恨みではない。……本当は、『Bランク』という重すぎる看板(役職)に押し潰されそうになっているだけなんだろう?」
「は……? な、なにをトンチンカンなことを……!」
ゼノが動揺したように声を裏返らせたが、俺は『アクティブ・リスニング(相手の言葉を否定せず、深く頷く技術)』を発動し、ゆっくりと首を縦に振った。
「隠さなくていい。このグーテン街において、Bランクといえば事実上の最高戦力だ。それはつまり、君たちがギルドマスター(経営層)と、有象無象の一般冒険者(ヒラ社員)の間に挟まれた『中間管理職』であるということを意味している」
「ちゅうかん……かんりしょく……?」
銀髪の魔法剣士シルヴェスターが、聞いたこともない単語に目を白黒させる。
俺は市役所時代に見てきた、中間管理職たちの悲哀に満ちた姿を彼らに重ね合わせながら、切々と語り掛けた。
「そうだ。トップ冒険者ともなれば、街に強い魔物が出た時、誰もが君たちに期待する。『ゼノならなんとかしてくれる』『シルヴェスターがいれば安心だ』とね。だが、それは裏を返せば、君たちにすべての責任を丸投げしているだけだ。上層部からの無茶なKPI(討伐目標)の押し付けと、下からの過度な依存。その板挟みの中で、君たちは常に『完璧な強者』を演じ続けなければならない」
俺の言葉が響くにつれ、ゼノの振り上げていた拳が、ゆっくりと、力なく下ろされていく。
「君たちが今日、わざわざこんな辺境の対策本部までカチコミに来たのも、己の縄張りを荒らされたからじゃない。ただ……『自分が築き上げてきた地位が脅かされる恐怖』に駆られただけだ。自分の価値がなくなれば、誰も自分を見てくれなくなる。その不安を隠すために、強がって暴力を振るうしかなかった。……違うか?」
静寂が、一階のロビーを包み込んだ。
五十人の舎弟たちは、息をするのも忘れたように俺の『カウンセリング』を見守っている。
そして、俺の言葉は――図らずも、二人のBランクの心の最も柔らかく、痛々しい部分を、寸分の狂いもなく正確に抉り出していたのである。
(……なんで、なんでこいつは、俺の気持ちがわかるんだ……?)
赤髪のゼノは、心の奥底で激しく動揺していた。
彼は元々、ただ純粋に強さを求めるだけの武闘家だった。だが、Bランクに昇格して以来、周囲の目は変わった。誰も彼に気安く酒を奢らなくなり、遠巻きに恐れられるだけになった。
危険な討伐の時だけ「さすがはゼノさんだ!」とおだてられ、都合よく使われる。怪我をして帰ってきても、「Bランクなんだからこれくらい平気だろ」と誰も心配してくれない。
本当は、一緒に肩を組んで笑い合える仲間が欲しかった。だが、舐められてはいけないというプレッシャーから、常に狂犬のように牙を剥き出しにして、孤独に戦い続けるしかなかったのだ。
(……この男の言う通りだ。私は、中間管理職……いや、見せかけの偶像に過ぎなかったのだ……)
銀髪のシルヴェスターもまた、レイピアの柄から手を離し、ギリッと唇を噛み締めていた。
彼は没落した貴族の長男だった。「家の再興はお前だけが頼りだ」という両親からの重すぎる期待を背負い、泥水に塗れながらBランクまで這い上がった。
常に優雅で、完璧で、強くあらねばならない。もし一度でも無様な姿を見せれば、「これだから没落貴族は」と後ろ指を指される。その恐怖が、彼の心を氷のように凍てつかせ、他人を寄せ付けない冷酷な魔法剣士という仮面を被らせていたのだ。
そんな彼らの、誰にも言えなかった『強者ゆえの孤独』と『重圧』を。
目の前の作業着の男は、まるで初めからすべてを知っていたかのように、温かく、深く、理解してくれている。
「……辛かったな。よく一人で、限界まで耐え抜いた」
俺はミラーリングの最終段階として、彼らの心に寄り添うように声のトーンを極限まで優しくし、ドワーフの親方に作らせておいたマイ水筒の蓋に『温かい白湯』を二杯注いだ。
「ほら。胃腸が冷えると、自律神経が乱れてメンタルに悪影響を及ぼす。産業医の面談も受けられないようなブラックな労働環境で、君たちは本当に身を粉にして働いてきたんだ。……もう、無理して強がる必要はない。俺の前では、ただの『一人の人間』に戻っていいんだ」
俺は、湯気を立てる白湯の入ったコップを、ゼノとシルヴェスターの前にそっと差し出した。
「な、なんだよ……それ……」
ゼノの屈強な体が、小刻みに震え始めた。
「俺は、俺は街のトップで……誰よりも強くて、誰も俺を心配なんか……」
「役職など関係ない。君は昨日も十分に眠れていないだろう。目の下にクマができているぞ。三十六協定(時間外労働の限度に関する協定)はどうなっているんだ。自分の体を一番に労わってやれ」
俺が何気なく(市役所の労務管理のノウハウで)ゼノの体調不良を指摘した瞬間。
「あ……あああ……っ!!」
ゼノの両目から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
「う、うぉぉぉぉぉぉん!! アニキィ……いや、あんたの言う通りだぁぁっ!! 俺ぁ本当は、毎日毎日、化け物みてえな魔物と戦うのが怖くて怖くて仕方なかったんだよぉぉっ! でも、誰も俺の代わりはいねえって、無理して笑って拳を血まみれにして……っ! 夜も傷が痛んで眠れなかったんだぁぁっ!!」
ゼノは床に両膝を突き、俺が差し出した白湯のコップを両手で包み込むように受け取ると、子供のように声を上げて号泣し始めた。
「ゼノ……貴様、武人の誇りを……」
シルヴェスターが止めようと声を絞り出すが、その彼自身の声も、みっともないほどに震えていた。
俺はシルヴェスターにも白湯を押し付け、彼の華奢な肩をポンと叩いた。
「君もだ、シルヴェスター君。家の名誉だか何だか知らないが、君個人の幸せを犠牲にしてまで守るべきものなど、この世には存在しない。君が倒れたら、誰が君自身を愛してやるんだ? ……すべてを背負い込むのは、もうやめなさい」
「っ……あ……うぅ……っ!!」
俺の『自己犠牲を否定する正論』が、没落貴族の長男という呪縛に囚われていたシルヴェスターの心の防壁を、完全に粉砕した。
彼は美しい顔を歪め、レイピアを床に放り投げると、ゼノの隣にへたり込んで、ボロボロと真珠のような涙をこぼし始めたのだ。
「私だって……私だって、本当は泥だらけの冒険者になんかなりたくなかった……っ! 温かいベッドで本を読んで、ただ静かに暮らしたかっただけなのに……! 父上も母上も、私の苦しみなど何も……うわぁぁぁぁん!!」
グーテン街が誇る、泣く子も黙る最高戦力のBランク冒険者、二名。
彼らは今、俺(作業着の元公務員)の足元で、温かい白湯をすすりながら、まるで迷子から見つかった幼児のように、しゃくり上げて大号泣していた。
「よしよし。泣きたい時は泣けばいい。ストレスは涙と一緒に体外へ排出されるからな。だが、水分補給は忘れるなよ」
俺がゼノの赤髪とシルヴェスターの銀髪を無表情で撫でてやると、二人は「うぉぉぉん!」「アニキィィッ!」と俺の作業着のズボンに顔を埋めて、さらに激しく泣きじゃくった。
その光景を。
背後に控えていたガルドやレオンたち五十人の舎弟たちは、言葉を失って見つめていた。
「し、信じられねえ……」
レオンが、恐怖と究極の畏敬が入り混じった顔で呻く。
「あの、プライドの塊で、絶対に人に頭を下げなかったゼノとシルヴェスターが……アニキの言葉(軍略)だけで、完全に心を折られて……いや、救済されて、赤子のように泣き叫んでやがる……!」
「これが、俺たちのアニキだ」
ガルドが、涙ぐみながら誇らしげに胸を張った。
「圧倒的な武力(暴力)なんかじゃねえ。相手の魂の奥底の『弱さ』を見抜き、慈悲の心で包み込む……! アニキの前に立てば、どんな強者だろうが、すべてを明け渡して服従するしかねえんだ……!」
「「「おおおおおっ……! 偉大なるパパ(アニキ)!!」」」
五十人の男たちが、またしても俺に向かって熱狂的な祈りを捧げ始めた。
違う。俺はただ、Bunkoid版の指南書にあった『ミラーリングと傾聴』を実践して、彼らの怒りを宥めただけだ。
これを明日、ギルドのエララちゃんやクロエの前で披露すれば、「相手の心に寄り添える素敵な大人の男!」としてモテるはずだったのだ。
だが、俺の完璧なモテテクは、なぜか『街のトップ冒険者(むさ苦しいオッサンと、こじらせたイケメン)』のトラウマをピンポイントで治療してしまい、結果として彼らを『俺の新たな息子(舎弟)』へとジョブチェンジさせてしまったのである。
こうして、俺の意図とは全く無関係に、グーテン街の最高戦力であるBランクの二名までもが、アニキ一家の末席(というより俺の膝元)に加わることとなった。
街の武力は、今や完全に、一人の元公務員(魔法適性ゼロ)の手の中に収まってしまったのである。
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