第7話
一週間後、古賀と天羽は再びバンディを訪れた。それまでの間も古賀はバイトをしていたし、
万引き被害も発生していたが、古賀は天羽を連れては行かなかった。
「……今日は、もしかしたらちょっと面倒なことになるかもです」
古賀は店長に小声で言う。店長は一瞬たじろいで、すぐに了解、と頷いた。
「でも、珍しいね。古賀くんがこういう面倒ごとに首突っ込むなんて」
「……まぁ、店長には世話になってるんで」
「それは嬉しいけど、それだけじゃないでしょ?……まぁ、いいけど。任せるよ」
店長は悪戯っぽく笑うと、古賀の肩を叩いて歩いていってしまった。古賀は口元を少し歪めて、開店作業に戻る。
「ういっす」
「お願いしまーす」
朝野と郡山が立て続けに店に入ってくる。今日もこの二人と古賀が、開店から閉店までシフトに入っている。
「おっ、天羽ちゃん来てんじゃん。この前のリベンジ?」
「こら、絡まないの!困ってるでしょ」
はは、と苦笑いを浮かべる天羽。そんなことをしているうちに、開店時刻がやってきた。
「あの、『意外な真犯人』ってもう発売されました?」
「え、えっと……」
「あ、あれはまだですね。取り置きされます?」
相変わらず客に群がられている、制服も着ていない天羽に横から助け船を出す。
「あ、僕もそれ、取り置いてもらっていいですか?あと、これお会計お願いします。ブックカバーかけてくださいね」
横から現れたと思ったら、数冊の本をレジに積み上げる小さな常連の対応をする。
「……夕くん、今手空いてる?」
「ちぇ、サボってるのバレちゃった」
手持ち無沙汰にしている郡山に仕事を振り、後ろで働きながら、呆れたように肩をすくめる朝野に苦笑を返す。
普段と変わらない仕事風景。しかし、古賀は唐突に早足になると、天羽の肩を軽く叩いて天街へと早足で歩き出す。
「ど、どうしたんですか?まだ『ジャシン』の気配はありませんけど」
「……いいから来な」
本屋を出て、左右を少し見回した後、すぐ脇の路地裏の方に入る。薄暗くはあったが、入ってすぐのところに、人が立っていることはすぐにわかった。
「えっ……?」
天羽の唇から、小さく声が漏れる。
「まぁ、そんなことだろうと思ったよ」
生ごみの臭いが、いまだ残る熱気に乗ってむわっと立ちこめる。その向こうに、シュリンクされたままの本を持ち、古賀たちを呆然と見つめる、常連の読書好きの少年の姿があった。
「この子が……犯人?」
古賀は立ち尽くす少年から本をそっと取り上げる。
「『今からでも間に合う!動画投稿者のすすめ』……。こんな本、会計した覚えはないな」
「で、でも、それはおかしいです。私はこの子と会って、話してる。彼の『ジャシン』に気付けないはずがありません」
「そりゃ、こういうことだからな」
古賀は、少年の背後に目をやる。そろりそろりとその場を離れようとしていた、二回りほども体格の大きい別の少年が、それに気づいて慌てて走り出した。
「ええっ?」
「追うぞ」
古賀は天羽の手を取って駆け出す。そこら中に転がっている空き缶を蹴飛ばし、吸い殻を踏みつけ、大柄な背中を追いかける。
「ったく、また追いかけっこかよ」
だが、決着は意外と早く訪れた。彼は行く手にあった散乱したゴミ袋に躓き、転んでしまったのだ。すぐに起き上がったが、何かが吹っ切れたのか、逃げるのではなくこちらに向き合い、大きく息を吐く。
古賀は天羽の手を掴んだままだった。だから、彼の身体に、黒いもやが纏わりついているのがわかった。
「……『ジャシン』」
「あいつ、腕に覚えがありそうだ。さっさと祓うぞ」
「は、はい!」
少年はおもむろに前傾すると、雄叫びとともにこちらに突進してくる。
「『ジャシン』、滅せよ!」
閃光が視界を覆う。やがて光が消えると、道に突っ伏して倒れる彼の姿があった。
「……五味、剛志といいます。十三歳です」
「中学生か。学校は?」
「円月中学校の、一年です」
古賀たちがもう一人の少年と一悶着している間も、彼は逃げることなく待っていた。その顔は観念したというより、どこか晴れやかな印象を受ける。今も、不安そうにしながらも、店長の質問に淀みなく答えていた。
「ここ最近、僕の店で本を万引きしていたのは、君で間違いないね?」
「はい」
「どうして、そんなことを?お金に困っているようには見えなかったけど」
「……それは」
彼は、ちらりと扉の向こうを見た。五味はバックヤードで店長から、もう一人の大柄な少年は倉庫で郡山から、それぞれ話を聞かれていた。古賀と朝野、それに天羽は、何事もなかったかのように三人で何とか店を回している。
「あいつに……。粕屋に、命令されて。僕だって、本当はこんなことしたくなかった」
彼は憎らしそうに、けれど弱々しく項垂れた。その表情には、明らかな疲労が滲んでいた。
「……粕屋優人。円月中三年」
薄暗い倉庫の中で、段ボールの山に囲まれながら、彼はたっぷり三十分も黙秘した後にようやく口を開いた。郡山の根気強く厳しい追及に耐えかねて、不貞腐れたように、一言だけ、ではあるが。
「ようやくかよ。そんで?お前ともう一人のガキ、いったいどういう関係なわけ」
「どういうって……。俺が、ゴミで遊んでただけ。あ、ゴミって、あいつのあだ名。まぁ、そのまんまだけど」
粕屋はそう言って笑った。その態度が、また郡山の神経を逆撫でした。
「俺、柔道部でさ。一年の時から成績よくて、円月のエースとか、県内有数の実力、とか言われてて。高校も、スポーツ推薦の話が来てたんだ。……でも、最後の夏、地区大会の二回戦で、聞いたこともないような奴に投げられて、負けた。それで、引退させられて、推薦の話もなくなってて。むしゃくしゃしてた時に、学校でゴミを見つけたから」
彼の言い方が、まるで誰か別人のことを語っているようなので、郡山は大いに混乱した。本人は目線を上にやりながら、遠い記憶を呼び起こすかのように、せいぜい一ヶ月前くらいであろう話を、抑揚のない口調で続ける。
「ちょっとイジメたら、やけに大げさに反応してさ。それで気分がちょっとすっきりしたから、いろんなやり方でシメてた。あいついつも金持ってたけど、親が本買う金って言って渡してるから、俺が取ったらバレるっていうんだよな。俺なんて、親から月千円しか小遣い貰ってねぇんだぜ。あぁ、そういや、スポーツ推薦で有名校に行ったら、小遣い増やしてくれるって言ってたな、とか思い出したら、またイライラしてきて。何でもいいから、盗んで来いって言ったんだ」
あれほど渋っていた割には、彼は話し始めるとやけに饒舌だった。怒ろうにもタイミングがつかめず黙る郡山を前にして、粕屋は首を傾げた。
「でも、今考えたら、それの何がそんなに面白かったんだろうな? これで俺、いよいよ人生おしまいだろ? それは、嫌っていうか、割に合わねぇっていうか。……後悔。うん、後悔してるよ」
最後にはそう頷いて、一人で納得したように頷く。そこでようやく郡山が、何じゃそりゃ、と、呆れるように怒鳴った。
「つまり、こういうことだったんだ」
夕方になり、客足が落ち着いてきたタイミングで、古賀は朝野に聞かれないように気を配りながら、天羽に説明した。
「常連のあの子は、デカい奴に命令されて、欲しくもない本を無理矢理万引きさせられた。彼はこの店に何度も来ていたから、カメラの位置も何となく分かってた。店員も顔馴染みだし、何より来る度に本をたくさん買っていくから、誰も彼を警戒しなかった。そして……彼は自分の身を守るためにいやいや盗まされているだけで、そこに悪意は一ミリもなかった。だから、天羽も『ジャシン』を感知できなかった」
「……古賀様は、気づいてたんですか?」
「天羽が、『ジャシン』を見つけられないって聞いて、事情は大体分かった。犯人が誰かも、薄々な。いつもこの店に来てて、学生で、気が弱そうな奴って、一人しか思い浮かばねぇから」
古賀は、どこか哀しげだった。少しの沈黙の後、天羽はぽつりと呟いた。
「……この世の罪は全部『ジャシン』のせいで、それを祓えば悪いことをする人はなくなるって、無邪気に思ってました。今回の件、確かに原因は『ジャシン』にありました。でも」
「そうだな。世の中、そんなに単純じゃねぇよ。目の前に悪意がある、ない。それだけじゃ、これっぽっちも人間を理解したことにはならない。……人間ってのは、もっと複雑で、救いようがねぇのさ」
「……それでも」
天羽は前を向くと、古賀をじっと見つめて、宣誓するかのように言った。
「それでも、救います。それが、私の使命ですから」
「……そうか。せいぜい頑張れ」
古賀は目を逸らすと、仕事に戻っていった。天羽の「救う」対象に、自分も含まれていることはわかっていた。でも、自分が抱える問題は、この胸の苦しさは、この世界のことをまだ本当には何も知らない今の彼女が抱えきれるものではないことも、またわかっていた。
だから古賀は、自分が助けてくれと頼んだわけでもないのに、どこかで彼女に後ろめたさを感じてしまっていた。




