第5話
開店してしばらくすると、にわかに人が多くなってくる。店長の言う通り、ここは駅前の一等地だ。円月町はそれほど広くないとはいえ、こんな場所を陣取ることができれば余程のことがない限り客足が途絶えることはないだろう。
店長は顔が広かった。この土地や古賀が住んでいるマンションを紹介してくれる不動産屋や、町内会の会長、年寄り連中が通うスナックのママまで、誰とでもすぐに仲良くなって、いろいろ融通を利かせてもらってしまう。母親の紹介で古賀が彼と会った時には彼はすでに本屋の店長で、その前にどこで何をしていたのかは知らないが、その気になればどこでだって上手くやれるだろうな、と思う。
「すみません、雑誌ってどこにありますか?」
「あぁ、はい……」
中年の女性が申し訳なさそうに近づいてきたので、古賀は雑誌コーナーまで彼女を案内した。
気が強そうでちょっと近づきづらい雰囲気の朝野や、もっと近寄りがたい郡山と比べて古賀はいくぶんか話しかけやすいらしく、接客対応は大部分が古賀の仕事だった。もっとも、店長の棚の配置のセンスはよく、今のような客はそれほど多くないのだが。
「……それにしても、今日は少ないな」
心配になって周りを見ると、その理由はすぐに分かった。
「お姉さん、専門書はどちらに……」
「『三分割ファンタジー』の新刊って、もう出てましたっけ?」
「あ、わ、ええっと……」
今日は、古賀よりももっと話しかけやすい人間が、店内にいた。いや、店員であることを示すエプロンもつけていなければ、髪は真っ白、目は蒼いわけで、古賀としては釈然としない気持ちもあるが、とにかく助け舟を出しに行く。
「お客様、専門書はですね……」
一通り客をさばき終えると、天羽に小声で確認する。
「それで?怪しいやつ、いたか」
「いいえ、今のところは……。すみません、うまく対応できなくて」
「まぁ、それはいいけど。店員じゃないんだから、そう言えよ」
ところが、天羽は古賀の背後で何かを見つけたようで、そちらに歩いていく。
「何かお探しですか?」
古賀は頭を抱えた。もし何かお探しだったとして、彼女に何が分かるというのか。それに、彼女が話しかけたのは、古賀の見知った相手だった。
「えっ?」
「天羽、その方は違う」
「あぁ……新人さんですか?すみません、紛らわしくて。きょろきょろしてましたよね」
よくこの書店に来る、中学生くらいの男の子だ。読書が趣味で、お小遣いを全て本に費やしているらしく、頻繁に店に来ては何冊も購入していく。背丈は小さいが、この本屋の立派な常連の一人だ。
「いや、今日は何を買おうか迷っちゃって。ずっとミステリだったんですけど、最近はオカルトにもはまっちゃいましてね、そうなると……。ここ、そういう本を選ぶセンスが良くて助かりますよ。あっ、古賀さん、予約してた本、届きました?」
「ああ、用意してありますよ」
「やった。じゃあ、あちこち見てから取りに行きますんで。どうか僕のことはお構いなく」
早口でそんなことを言って、彼は鼻歌交じりにその場を離れる。天羽はその背中を見ながら肩を落とした。
「すみません……。困ってるのかなと思って」
「自分のやるべきことに集中してくれればいい。変な客に絡まれたり、『ジャシン』を見つけたりしたら言ってくれ」
「はい……」
本が売れれば、棚を整理しなければならない。古賀は足早にその場を離れる。
「いいなぁ、仲良さそうで」
その時、朝野が後ろから古賀の肩に手を置いてきた。顔をしかめて、手を払う。
「……レジ打ち、大丈夫ですか」
「ちょっとくらい大丈夫。それより、どういうことよオキニ君。あんな綺麗な従姉がいるなんて、一言も教えてくれなかったじゃない」
「まぁ、話題にならなかったんで」
「嘘。私、何度も聞いたよ?オキニ君にはいい人いないの、って」
「……従姉ですよ?正月くらいしか会わないし」
「従姉だったら結婚もできるじゃない。ずいぶん仲良さそうだったし。オキニ君にも青春があったんだなぁって、お姉さん嬉しくなっちゃった」
古賀は呆れて口をぽかんと開ける。実際は天羽は従姉でも何でもないのだが、だからといって恋愛対象かというと、全くそんなつもりはなかった。そもそも古賀の家庭環境はのんきに恋などしていられるものではなかったし、それに、天羽の言動一つ一つが、どうも古賀の性に合わない。善意が眩しすぎる、と感じることもあれば、純粋を通り越して空回りする様に呆れることもある。とにかく、古賀の性分とはあまりに乖離していた。
「……朝野さん、やけにロマンチストなところありますよね。恋愛とか詳しそうなのに」
「えっ、そうかなぁ。はは……」
やけに挙動不審になりレジに戻る朝野を、ため息をついて見送る。
結局、その日一度も、天羽が古賀を呼ぶことはないまま、バンディは閉店時刻を迎えた。
「はい、お疲れさま。最後に、在庫の確認だけやっちゃおうか」
制服のエプロンを外しながら、店長が言う。本来なら閉店後の作業は店長一人で行う売上計算だけで、在庫確認などは存在しない業務なのだが、ここ最近の万引き被害の確認のために、売り上げた本と在庫が合っているかどうか手分けして確認することになっていた。
とはいえ、今日は天羽が一日中店内を見張っていたわけで、古賀はこの作業が無駄であることを知っていた。そのはずだった。
「あっ、『隣人は嗤う殺人鬼』、ない!」
「こっちも、写真集が一部少ないです!」
しかし、店内からは今日も、悲痛な報告が次々と聞こえてくるのであった。
「つらいなぁ……。雑誌や写真集、文庫に漫画。いろいろやられちゃってるよ」
店長はがっくりと肩を落とす。天羽は蒼白な顔で、ぺこぺこと頭を下げ続けていた。
「すみません、私のせいです……。大口叩いてここに来たのに」
「いやいや、天羽さんのせいじゃないですよ。悪いのは万引き犯なんですから」
「とにかく、防犯カメラを見てみようぜ。まぁ、どうせ何も映ってねぇだろうけど」
天羽を励ます朝野を尻目に、郡山は慣れた手つきで機械を操作する。開店時刻から、店内の映像が早回しで流れ始める。
古賀はそれを眺めながら、小声で天羽に聞いた。
「本当に、『ジャシン』は見なかったのか?」
「はい。注意深く見てたんですけど、まったく」
「……そもそも、お前の感知能力とやらは本当に当てになるのか?羽も傷ついてるし、そもそもお前、『ジャシン』に襲われて怪我したんだろ?」
「『ジャシン』の感知は天使本来の能力で羽とは無関係ですし、私がやられたのは、その、初めて地上に降りてきて油断してたからです。確かに『天使狩り』ともなれば、『ジャシン』が表に出ないように隠しておくことも不可能ではありません。でも、人を殺すくらいのとても凶悪な罪を何件も犯さないと、『ジャシン』がそんなに成長することはないんです」
だが、現実に万引きは起きている。これはいったい、どういうことだろうか。
「……やっぱり駄目だな。前から言ってるけど、死角が多すぎんだよ。もっとカメラ増やさねぇと」
映像が閉店時刻まで進んだところで、郡山が悪態をつきながら機械のボタンを押した。店長がゆるゆると首を振る。
「でも、あんまり店内をカメラだらけにしたくないんだよ。お客さん、落ち着けないし」
「そんなこと言ってる場合ですかね。そもそも、犯人なんか捕まえても意味ないでしょうに」
朝野が少しむっとしたように、郡山に言い返す。
「ちょっと夕くん、それどういうこと?犯人が捕まらなくてもいいって。お店、潰れちゃうかもしれないんだよ?」
「そうは言ってないだろ」
「言ってるじゃない。そりゃ、私たちはバイトだけど、それでもこの本屋がなくなったらみんな困るでしょ?悪いやつはちゃんと捕まえて警察に突き出さないと、被害が止まらないよ」
郡山は眉間に指をあて、はぁ、と大きく息を吐く。
「あのな?俺はこう見えても本屋の息子なんだよ。親父は、近所の悪ガキ共がやたらめったら漫画を盗んでいくせいで、店畳む羽目になってんだ。万引きがどんだけ本屋を苦しめるかなんて、言われなくてもわかってんだよ」
「……それは、初めて聞いたけど」
「親父も、ガキを何人も捕まえて、警察や学校に突き出した。でも駄目なんだよ。犯人ひとり捕まえたって、新しい犯人が次から次へと湧いてくるんだ。カメラの数を増やすとか、根本的に対策しない限り、万引きはなくならない。時間の無駄なんだよ」
苛立ちのこもった郡山の言い分には、しかし当事者ならではの切実さがあった。
「……ごめん」
朝野が謝り、郡山が苦い顔で手を振る。店長は微笑を崩さないまま、困ったように考え込んでいる。狭いバックヤードに、重苦しい空気が漂った。
「すみません、俺らはそろそろ」
古賀はその空気に耐えかねて、天羽の手を取る。店長は顔を上げると、
「そうだね。みんな、今日はもう帰っていいよ」
と笑った。




