第25話
隣人は特に警戒することもなく、スマホを見ながらひょこひょこと道の真ん中を歩いている。
五十メートルほど離れて、古賀はその後ろを息を潜めてついていく。この町では住民が歩いて向かう先と言えば、コンビニかスーパーマーケットか、それでなければ円月駅の周辺だと相場が決まっているが、彼はどの方向でもない住宅街の細道を、時折スマホに目をやりながら歩いていた。
その背中は、何も知らなければ、少しやさぐれた細身の若者にしか見えない。彼が殺人犯で、天羽の羽を傷つけた張本人かもしれないと思って見ても、ジャシンの見えない古賀にはそれらしい雰囲気を見てとることはできなかった。
やがて彼は立ち止まり、ある建物に入っていく。後を追った古賀は、入り口の扉に古く地味な外観に似つかわしくないカラフルなポスターが貼ってあるのを見つけた。
『ようこそ えんげつちょうとしょかんへ』
「……図書館?」
戸惑いながら、古賀は恐る恐る扉を開ける。
乾いた生温かい空気が肌を撫でる。ひょこひょこと歩く後ろ姿を追いかけると、彼は本棚の方ではなく、カウンター近くのPCの前で立ち止まった。
スマホの画面とPCの画面を見比べながら、キーボードで何かを打ち込んでいく。古賀は本棚の陰に隠れながら、その様子を窺っていた。
やがて、彼は首を傾げながらPCの前を離れ、外に出て行った。他の利用者が使う前に、急いで彼が使っていたPCの前に立つ。画面には、彼が検索し、閲覧したあろう画面が表示されっぱなしになっていた。データベース化された地方紙の新聞記事のひとつらしい。三ヶ月前の日付の、ごく小さな記事だった。
【天地山中で身元不明の遺体発見】
円月駅から車で一時間ほど走ったところにある天地山の奥で、野生動物に食い荒らされた遺体の断片が見つかったという記事だった。登録された行方不明者のデータベースのどれともDNAが一致せず、身元がわからないという。
「なんで、こんな記事を……」
古賀の視線が。記事の末尾で止まる。遺体の所持品の中に、気になる記述があった。胸騒ぎとともに、スマホで身元不明死者の情報が掲載されたページを開き、三か月前、天地山で見つかった遺体のものをタップする。
「……そんな」
かつて洋服だったと思われる布の残片や、比較的形状を保ったままの鞄とともに、金メッキがほとんど剥げ、赤い色のくすんだ指輪が映っている。
それは紛れもなく、幼いころに古賀が母親に贈った、生涯ただ一つのプレゼントだった。
食べてもらえなかったサンドイッチにラップをかけながら、天羽はちらちらと時計を見ていた。古賀は衝動的に無茶をするようなタイプではないとは思うが、相手は連続殺人犯で、「天使狩り」かもしれない男だ。あの時止めるべきだった、と悔やむが、同時に天羽には止められなかっただろうという確信もあった。
私は自分の気持ちを、古賀様にきちんと伝えられていない。その負い目が、天羽と古賀の間に埋められない溝を作り出してしまった。結果として、古賀をまた危険な目に遭わせてしまっている。
古賀が帰ってきたら。帰ってきたら、ちゃんと自分がどうしたいか、言おう。そして、やってくる迎えに、二人で全力で抵抗しよう。その結果、力が及ばなくて、古賀と離れ離れになってしまったとしても、このまますっと消えていなくなるより、ずっとましだと思う。
「天使狩り」の件は、おそらく迎えに来るだろう、大天使の先生に話せばいい。彼女も、赤毛のあの子ほどではないが、頭の固い人ではなかった。私の願いが通らなくても、それとは別の話として、新たな犠牲者が出る前に「天使狩り」には対処してくれるはずだ。
サンドイッチを冷蔵庫にしまい、よし、と両腿を叩く。それと同時に、インターホンが鳴っ
た。
「え……」
古賀なら、鍵を持っているはずだ。じゃあ、扉の向こうにいるのは。
弾かれるように図書館を飛び出し、右手に隣人の背中を認めると、沸騰しそうなくらい熱い頭で駆け出した。危ないとか、怖いとか、考えている余裕はどこにもなかった。ただ、ぼんやりと、やっぱり、という言葉が頭に浮かんでいた。
仰天したように振り返る痩せた男に飛びかかり、片側一車線の道路の真ん中で、馬乗りになった状態で胸倉を掴む。ふう、ふう、という自分の熱い息が腕にかかる。
「わ、わ、何だ、てめぇ!」
「答えろ。俺の母さんを殺したのか。殺したのか!?」
「ころ……は、はぁ? 何のことだよ」
「とぼけんなよ! なんで今、あの記事を見てた。お前が、お前が……っ!」
心のどこかで思っていた。いつも二、三ヶ月で帰ってきていた母親が、いつまで待っても帰ってこない理由。邪魔になって捨てたんだろうって自分に言い聞かせてたけど、母親は今まで一度だって、恋人の話を古賀にしたことがなかった。もしかしたら、もしかしたらあの人は、もう。
「待ってくれよ! お前、よく見りゃ隣の坊主だろ? イタズラの件なら謝るから! もうしないから!」
「……イタズラ?」
何かがおかしい。目の前の男が、馬乗りになられて自分の罪を暴かれている殺人鬼には、どうしても見えない。天使をも襲う人間が、丸腰の高校生一人にこれほど怯えの色を見せるはずがない。
「だからアレだろ? ちょっと、スマホ取らせてくれよ」
俺を身体の上に載せたまま、男は苦しそうにポケットからスマホを取り出し、二、三操作して俺の目の前に画面を向ける。
「『龍馬チャンネル』……?」
見せられたのは、動画投稿サイトのチャンネルのひとつだった。登録者数は三万人。トップページに表示された動画のサムネイルには、男と見知らぬ老婆が、古賀の部屋と同じ間取りの部屋で暮らしている様子が表示されている。
「これ、これ」
男は、一本の動画を指さした。
『事故物件の住人に壁ドンしたら、心霊現象だと思う説第五弾』。再生回数を示す数字は、それほど大きくはなかった。
「悪かったって。なにもこんな、押し倒すことはないじゃんか。な、とりあえず、どいてくれ。聞きたいことあったら、何でも話すから」
俺は拍子抜けしたように、言われた通り腰を上げた。ふう、と男は息をつくと、道路の端っこまで這っていき、そこに座り込む。
「俺は下辺龍馬で、職業は動画投稿者。いわゆる迷惑系ってやつ。しょうがねぇじゃん、学歴もねぇし、喋りも上手くねぇんだから。これしかないんだよ、生きる道ってやつが」
「……余計なことはいい。何であの記事を見てたか教えろ」
「あれは……ある人に、面白いネタがあるから調べてみろって、さっき電話で言われて。っていうか、あいつが悪いんだよ。あいつが、あの部屋に住まわせてくれるって言ったのに、やっぱり駄目だとか言うから」
「……何の話だ?」
嫌な胸騒ぎがした。彼が殺人鬼でないのなら、天羽が感じた強烈なジャシンは、なんだ?
「だから、お前が今住んでる部屋。あそこ、本当は俺が住むはずだったんだよ。クソババアの昔の友達だから、曰く付きの部屋を安く貸してやるって。事故物件住んでみた、って動画出せば、絶対バズるってあいつが言い出したのに、直前になって他に貸したい人が見つかったから、やっぱり駄目だって。隣の部屋じゃ意味ねぇじゃん。事件が起きたあの部屋に住むからバズるんだろうが」
「……それ、誰が言ったんだ? 俺の部屋を貸すって、誰が」
「えーっと、確か、名刺もらったな」
「ジャシン」の力が強いと、身に着けていたものや存在していた空間に、「ジャシン」の一部が移ることがある。高校で、天羽に教えてもらった。天羽はゲームセンターのガチャからすら、設置した人間の「ジャシン」を感じ取ることができた。
もし、三人や四人、なんてものじゃなく、ずっと昔から、何十人もの人間を死に至らしめてきた「ジャシン」と、それに侵された人間がいたとして。そいつが身に着けていたものから漏れ出た残滓を、この痩せた男の「ジャシン」だと思い込んでしまったとしたら。
「……あったあった、これだ」
ところどころ革が剥がれた財布から小さな名刺を取り出す下辺から。それをひったくるように取り上げる。
『書店「バンディ」店長 花峰京』
白地に小さく印刷したその文字を見た瞬間、古賀は脇目もふらずに駆け出した。




