第22話
天羽は昼寝から目覚めて、うん、と大きく伸びをした。
「はああ。……なんだか、暇ですね」
最近、古賀がイベントの準備か何かで、いつもよりバイトの出勤が多い。学校に行くふりをする必要がなくなって、やっと一緒に時間を過ごせると思っていたのに。まぁ、家にいても、古賀が天羽に構ってくれることはほとんどないだろうが。
周囲に障害物がないことを確認して、羽を広げる。古賀の前では見せないようにしているが、まだ時折鋭い痛みが走る。もうしばらく、このベッドを占領することになりそうだ。
——古賀様はすごいんです。とっても優しくて、強いんです。
——素晴らしい将来が、古賀様には絶対に待っているんです!
なんであんなことを口走ったのか、天羽は自分でもわかっていない。ただ、悔しくて、憎らしくて。
古賀に出会う前、まだ天界にいた時は、「ジャシン」さえちゃんと見つけて祓えれば、人間はみんな幸せで、自分らしく生きていけるのだと、そう思っていた。「ジャシン」探しに協力してくれない古賀のことを、ちょっとけちだ、なんて思ったりもした。
でも、違った。人間たちがつくったこの社会は、もっとずっと複雑で、残酷だった。
「……私は」
あなたは、どんな天使になりたいの?
天界で、大天使のサマンサ先生にそう言われたっけ。
「私は、古賀様みたいな人を救う天使になりたい」
古賀の前で啖呵を切ったあの時、天羽ははっきりそう思った。
「……あーっ!」
突然、頭の中に直接声が響く。人間の誰かに呼ばれたのではない。これは……。
「ようやく見つけた!あんた、大丈夫!?」
振り返ると、頭に白い光輪を浮かべ大きな羽を広げた、赤毛の天使が目を見開いていた。
「あ……」
「もう、町中探し回るの大変だったんだから。……やっぱり、羽が傷ついてる。『天使狩り』にやられたのね? 可哀想に」
心配そうな顔でまくし立てる彼女は、天界にいた時に一緒に講義を受けていた友人だった。天羽からの連絡が途絶えたのを受けて、探しに来たのだと悟る。
「ここ、誰の家? 勝手に住みついてるの?」
「あ、いえ。古賀様……家主の方に事情を説明して、ずっとここに」
「そう。酷い目に遭ってなくてよかった。さ、帰るわよ」
ぐい、と彼女は天羽の腕を掴んで飛び立とうとする。その瞬間、胸の奥がぞわっと震える感覚があった。
「ま、待ってください!待って!」
「……どうしたの?」
焦った様子の彼女に、自分の感情をどうにか説明しようと、天羽は必死に言葉を探す。だって、こんなに早くだなんて、全然聞いていない。
「今まで家主の方に、よくしてもらっていて。突然いなくなったら、その」
「なんだ、それなら大丈夫よ。姿を見られちゃっても私たちが天界に帰った時点で、人間から
天使の記憶はすっかり消えるんだから。忘れちゃったの?」
無理ないわよね、地上に降りてきていきなり「天使狩り」だなんて、と赤毛の天使は一人で納得して、また天羽の腕を引っ張る。
「だから、待ってって!」
ほとんど悲鳴みたいな声をあげて、天羽は抵抗する。
「え、だから何? 大丈夫?」
「あの、その、だから……。ええと、ええと」
嫌だ。まだ、別れたくない。
不思議そうに首を傾げる彼女に、どうすればこの気持ちを伝えられるだろうか。
「……処理としてはそれでよくても、私の気持ちが済まないんです。ちゃんとお礼と、お別れを言わないと」
咄嗟に、そう口にする。赤毛の天使はしばらく目を丸くしていたが、やがてにっこり笑った。
「そういうことね。じゃあ、ちょっとだけ待ってあげる。でも、早くしなさいよ。みんな心配してるし、仕方ないとはいえ、天使が人間に姿を見せるのは、本来はルール違反なんだから」
「……うん。わかった」
彼女が天羽以上のお人好しでよかった、と天羽は安堵した。しかし、同時に激しい動悸がやってくる。
思ったより早く、もうすぐに、古賀との別れが訪れる。
必死に気持ちを整理しようとするけれど、胸の奥のありとあらゆる細胞が、嫌だ、と拒絶した。
「何、また来たの」
照乃は言葉と反対ににやにやと笑いながら、扉を開けた。天羽はぺこり、とセキュリティの男性に頭を下げ、「ハイドアウト」の中に足を踏み入れる。
「別に、ここじゃなくても連絡くれれば話してあげるよ。最近は宮子も、しっかりしおらしくなってくれたし」
いきなりあんな風になっちゃうと、逆に可愛く見えてくるもんだね、と、カウンターに入りながら照乃は笑った。
「ごめんなさい。携帯持ってなくて。そういう方便とかじゃなくて、本当に」
「何それ。天羽ちゃん、結構変わってるよね」
出されたコーラを飲みながら、天羽は踊る集団の方をちらりと見やる。派手な服を着た人たちの中でも、その大きな羽はあまりに目立つ。赤毛の天使は、物珍しそうに爆音に合わせて体を揺らす人々を眺めていた。
彼女はあれから、二十四時間ずっと天羽を見張り続けていた。古賀がいない時は、早くしろ、と催促することもある。彼女の行動は、「天使狩り」が潜伏しているこの町からは早く去るべきだ、という善意からくるのだと思う。でも今の天羽には、かつての友人の目線が痛かった。
「……今日は、相談があって」
「おや、珍しい。一杯おごってくれたら、聞いてあげてもいいよ」
自分のために古賀のお金を勝手に使うことに罪悪感を感じながら、天羽は千円札をカウンターの上に置いた。
「……私、もうすぐまた、ここを出て行かなきゃいけなくて」
あら残念、と、照乃はお釣りの硬貨を数えながら相槌を打つ。
「天羽ちゃん、もともとこの辺の人じゃないんだもんね」
「はい。でも、古賀さ……くんを残して行ってしまって、本当にいいのかなって。まだ、一人にするのが不安というか」
ふうん、と照乃は鮮やかな青色のカクテルを一口飲んで首を傾げた。
「でも、古賀くんだってもう高三になるんだからさ。自分でどうにかするんじゃない? 別に」
「そうかも、しれないけど……。なんだか不安というか、胸の奥が痛むというか」
「……それはさ」
照乃はおかしそうに笑う。
「天羽ちゃんが、古賀くんと離れたくないんじゃない?」
「……えっ」
「だからさ。天羽ちゃん、古賀くんのことが好きになっちゃったんでしょ」
天羽は慌てて後ろを振り返る。赤毛の天使は、両耳を押さえながら踊る人々を興味深そうに観察していて、こちらを気にする素振りはない。
「い、いや、そんな」
「いいんじゃない? 禁断の恋、ってやつ。私も年上の彼氏いるけど、めちゃくちゃ幸せだし」
「でも、私と古賀くんじゃ、立場が違うっていうか」
「そういう恋ほど燃えるってもんよ。先のことなんて考えずにさ、自分の気持ちに素直になっちゃえばいいじゃん」
それは、天界の命に背いて、地上に留まれ、ということか。もちろん照乃は天羽の事情など知るわけもないのだけれど、考えたこともなかった選択肢を提示され、天羽は狼狽した。
私は、古賀様に恋をしているのだろうか。古賀様のことが好きか、と聞かれたら、迷いなく首を縦に振れる。でもその気持ちの源がどこにあるのかは、わからない。
そして、今の天羽に、それをゆっくり探している時間は残されていない。




