第20話
「……本当に来るのか?」
「しつこいですよ。いい加減に諦めてください」
玄関前にスーツ姿の天羽、そしてこの会話。古賀はデジャヴを感じざるを得ない。違うのは、現在時刻が午後三時過ぎ、つまり授業がすべて終わった後ということだ。結局、今までと同じように、古賀は高校に通わなくなってしまった。もう天羽に嘘をついて、制服で外出する必要はなくなったが。
でも、今日は特別な日だ。いや、天羽に言われるまで、古賀は認識すらしていなかったのだが。数週間ぶりに古賀は制服に袖を通し、天羽はいつの間にかまた朝野にスーツを借りてきている。
古賀ははらはらしながら、天羽とともに校門に向かった。警備員が天羽の姿を見て、訝しげに用件を尋ねる。「前回は、日にちを間違えちゃったみたいで」という天羽の嘘をどこまで信じたのかは分からないが、彼は再び入校証を渡してくれた。
職員室に向かう途中で、天羽は足を止めて、頬を赤らめた。
「すみません。私、ちょっとお手洗いに。緊張しちゃって」
「……何やってんだ、まったく」
仕方がないので彼女の帰りを待っていると、最悪なタイミングでそこに田島が通りかかる。
彼は古賀の姿を認めると、眉をひそめてこちらに近づいてきた。
「古賀。お前、こんなところで何やってんだ。授業はとっくに終わったぞ」
「……ええと。今日、俺の三者面談の日でしたよね」
さんしゃめんだん、と田島はぱくぱくと復唱して、それからわざとらしく辺りを見回す。
「三者面談って、そういえば今日だったか。でもお前、誰も来ないだろ」
「いや、従姉が来てて。今トイレにいて、もうすぐ来るんで」
「おいおい。三者面談に従姉が来るって、聞いたことないぞ。……あー、わかったわかった。やればいいんだろ」
露骨に面倒臭そうに、田島は頭を掻いた。ぶつぶつと悪態のような独り言をついていたのが、徐々に踵を床に打ち付け、文句の声量が大きくなっていく。
「……どうせお前なんかに、まともな将来なんかねえよ。学校も来ない、成績も悪い、進学っつったって、誰が金出すんだ……」
かつ、かつ。どこか遠くを眺めている田島の靴音が、ほとんど誰もいない校舎に響き渡る。
「お前みたいなガキが、真面目にやってるこっちの仕事の邪魔するなってんだ。ああ、うぜえ……」
「……あなた、本当に教師ですか!」
田島の誰に向けてか知らない声に、いきなり怒声が割り込んできた。はっ、と気が付いた時には、天羽が田島の胸倉を掴んでいた。
「天羽、やめろ!」
「やめません! いいですか、よく聞いてください。古賀様は、どんなに虐げられても、理不尽な目に遭っても、教師に裏切られても、誰にも決して、弱音も恨み言も言わなかった。やり返したっていいのに、文句を言ってもいいのに、今も、私を止めようとしてるんです! それがどれだけ大変なことか、あなたにわかりますか!!?」
「天羽、もういいから、やめるんだ!」
彼女は泣いていた。泣きながら、怒っていた。当惑する島田のネクタイとスーツの襟をぎゅっと握り締めて、逃げられないように捕まえて、怒っていた。
「古賀様はすごいんです。とっても優しくて、強いんです。古賀様を傷つけようとした人よりも、自分勝手にそれに乗っかった人よりも、それをただ見ていた人よりも! ……あなたなんかよりも! 素晴らしい将来が、古賀様には絶対に待っているんです!」
気づけば、古賀も泣いていた。泣きながら、やめろ、と天羽を引き剥がす。あれだけ強く掴まれていた手が、呆気なく田島の服を離した。古賀たちも、田島も、バランスを崩して地面に倒れこむ。
「……古賀様、帰りましょう!」
「はっ? 三者面談は……」
「いいんです! 言いたいことは、全部言ったので!」
古賀は慌てて立ち上がると、天羽の後を追って逃げるようにその場を離れる。その途中、ちらりと後ろを振り返ると、鼻血で顔面を真っ赤にした島田が、力の抜けた身体を廊下に投げ出していた。
「ああ……やっちゃいました……」
帰宅するや否やベッドに倒れ込む天羽を横目に、古賀は赤くなった目を擦る。
「……ま、嬉しかったよ。できれば家に帰ってから言ってほしかったけどな」
「ごめんなさぁい……」
将来について考えたことなんて、一度だってなかった。
母親は次はいつ帰ってくるんだろう。それまで、どうやって生活しよう。そればかりを考えて生きてきた。だから、国に頼るでも店長に頼るでもなく、古賀は今も母親の帰りを待ち続けている。
でも、天羽は、こんな自分にも、素晴らしい将来があると言ってくれた。世間知らずで直情的で、とびきりのお人好しの言葉でも、嬉しかった。
「……天羽?」
いつの間にか、天羽はすうすうと寝息を立てている。昨夜もよく眠れなかったと言っていたし、疲労が出たのだろう。
「おい、天羽。借り物のスーツに皴がつくぞ」
肩を揺すって見ても、起きる気配がない。白い髪と肌に、紅潮した頬がよく映える。開いたり閉じたりする唇の隙間に目が吸い込まれそうになって、慌てて顔を背けた。
古賀の中で、確実に何かが変わっていた。鬱陶しかっただけなはずの天羽のお節介が、いつの間にか心を潤して、溢れた分が涙腺から零れるようになった。戸惑いはあるが、不快感はない。知らなかったような、ずっと求めていたような、そんな感情に浸れた歓びが、古賀の頭を支配する。
「……俺は、天羽に」
天羽に抱くこの感情を、果たして恋と呼んでよいのだろうか。テレビや小説で見る恋は、もっと甘酸っぱくて、享楽的で、単純なはずだった。
問いの答えは、すぐに出た。
世間の短絡的な恋の結末なんて、どうせろくなものじゃない。古賀はそれを、身をもって知っている。
それなら、今のこの気持ちの方が、よっぽどマシなはずだ。
だから、間違いなく、古賀は天羽に恋をしていた。




