第19話
「おい、デビルのやつ、また学校来てるぜ」
教室内はざわついていた。昨日のうちにメッセージアプリで共有された志田と古賀が映っている写真をどう取り扱うべきか、皆決めかねているらしい。
授業中は、何も起きていないかのように、静かに時間が流れる。でも休み時間になると、生徒たちは何人かの塊に分かれて、ひそひそと互いの様子を伺い合っていた。ただ志田と古賀の席の周りの空間だけが、不自然にぽっかりと空いている。
志田は、我関せず、といった態度で黙々とスマホを弄っていた。黙っていれば状況が改善するようには思えなかったが、休まず学校に来るのは非難のつもりか、それとも意地か。
古賀は座席表から割り出した、八神宮子という女子生徒の長い黒髪越しの背中を、ただじっと見つめていた。授業中も休み時間も、たまに手洗いに立つ以外は机に突っ伏しているか、スマホをいじっているだけ。友達と話したりする様子はない。そしてやはり、その顔に見覚えは全くなかった。
じりじりと時間が過ぎていき、終業のチャイムが鳴る。それと同時に、佐藤が立ち上がって、一瞬古賀と志田を見比べた後、古賀の方に歩み寄ってくる。佐藤がこちらに来る前に、古賀は立ち上がり、八神の席の前に立った。
「八神。ちょっといいか」
佐藤が虚を突かれたように足を止める。八神は座ったまま顔を上げて、古賀の顔を睨んだ。
「……いいけど」
間近でまじまじと見る八神の顔は、確かに凡庸だった。
佐藤は結局、こちらに視線を送るだけで何もしてこなかった。古賀と八神は無言のまま、校門を出て人通りの少ない路地に入る。
「こんにちは、八神宮子さん」
そこには、手筈通り天羽が立っていた。八神の全身に目を走らせた後、こちらに目配せをする。俺は八神から離れ、彼女と向かい合う形で天羽の横に立った。
「……何。てか、あんた誰」
八神は苛立ちながら、言葉少なに言い放つ。
「古賀天羽といいます。古賀くんの、従姉です」
「従姉? ふうん」
こちらの彼女を糾弾しようという意思は十分に伝わっているはずだが、彼女には余裕があった。自分の、照乃に言わせれば「能力」に、それだけ自信を持っているのか。あるいは古賀たちには何もできないと高をくくっているのか。
「古賀様、手を」
小声で天羽が言う。古賀が彼女の手をそっと握ると、目の前の八神から、黒い瘴気がどっと噴き出した。
「うわ、あんたら、どういう関係」
間違いない。彼女が、この学校に蔓延する「ジャシン」の根源だ。
「……全部、知ってるんだ。誤魔化しは要らない」
「そう。大方、誰かさんが喋ったのね」
照乃から話を聞いたことを匂わせても、八神の余裕は揺るぎない。
いつでも「ジャシン」を祓うことはできる。でも、古賀はその前に、彼女から聞き出さなければならないことがあった。
「これだけ教えてくれよ。どうして、俺を?」
八神は、は、と息を吐いた。表情を一切崩さないまま、こちらに殺意に似た感情を一直線に向けてくる。
「私はね。欲しいものが手に入らなかったことがないの。いつだって、欲しいものの方から私のところに寄ってくる。そんな私が、わざわざこっちから迎えに行ってやったっていうのに。……ああ、忌々しい」
——志田くん、話があるんだけど。私、あなたの……。
——あ、ちょっとごめん。……おーい、古賀。その荷物、どうしたんだ。え、もう一人の日直に押し付けられた? ひどい奴だな。半分持ってってやるよ。八神、ごめんな、また後で。
「……え、それだけ?」
天羽が呟いた。そんな言葉など耳に入らない様子で、八神は堰を切ったようにまくし立てる。
「私の告白を断るだけに飽き足らず、あの男、話を途中で遮っていなくなってしまった。なんて屈辱。はらわたが煮えくり返るかと思った!」
そんなことで。
この半年間の出来事の全ては、そんなことで始まったのか。
学校に行けなくなった。たくさん傷を負った。多くの時間を棒に振った。部屋の扉には、いくつもの凹みができた。元から嫌いだった自分の名前が、そう名付けた母親のことが、もっと嫌いになった。
「古賀様。駄目です、気持ちはわかりますけど、駄目です!」
いつの間にか、天羽の腕を強く握り締めていた。古賀は眼を閉じて、すっと気持ちを鎮める。
「……天羽、もういい。さっさと終わらせよう」
「えっ? ……はい」
天羽はちょっと拍子抜けしたような声をあげた後、八神に……彼女に纏わりつく「ジャシン」に、目線を合わせた。
「え、何。何する気?」
八神の「ジャシン」は、露出魔やいじめっ子の粕屋のものよりずっと大きい。生まれた時から十七年かけて、少しずつ育ったのだろう。
「古賀様、お手を拝借します。……『ジャシン』、滅せよ!」
「はあ?……っ!」
一瞬の眩い閃光。それが消えると、後には気を失った一人の女子生徒の身体のみがあった。終わってみれば、全てが呆気なかった。古賀は溢れ出る徒労感に耐えきれず、天羽と指を絡ませたまま、その場に座り込んだ。
夜の八時過ぎ。天羽は、一人で駅裏のナイトクラブ「ハイドアウト」を訪れていた。古賀にはシャンプーを切らしていたと言って出てきたが、時間的に誤魔化せるかはかなり怪しい。それでも、天羽はここに行かなければならない理由があった。
天羽はスマホを持っていない。照乃と連絡が取れるのは古賀だけで、必然的に天羽はアポを取らずに来ていた。何度も逡巡した後、入り口の、この前とは違うセキュリティの男性に、照乃の名前を出して取り次いでもらう。
彼は訝しげにこちらをじろりと見た後、インカムで小声で誰かと連絡を取る。しばらくして、重い扉ががちゃりと音を立てて開いた。
「お。天羽ちゃんじゃん。入って入って。おごったげるから」
照乃はグラスにコーラをなみなみと注ぎながら、嬉しそうに言った。
「君たち、いったい何したの。宮子、見違えるように大人しくなったよ」
「あはは……企業秘密です」
照乃はふうん、と口では言いながら、興味深そうにカウンターから身を乗り出す。天羽は慌てて話題を変えた。
「私、照乃さんに聞きたいことがあって」
「え、なになに」
天羽はすうっと息を吸う。
「……古賀くん、あれから大丈夫かな、って。学校には行ってるみたいだけど、私には様子をあんまり話してくれないから」
あー、と照乃は口をあんぐり開け、天井を見上げた。何かを目で追いかけるように視線を動かして、やがて慎重に言葉を続ける。
「まぁ、収まっては、ないよね」
「……えっ?でも、大本の八神さんは」
「それはそうだけど。でも、ここまで広がっちゃったものは、もう止まらないよ。ぶっちゃけ古賀くん、まだ当分は学校来ない方がいいと思うな」
「……そんな、どうして」
「ジャシン」は消えたはずなのに、どうして暴力を振るい続けるのか。天羽は救いを求めるように、照乃の言葉を待つ。
「いや、だって。ここでやめたらさ、じゃあ今まで自分たちがしてたことは何だったの、って話じゃん。やめなきゃいけないような、悪いことをしてきたのかって」
「そんな、当たり前でしょう!」
「まぁまぁ、わかるけど。でも、あいつらはそういうことにはしたくないわけ。僕たち私たちは別に悪いことしてないけど、なんか自然としなくなっていった、ってテイにしたいの。だから、そうだな。三年になってクラス替わったら、無くなるんじゃない。たぶん」
やり場のない怒りが天羽の頭を支配して、弱々しくカウンターを叩いた。その音も、振動も、スピーカーから流れるダンス・ミュージックにかき消される。
「……天羽ちゃんは、なんか人間離れしてるけどさ」
照乃は褐色の液体をぐいと飲み干し、は、と酒の臭いがする息を天羽に浴びせた。
「人間って、醜いよ。とっても」
天羽はつんと鼻を刺す痛みに耐えながら、顔を背けて、リズムに乗って踊る人々をじっと見つめる。その中に古賀が入る様子が、天羽にはどうしても想像できなかった。




