第15話
『陸上部の志田、明日の放課後なら空いてるって』
昨日、つまり天羽と高校に行ったあの長い一日の終わりに大柳からそんな連絡があった。だが、その日は朝から晩までバイトのシフトが入っている。
最初は乗り気ではなかった聞き込みだが、思いもよらない話が次々出てきて、興味が湧いてきている自分に古賀は気づいていた。
少しでも早く話を聞きたい、という焦りと、世話になっている店長への恩との葛藤の果てに、古賀は本屋「バンディ」のバックヤードにいた。
「急で申し訳ありません。今日のバイト、休ませてもらえませんか」
何があってもあまり表情の変わらない店長が、流石に驚いた顔をする。
「これまた、急な話だね。体調不良なら無理せず電話でよかった……けど、そういう訳でもなさそうだし」
古賀は店長の顔を見ながら、どう説明しようか迷う。しかし結局、どうやっても誤魔化せそうにないその雰囲気に負けて、ほとんどの事情を話してしまうことにする。
「……なるほど。そういうことなら、行っておいで。ここは僕たちで何とかするから」
郡山くんがいなくなった代わりに、新しいバイトも来てくれたし、と店長はどこか寂しげに言う。
「ごめんね、気づいてあげられなくて。……でもそういうことなら、僕より相談に乗ってくれそうな人を知っているよ」
「誰ですか、それ」
店長が挙げたのは、意外なほど身近な名前だった。
「朝野さん」
古賀は髪を結んだ後ろ姿に声をかける。振り返った彼女は、不思議そうな顔をした。
「あれ、オキニくん、まだ制服着てないの?」
「……えーっと」
店長に薦められたとはいえ、年上の女性に自分の恥部ともいえる話をするのは躊躇われる。
「あ、従姉にスーツを貸してくれて、ありがとうございました」
世間話から入ろうとして咄嗟に思いついた話題を放すが、失敗だった。案の定、朝野から、あれ何に使ったの、と聞かれてしまう。
「いや、それは」
結局、彼女にも洗いざらい話す羽目になってしまった。と言っても、天羽や店長に話すときと比べると、ずいぶん婉曲的な表現になってしまったが、朝野は何かを察したように頷いていた。
「……店長が、私に言えって? そっかぁ。じゃあ多分、あの話をしろってことね」
「何かあったんですか?」
朝野の学生時代を想像しても、男子からも女子からも慕われる好人物、というイメージしか浮かばない。古賀に話せることなどあるのだろうか。
そんな古賀の疑いとは裏腹に、朝野は少し辛そうに顔を歪めながら、話し始めた。
「……高校の頃の話なんだけどね。私、こんな風に男っぽい感じだったから、あんまり男の子が寄ってこなくて、恋愛経験がなかったんだ。別に困ってたわけでもなかったし、まぁいいか、とか思ってたんだけど」
恋愛話でも始まりそうな出だしだが、彼女の口調や表情が、この話が惚気や自慢の類ではないことを物語っている。
「ある時、急にクラスの冴えない感じの男子が、告白してきたことがあって。今まで告白なんてされたことなかったし、その子と特別仲良かったわけでもなかったから、びっくりしちゃって。断らなきゃ、って気持ちが先走って、ちょっと配慮の足りない振り方しちゃったの」
「……はあ」
「それで終われば、まだよかったんだけど。後になって、やっぱりあれは良くなかったかな、なんて思って、友達の女の子に相談したんだよね」
それがまずかった、と朝野は落ち着いた口調で言う。
「内緒の相談だったはずなのに、いつの間にかクラス中に広まってて。しかも色々尾ひれがついてて、告白してくれた子が、すごく強引だった、みたいな感じになって、それで」
いじめが始まった。朝野の軽率な、けれど悪意のない行為一つがきっかけになり、大義を得たクラスメイト達が私刑の名のもとに傷つけ、そして。
「私が何を言っても全然収まらなくて、結局その子は、学校に来られなくなっちゃった。前にオキニくん、私のことをロマンチストって言ったっけ。それ以来、私も恋愛が怖くなっちゃって、見るのも聞くのも避けてるから、そのせいかも」
ずっと後悔してる、と朝野は静かに言った。彼女のせいじゃない、と思う。きっかけは何でもよかったし、相手は誰でもよかった。そういうものだ。それでも、その件がなければ、標的は別の生徒だったかもしれない。ここまで酷くならなかったかもしれない。そんな葛藤が、彼女の頭の中には今も渦巻いているのだろう。
「だから、私はたぶん、オキニくんの力にはなってあげられない。私は、人を傷つけた側の人間だから」
「そんなことは……」
朝野はにっこり笑って、右手でピースサインを作る。
「代わりに、アドバイスを二つ。一つは、いじめのきっかけは、ほんの些細なことだってこと」
「……もう一つは?」
朝野は冗談めかして、けれど実感のこもった声色で答えた。
「女は怖い、ってことだよ」
外で待っていた天羽と合流する。時刻は昼前で、待ち合わせをした放課後まではまだ余裕がある。
「どこかでお昼にして、その後は……どうしましょう」
「そうだな。ゲーセンでも行くか」
言ってから、流石にゲーセンはないか、と思い直したが、天羽は何だか目を輝かせている。
「ゲームセンター、天界で写真だけ見ました!ぜひ行ってみたいです!」
駅の裏手に入ったところにあるアミューズメント施設が、古賀の根城だった。中に入ると、決して上品とはいえない喧騒が耳を打つ。
「ここが、ゲームセンター……!」
天羽は耳を押さえながら、声を張り上げた。こんなに新鮮な反応をされると可笑しくなる。
「古賀様は、いつもここで何を?」
「俺?俺はだいたいメダルゲームで暇潰してるだけだけど……人とやるもんじゃないな、あれは」
「そうなんですか?」
そう言いながら、天羽はクレーンゲームの筐体に走っていく。迷子になるなよ、と古賀は背中に言った。
「そのアームで景品を掴んで、穴に落ちると貰えるんだ」
「それくらい知ってますよ。決まった額お金を入れないと、ちゃんと掴んでくれないんですよね?」
そういえば、この天使はやたら人間界の事柄に詳しかったな。そこまで分かっててもやるか、と尋ねると、天羽は首を横に振った。
「せっかく来たんだし、金はそんなに気にしなくてもいいぞ」
「いえ、何か……ちょっとだけ、よくない気配がします」
「ええ?」
周りの様子を伺うが、天羽はそうではなく、とまた首を振る。
「この筐体の中のあたりから、何か」
「うん?」
中を見ると、合点がいった。いわゆる「橋渡し」と呼ばれる、二つの棒の間に景品を落とすタイプのクレーンゲームなのだが、棒の間隔が明らかに狭い。絶対取れない、ということはないかもしれないが、かなり厳しい設定ではあるかもしれない。天羽にそう説明すると、納得したように頷く。
「でも、そんなものにも『ジャシン』が残るのか?」
「『ジャシン』、というほど確かなものではありませんから。騙してやろう、というちょっとした悪い気持ちが、店長さんか誰か、景品を設置した人の中にあったのでしょうね」
人を騙してやろう、誤魔化してやろう、欲求を煽って買わせてしまおう。その程度の悪意は、世界中にあふれているだろう。それらひとつひとつにわずかでも「ジャシン」の影があるのなら、世界は「ジャシン」で回っている、と言ってもいいのかもしれない。
そんなことを考えていると、天羽がまた別の方向を指さす。
「あっちに、もっと強い『ジャシン』を感じます」
彼女が指した先には、最新ゲーム機の写真が貼られたPOPと、「2000円ガチャ」の文字。
「やめとけ。あれは、決して触れてはならないモノだ」
古賀はそっと彼女を引き離した。
機械を操作すると、じゃらじゃらとメダルが出てくる。結局天羽にせがまれてメダルゲームのコーナーに来てしまったが、いつもと違ってそんなに時間もない。
「すごい。古賀さん、お金持ちなんですね」
「……こんなもん、いくらあっても一銭にもならないぞ」
「あれ?そうでしたっけ。換金できると習ったような、ないような」
たぶん、違うものと勘違いしている。確かにこのゲームセンターには多額の貯金、ならぬ貯メダルがあるが、元手は大してかかっていない。どれだけ増やしても金にも景品にもならない代わりに、暇人が増やそうと思えばいくらでも増やせるのがメダルゲームのいいところだ。
「……そう。そこにメダルを入れると、ここから落ちてきて……」
台に座る天羽の横で教えると、すぐに天羽は夢中になってメダルを入れ始める。そりゃ天界には、こんな下卑た娯楽はないだろう。
「わ、何か始まりましたよ!」
無邪気に笑う彼女の横顔を眺めていると、ふと我に返ってしまう。自分は今、女の子と二人で、ゲーセンで遊んでいるのだな、と。
年頃の男子にありがちな気恥ずかしさは、あいにく持ち合わせてはいない。ただ、何か感慨深いものが込みあげてくるのを感じた。
「……天羽」
「はい?」
「俺には、天使がどうとか、ジャシンがどうとか、何が何だかさっぱりだ。ただ……お前があんまり気に病む必要は、ないんじゃねぇかな。俺だって昔は神様やら何やらを恨んだりもしたけど、お前みたいな奴が天使、って言われると……何だか、責めづらいんだよ」
「古賀様……」
「俺の人生がこんなのなのは、クソみたいな母親と、顔も知らない父親のせいだ。他の奴らの不幸だって、きっと元をたどれば、人間が作ったこのクソみたいな世界が悪いんだ。きっと、天使のせいじゃ……お前のせいじゃ、ないと思う」
自分の気持ちを伝える、という行為を、天羽と出会うまで古賀はろくにしてこなかった。でも彼女と出会って、振り回されていくうちに、気づけば腹の中をたくさんの人に晒す羽目になった。
でも、だからこそ、今、古賀が天羽に伝えたいことが、ちゃんと伝えられているという手応えがあった。
「……ありがとうございます」
天羽は一言だけそう言って、笑った。
粗雑な電子音が鳴り響く喧騒の中で、その声だけが、透き通って聞こえた。




