第13話
「よーう、デビルくん」
ホームルームが終わると、佐藤とその取り巻きたちが一斉に群がってくる。挨拶代わりにまずは腹に一発。古賀が呻き声をあげると、その様子を真似してげらげらと笑う。こいつらも十分しかない休み時間や購買で戦争が発生する昼休みに俺をいたぶる暇はないようで、だいたいは放課後になってからやってくる。
「悪いけど、俺今日も部活なんだわ。終わるまでいい子で待っててくれよな」
佐藤が俺の髪を掴んで言う。いつもならこのまま、佐藤の部活が終わるまで取り巻き共に拘束されて、そこから繰り返し暴力を振るわれるところだ。
「……古賀くん、いますか?」
だが、今日は違った。おどおどした声が教室に響き、まだ残っていた生徒たちが一斉に会話をやめる。
「は?」
佐藤が髪を放すと、声の主の方を見る。胸に入校証をぶら下げたスーツ姿の天羽が、ニコッと笑った。
「古賀くんのお友達? ごめんなさい、今日、この子三者面談なんです。お借りしますね」
「え……あ、はい」
呆気にとられた様子で佐藤が頷くのを待たずに、天羽は古賀の腕を掴むと、引きずるようにしてずんずんと歩いていく。あんまり力が強いから、掴まれた腕が悲鳴をあげた。
「ごめんなさい、お邪魔しました」
口ではそう言いながら、去り際に天羽は佐藤をきっと睨みつけた。教室を出ると、天羽は申し訳なさそうに、遅くなりました、と謝罪する。
「大丈夫でしたか?」
「……まぁ、軽傷で済んだかな」
「嘘、何かされましたか!?」
まだ廊下に人がいるというのに慌てた様子で古賀の身体をべたべた撫でまわすから、小声で制止する。つい、と天羽は頭を掻いた。
「忘れ物とかないですか? ロッカーの中とか」
「おい、開けるな!」
思わず大声を出すが、時すでに遅かった。天羽が「古賀」と書かれたネームプレートが貼られているロッカーを開けると、そこにはかつて何らかの食べ物だったであろうモノが、腐敗した状態でべっとり付着している。天羽は何も言わず、すぐにロッカーを閉じた。
それからしばらく無言で廊下を歩いていた天羽が、口を開く。
「この学校全体に、『ジャシン』がへばりつくように蔓延しています。誰が発生源なのか、もはやわからないくらいに。あのクラスのあたりは、特に強く感じますけど」
「……そうか」
「ジャシン」の力が強いと、身に着けていたものや存在していた空間に、その一部が移ることがあるという。もちろん、関わった人間にも。
「『いじめ』というものが存在すること自体は、天界で学びました。でも、それはあくまでイレギュラーなことで、本来は学校は楽しくて、素敵な思い出がいっぱいな場所だって」
「天使様がそんな認識だから、この世からいじめはなくならないんだろうな」
天羽は押し黙る。ちょっと意地悪なことを言ったか、と古賀が思った矢先、彼女の声色が明るくなった。
「でも、心配はいりません。私が必ず、何とかしてみせます!」
「……やっぱり、そのつもりか」
古賀はため息をついた。もちろん、と天羽は鼻息を荒くする。
「そういうと思って、軽く調べておいてやったよ」
古賀は先ほど聞いた話を、極力嫌味を省いて伝えた。
「……ふーむ。まずは、直接当事者に会ってみたいですね。校外なら、『ジャシン』も感知しやすいかもしれません」
「当事者って……佐藤か?」
古賀は教室の方向を振り返る。天羽は慌てて首を振った。
「いやいや。もっと話しやすい、というか、怖くない人です。古賀様が調べてくださった中だと……井口くん、とか」
「井口?」
古賀が顔をしかめた時、丁度目の前をその井口が通りかかった。何という偶然。歩きながらスマホを操作していて、こちらには気づいていないようだ。
「あの方が井口さんですか? ちょうどいいですね、後をつけましょう」
天羽は大胆にもそう宣言すると、彼の丸まった背中を追いかけ始めた。
校舎を出て、校門から外に出ようとするところで、天羽は井口を呼び止めた。
「すいません、ちょっとお話いいですか?」
「……は?」
彼は迷惑そうに振り返り、古賀と天羽を見てびくっと身体を震わせる。
「なんだ、お前ら。今から塾があるんだけど」
教室の中では積極的に絡んでくる井口が、今は何だか怯えているように見えた。後ろ盾となる佐藤がいないからか。
「おい、大丈夫か? こいつ、結構悪い奴だぞ」
「たぶん大丈夫です。教室の外で問題を起こしたくはないタイプでしょうし、それに、もしもの時も二人がかりならきっと勝てます」
小声で物騒な相談をする古賀たちに、井口はさらに怯えの色を露わにする。
「誰だ、あんた。デビルに何か吹き込まれたのか? 言っとくけど、僕は関係ないからな。ど
うせ証拠なんか、一個もないんだ」
「……私は古賀くんの従姉の、天羽といいます。ちょっとお話を聞かせてもらうだけです」
天羽はにっこりと笑った。
「協力していただければ、大事にはしません。どこか喫茶店にでも入りましょうか?」
「……いや。立ち話でいい。塾に遅れるといけないんでね」
井口は爪を噛みながら、観念したように目を逸らした。
「で、何が聞きたいんだ。手短にな」
悪びれる様子のない井口だが、害意がありそうな感じではない。そういえばこれまでも、放課後は塾に行くといってすぐに帰っていたような気がする。
「……単刀直入に聞きます。どうして、古賀くんに酷いことをするんですか?」
天羽の疑問に、井口は口をぽかんと開けて、しばらく沈黙した。それから、自明のことを言い聞かせるように、彼女の目を真っ直ぐに見据えて言う。
「クラスの空気が、そんな感じだったから。それ以外にあるか?」
天羽は唖然としたように質問を続けた。
「じゃあ、古賀くんに何か恨みがあったとかでは」
「無いね。なんだ、何か心当たりでもあったのか?」
そういう訳ではないけど、と古賀は口ごもる。やはり、井口はクラスの空気に同調していただけだった。その割には、かなり積極的だったような気がしたが。そう聞くと、井口は鼻息を荒くする。
「僕だって、好きでやってる訳じゃないさ。ただ、もう受験勉強は始まってるんだ。余計なことに巻き込まれずに、平穏に過ごしたい。お前が標的でいるうちは、僕にも僕の友人にも火の粉は降りかからないし、問題が外に漏れて面倒なことにもならないんだ。結構じゃないか」
「そんな……」
「言っとくけど、発端は間違いなく佐藤の奴だぜ。僕はあいつに乗っかっただけ。こっちにも立場があるの、わかるだろ。勘弁してくれよ」
話しながら、井口の言葉遣いに熱が入っていくのがわかった。今なら本音を聞き出せるかもしれないと思い、怒ろうとする天羽を制止する。
「……どうせ、佐藤もお前も、みんな大した大学には行かないんだろ。適当に勉強して、聞いたこともない企業に入って、社会の歯車の一つになるんだ。勝手にすればいいさ。でも、そんな馬鹿どものおふざけに僕を巻き込まないでくれよ。僕はお前らとは違って、国を動かす人間になるんだよ!」
井口が足を踏み鳴らすのと、天羽が彼の胸倉を掴むのがほぼ同時だった。井口の顔が紅潮し、その後青ざめる。
「そんな言い方、酷すぎます!古賀様の方が、あなたなんかよりよっぽど……」
「天羽。やめよう」
騒ぎになったら、あの警備員がやってくるかもしれない。そうなったら、色々と面倒だ。天羽が手を放すと、正気に戻って怖くなったのか、青ざめたままの顔で井口がスマホを操作した。
「……佐藤のこと知りたかったら、こいつに聞けよ」
そう言って見せてきたスマホの画面には、SNSのアイコンとおぼしき顔写真。集合写真の一部が拡大されているのか画質は荒いが、ユニフォームや帽子の漢字からすると、野球部員のようだ。
「大柳って、野球部の奴。違うクラスだけど、一年の頃から佐藤とは犬猿の仲だって噂。教室の外の佐藤のこと、何か知ってるかもな」
それだけ言うと、井口は義理は果たしたとばかりに背中を向けて走り出した。あ、と天羽が声を発するころには、もう姿も見えない。
「逃げられちゃいました。でも、いいお話は聞けましたね。次は大柳さんに話を聞きましょう」
「……お前、ずいぶん積極的だな。さっきも、あんな詰め方するなんて」
天羽はごめんなさい、と舌を出した。
「こう見えて、私、すごく怒ってるんです。こんなに怒ったのは、天使として生きてきて初めてのことかもしれません」
この女の子は、俺のことをどう思っているんだろう、と古賀はふと思った。過大評価されているのはひしひしと感じる。でも、俺のどの部分を、そんなに認めてくれているのだろうか。
世の中を知っている風な口をきいて、その実は誰かを救うこともできず、せめてみっともない部分だけでも見られまいと隠していた、臆病な嘘つき。それが、古賀出日留という人間だというのに。




