第12話
制服のネクタイを着けて、鏡に自分の姿を映す。相変わらず、不愛想な顔だ、と思う。
「忘れ物はありませんか?久しぶりなんでしょう」
「大丈夫だ。……それより、本当に来るのか?」
もちろん、と天羽はスーツ越しに胸を叩く。どこから用意してきたのかと思えば、バンディの朝野から借りてきたらしい。いつの間にそんなに仲良くなっていたのか、古賀は首を傾げるばかりだ。
「俺から言い出しておいて何だが、ほんとに大丈夫かよ」
どうしても古賀が通う学校を見てみたいと言ってきかない天羽に、古賀が悩んだ末見つけたのが、郵便受けに入っていた一枚のプリントだった。ちょうど今、学校は三者面談の期間らしく、バンディの時と同様、古賀の従姉、という設定が通用すれば、放課後ならば学生でなくても校内に入れる。
「従姉が三者面談なんて、聞いたことないけど」
「大丈夫。私、若い女の子ですし」
自分で言うかね、と古賀は肩をすくめる。
ただ、ほっとしている自分もいた。放課後に天羽がいきなり行っても怪しまれるだろうから、朝から一緒に登校して、警備員に話を通しておく段取りになっている。今までも何度か経験しているが、忌まわしき高校に通うための道中はいつも酷く陰鬱な気分になる。天羽が横にいることで、少しだけ気分が晴れた。
人目につかないようかなり早くに家を出たので、まだ校門前に生徒はいない。警備員に話を通すと、物珍しげに天羽をじろじろ見はしたものの、天羽の言う通り性別と年齢が安心させたのか、納得してくれた。
「いってらっしゃい、古賀さ……くん」
「ああ」
控えめに手を振る天羽に軽く応えて、古賀は校門をくぐる。しばらく進むと、やけに巨大な校舎が見えてくる。
やっぱり、ここは苦手だ。古賀はため息をついた。
「おい、あいつ、マジで来てるぞ」
「まだ懲りねぇのか。いや、来ざるを得ないのかもな。あいつの家、何かヤバいんだろ?」
隠す気などさらさらない陰口があちこちから聞こえてくる。古賀は息を大きく吐くと、机の上に文庫本を立てて、顔を隠しながら教室を見回した。
天羽が一通り校内を回っただけで満足するとは思えない。彼女は本気で、古賀に対するいじめを解決する気なのだろう。もちろん、いたずらに騒ぎ立てることまではしないだろうが。
「解決」なんてありえない。古賀からしたらそんなことは分かり切っているが、彼女が納得して諦めるまで、一応付き合ってやることにした。天羽はあれ以来、ずっと気に病んだ様子でいる。責任を感じないわけにはいかなかった。
そうと決まれば、このクラス内の秩序については古賀自身が調べる必要がある。積極的にいじめに加担しておらず、教室全体について把握している人間。狭い教室で、それらしき男はすぐに見つかった。
昼休み、彼が席を立ったのを機に、廊下の隅で声をかける。
「……よう」
彼の身体がびくっと跳ねた。いつも教室の隅で、騒がしい連中を眼鏡越しに冷めた様子で見ている眼が、今は迷惑そうに揺れている。
「何だよ。あんたと話してるのがバレたらまずいんだ」
「だから、こうして誰もいないところで話しかけてる。ちょっと協力してくれないか」
彼は辺りをきょろきょろと見回すと、近くの階段を上っていった。逃げるような足取りではないのを確認して、古賀は後をついていく。
「三階には、二年生はめったに上がってこない。……で、用件は何だ」
「それは……あーっ、と」
「河野だ。河野佑。用件は」
「河野。ちょっと訳あって、俺たちのクラスの奴らのこと、色々と知りたいんだ。そういうの詳しそうだな、と思って」
河野は何かを察したようににやりと笑う。
「ついに反撃する気にでもなったか?いいぜ、何でも教えてやる。俺は影が薄くて、耳がいいんだ」
「クラスの中心で、あんたにとっちゃ主犯格といえるのが、ご存じ佐藤大輔。サッカー部所属、フォワードでスタメン。おまけに顔もいいときた。絵に描いたような陽キャってやつだね」
佐藤とは、以前も駅で出くわして、嫌味を言われている。後から聞いた話によると、あれを天羽に見られたらしい。
「まぁあんたの名前は確かに変だけど、それだけでっていうには過激になるペースが早いよな。なんか恨み買うようなことでもしたか?」
「……いや。何度か考えたけど、記憶にない」
一年生の頃から目立たないように気を付けてきた俺と佐藤に、そもそも接点なんかなかったはずだ。ある日突然、彼の俺に対する風当たりが強くなるのを感じ、佐藤を中心にしたその空気が、あっという間にクラス中に蔓延した。そんな印象だった。
「そうか。ま、そんなもんだよな」
河野はどこか楽しげに頷くと、別の名前を挙げる。
「んで、次に影響力が強いのは、井口かな。ほら、学級委員長の井口広史。俺ほどじゃないけど頭もいいし、面倒な仕事を代わりにやってくれてるから評価が高い。真面目で教師受けするタイプだけど、あんたにしてみたら佐藤と同じ穴のムジナ、ってところか」
「……まぁ、な」
井口のことは印象に残っている。我関せず、というタイプかと思っていたら、意外と積極的に嫌がらせに参加してきた。別に何かを期待していたわけではないが、少し失望したのは確かだ。
「それから、面白いのが志田楓だ。裏表のない、お節介で明るい奴ってのが俺の所感。いかにも女子受けしそうなタイプで、実際一年の頃はクラスの人気者だったらしい。……ただ、二年に上がってから、何かがおかしい。微妙にだが、クラスの中心から志田の立ち位置がずれてきてる気がする。みんな表面上は仲良くしてるけど、な。志田もそれに気づいてて、以前ほど目立たないようにしてるみたいだ。残念だったな、あいつが全盛期だったら、あんたの後ろ盾になってくれたかもしれないのに」
これは聞いたことのない話だった。たまに教室に顔を出すだけの俺の目には、休み時間の度にあちこちの席を駆け回る彼はクラスのど真ん中に位置しているように見えるが。
「そりゃ、あんたからはそう見えるだろ。クラスの中でも、この異変に気付いてる奴はそういないと思うぜ?俺はセンサーが特別製だから、ばっちりわかってるけどな」
彼は自慢げに頭のてっぺんのあたりを指さした後、また口を開く。
「それから……ま、外せないのは田島公章だよな。我らが2-Bの担任教師サマ。大卒三年目、端正なルックスで親御さん受け抜群、精力的な指導で同僚受けもマル、おまけに生徒からの人気も上々。しかしその実態は……言わなくてもわかるだろ」
このクラスは、他のクラスと比べて比較的落ち着いている、らしい。生徒側は授業態度や成績で田島に貢献する。その見返りに、田島はいじめを黙認し、定期的に生贄を教室に連れてくる。そういう「密約」が、暗黙のうちに成立していた。
「クラスの勢力図っていやあ、大体このへんを抑えとけば大丈夫だろ。それぞれに取り巻き的な奴はいるし、あとは……正直、女子のことは全然わかんねぇ。あいつらの主戦場は学校の外だからな。ま、俺が知ってんのはこれくらいだ」
丁度そのタイミングで、予鈴が鳴る。教室に戻ろうとする河野の背中に、ありがとう、と礼を言った。
彼は足を止めて不思議そうな顔で振り返り、それからにやりと笑った。
「これでもあんたには感謝してるんだ。あんたのおかげで、俺みたいな奴でも平和に暮らせて
るからな」




