五 影を喰う夜
五 影を喰う夜
夜は、いよいよ深みに沈んでいた。
嵐は止むどころか勢いを増し、窓を割らんばかりに叩きつける。
電灯はチリチリと音を立て、時折暗闇に飲み込まれそうに瞬く。
その光の揺らぎの合間に、影が増えていた。
数を数えれば確かにそこにいる人数と合っているのに─壁や床に落ちる影が一つ、多い。
「…誰?」
冴子が震える声で呟いた。
しかし、誰も答えなかった。
誰のものでもない影が、確かにそこにあったからだ。
* * *
「やめろ…!やめろ…!」
男子の一人が泣き叫び、床を叩いた。
「もういやだ!殺されるのは俺じゃない!俺じゃないはずだ!」
叫びは次々と連鎖する。
「次はあんただ!」
「ふざけないで!あたしじゃない!」
「やめろ!お前ら黙れ!」
生徒たちの恐怖と怒号と泣き声が交錯し、室内の空気はぐしゃぐしゃに乱れていた。
まるで建物そのものが彼らの狂気に呼応するかのように、床が波打ち、壁がきしむ。
* * *
その渦中で、ただ一人冷静なのは莉理香だった。
彼女は窓際に立ち、嵐の夜を背景に瞳を光らせていた。
「…見える。影が喰われている」
莉理香の言葉に全員が凍りついた。
「し、影が…?」
と、ある生徒が言うと、莉理香が答える。
「ええ。誰かの影が、少しずつ削られている。光が弱まったせいではない。……存在そのものが喰われているのです」
生徒たちは慌てて自分の足元を確認する。
冴子が悲鳴を上げた。
「いやあっ!短くなってる!影が…影がわたしを離れていく!」
その叫びが、恐怖を臨界へと押し上げた。
* * *
─ゴウン。
床下から再び、低い振動。
窓ガラスがビリビリと震え、光が一瞬だけ消える。
闇が一気に押し寄せた。
その闇の中から、影がじわりと膨れ上がる。
壁に映る影の数が増え、重なり合い、やがてひとつが不自然に揺らぎ始めた。
「…いる…!」
影山が掠れ声で言った。
「誰かの…後ろに…!」
次の瞬間、男子の一人が突き飛ばされたように床に倒れた。
彼の影が床から剥がれるように浮き上がり、黒い口のような裂け目に吸い込まれていく。
「やめろおおおおおっ!」
彼は必死に叫び、もがくが、身体はそのまま硬直し─次の瞬間、ぐしゃりと影に潰された。
残ったのは、床に広がる黒い染みだけだった。
* * *
誰もが悲鳴を上げた。
「消えた…!」
「いなくなった…!」
「影が…喰った…!」
生徒たちが叫びだした。
それを受け、突如冴子は髪を掻きむしり、狂ったように笑い出した。
「そうよ!順番なんだ!順番に喰われていくんだ!次は…次は…!」
本郷は壁にもたれ、嗚咽を漏らしていた。
「守れない…もう誰も守れない…」
花森はただ無邪気に拍手していた。
「すごい…すごいね…ほんとに遊園地みたいだ」
* * *
莉理香は冷たく言い放った。
「影を喰うのは、この建物の深淵。犠牲者が現れるたびに、それは力を増している」
影山が顔を上げ尋ねた。
「じゃあ、次は誰だ…?誰が…?」
莉理香は窓の外を見つめる。
「次の影は、もう選ばれている。だが─まだ完全には喰われていない」
「止められるのか…?」
影山の言葉に、理香はゆっくり笑みを浮かべた。
「止められるかどうか。それは、わたしたちがどこまで深淵に近づけるかにかかっている」
* * *
その瞬間、全員の耳に─声がした。
─つぎは、おまえだ。
─つぎは、おまえだ。
声は誰のものでもない。
しかし、確かに各々の心臓を指差していた。
冴子が錯乱し、叫んだ。
「やめて!やめてよおおおお!」
影山は震え、ノートを握りしめる。
本郷は膝をつき、うなだれる。
花森は微笑んだまま、口の中で「おまえだ」と囁き返していた。
* * *
莉理香は全員を見渡した。
嵐の稲光が彼女の横顔を白く照らす。
「深淵は、わたしたちを選別している。弱き者、怯えた者、心が折れた者から順に喰われる。だから─次の犠牲者はもう決まっている」
莉理香の言葉に、全員が息を呑んだ。
そして同時に、自分こそがその「次」ではないかと恐怖に苛まれた。
嵐の夜は、誰一人眠らせない。
影は、ゆっくりと喰らい続ける。




