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トランキライザー莉理香 最初の事件 ー亜空間の檻ー  作者: Futahiro Tada
第三章:閉ざされた狂宴

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二 崩れる均衡

二 崩れる均衡


 六郎ピラミッドの死体は、あまりにも異様だった。

 ─二次元化した人間。

 床と天井の圧に挟まれて薄っぺらに潰れた少年は、もはや死体というより壁に貼られた影のようだった。

 その場に居合わせた者たちは、誰も言葉を失った。

 ただ、喉の奥で短い嗚咽を噛み殺す音や、息が裏返る音だけが空気を震わせていた。

「…三人目、か」

 影山が低く呟いた。だが誰も返さなかった。

 これまでの均衡─「まだ大丈夫」「次は起きないかもしれない」─そんな淡い希望は、完全に粉砕された。


* * *


 冴子が突然叫んだ。

「もう嫌!もう無理!絶対に誰かが殺してるんだってば!こんなの自然に起きるわけないじゃない!」

 涙で顔を濡らしながら彼女は指を振り回した。

「怪しいのは……やっぱり茉莉香よ! だってあんた、さっきから別人みたいな顔して…!あの探偵とか言ってる人格、絶対ヤバいわ!」

 その言葉に数人が頷いた。

「そうだ…普通じゃない…」

「さっきも平然と現場を見て…」

「人間じゃない…」

 生徒たちのそのざわめきは恐怖を凝縮させ、次第に「茉莉香=犯人」という均衡のない図式を作り上げていった。


* * *


 しかしその瞬間、茉莉香の唇が冷たい笑みを形作った。

 ─莉理香が再び前に出てきたのだ。

「愚かですね」

 莉理香のその一言で、ざわめきが凍る。

 空気が一変する。さっきまで恐怖にすがり合っていた者たちが、一斉に後ずさった。

「あなたたちの疑いは筋違い。わたしが犯人なら、なぜ自分で自分を追い詰める必要があるの?」

 莉理香は薄く笑みを浮かべながら、潰れた死体のそばに立った。そして続けて、

「見なさい。この死体の形。これは人間の力ではあり得ない。ここで使われているのは─空間の圧縮」

 言葉は冷たいが、同時に魅了する力を持っていた。

 皆がその声に呑み込まれる。


* * *


 本郷が顔を歪め、言葉を吐き出す。

「ふざけるな…子どもを守らなきゃならない俺の立場で…こんな…!」

 本郷の声は震えていた。怒りではない。恐怖と無力感。

 教師としての均衡が崩れ、ただの一人の人間に戻ってしまった男の声だった。

 莉理香は彼をまっすぐ見ながら言った。

「先生、あなたも気づいているはずです。昨夜、カーテンが膨らんだのを見たでしょう。廊下の窓、風がないのに」

 本郷の表情が硬直する。

 否定できない。認めれば常識が崩れる。

 その狭間で、男の顔は崩壊していった。


* * *


 静寂を破ったのは、花森あゆだった。

「ねえ…もしかして、これ全部、遊園地なのかもよ」

 その言葉に、全員が振り向く。

「遊園地?」

 と、ある生徒が口を開く。すると花森は、

「だってさ、部屋が回ったり、潰れたり、切り刻んだり…まるでアトラクションでしょ?誰かがわたしたちを招待して、遊んでるんだよ」

 無邪気な声。

 だが、その笑みは異様に冷たかった。

「…頭がおかしいのか」

 冴子が吐き捨てた。

 だが心の奥では、誰もが「もしかしたら」と思ってしまう。


* * *


 集会室に戻った一行は、すでに均衡を失っていた。

 疑い、怒り、無力感。

 それらが互いを削り合い、心をバラバラにしていく。

 影山は手帳に震える手で線を引き続けていた。

「…時間…ズレ…間隔…」

 何かを必死に記録しようとしている。

 冴子は椅子に座り込み、爪を噛んでいた。

「絶対…あの子よ…あの子が全部…」

 本郷は壁にもたれ、顔を覆っていた。

 教師という均衡はもうどこにもない。

 そして花森は、ただ無邪気に笑っていた。

「次は誰かな。ね、莉理香ちゃん」


* * *


 莉理香は一人、窓際に立ち、嵐の夜を見つめていた。

 外では木々が折れ、雷光が森を切り裂いている。

『これで均衡は完全に崩れた。次に死ぬのは、恐怖に呑まれた者。

 この檻は、人間の心を潰すための舞台でもあるのよ』

 その言葉は、彼女の胸の内で凍りついた鐘のように鳴り響いた。


* * *


 ─ゴウン。

 建物全体が揺れる。

 まるで深呼吸する怪物の体内にいるかのような振動。

 非常灯が緑色に滲み、影が二重に重なる。

 恐怖に支配された子どもたちが、一斉に息を呑む。

 莉理香は口元に笑みを浮かべた。

「次の幕は、すぐに開くわ」

 その声は嵐の轟きと混じり、誰の耳にも届いたのか届かなかったのか、わからなかった。

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