9話 びっくり人間とジタバタ人間
5月5日、長谷川がリングを積んでやってきた。トラックを第2グラウンドの横の通路の行き止まりまでつける。
ここから約100mは共商の森の中を手運びだ。
俺と部員で待ち構えていると、助手席から知った顔が降りてきた。
こないだ小鞠をナンパして俺の髪をつかんだ奴だ。肩まであった金髪を坊主頭に丸めていて、小鞠たちはギョッとした顔をする。
「草野さん、先日は申し訳ありませんでした。フリーでやっている加藤拓海と申します。よろしくお願いします。」
「元西東京プロレスの草野龍哉です。謝るなら俺じゃなく彼女たちに……いや、怖がるな。やっぱいいや。俺から伝えとくよ」
「はい!」
「長谷川さん、謝りに来させるのはありがたいけど坊主はやめてくれよ。生徒たちが怖がる」
と、荷台の扉を開けている長谷川に耳打ちする。
「俺は別に強要してないんだけどな。こないだ草野さんが大分ビビらせちゃったから」
と笑う。
リングは鉄骨の骨組みに木の板を渡し、ウレタンのマットを敷く構造になっている。
WWEや新日本のメジャーサイズは縦横のサイズが6.4m、身体の小さい俺たちインディー選手が使うのが、この6mリングだ。
狭い会場用に5mや4mのリングもあるが、ロープワークのスピードも出ないし出来ることもかなり制限される。
最初に6mリングで練習できるのは幸運だ。
「危ないから全部ニ人一組で運べよー」
3mの鉄骨を順番に運んでいく。
リングの骨組みとなる鉄骨でいちばん重いのが、4つのコーナーの鉄柱、コーナーポストだ。特に地面に立てる土台の皿側が重い。
女子とはいえ、これを運んで設営できないことには興行にならない。まず俺が皿側を持ち、軽い頭側を小鞠に持たせてみる。
「うおおぉっ!」
と多少足元がおぼつかないながらも、なんとか運びきる。
次は優羽、美依希組。優羽は重い皿側を軽々と持ち上げ、美依希も問題なさそうだ。
すみれは……
「お、俺と持ってみるか?」
「なんだよ特別扱いすんなよ!」
と威勢が良かったが、みるみる鉄柱に押しつぶされてしまった。
後ろで母親のような顔で心配していた3人が支えてくれて良かった。
リングの骨組みが組み上がると、リングがななめ(ひし形)にならないよう調整していく「十字を合わせる」作業だ。
ここでまっすぐな正方形になっていないと、あとから板がきれいに嵌まらないのだ。
十字を合わせたら板を敷き並べていく。板に反りがあると、受け身の衝撃で跳ね上がって外れてしまうことがある。
俺が上に乗って踏みながら、裏返したり場所を変えたりの指示を出していく。
それが終わればマット、キャンパスを敷いてロープを掛ける。まだロープは緩いが、リングの形が出来上がってくる。
「じゃあ各コーナーのリング下に潜ってくれ」
「あ、鉄骨をくぐる時に気をつけないと……」
「ギャア!」
と小鞠が悲鳴をあげて悶絶している。
「……キャンパスのロープを掛ける金具に背中を打つとめちゃくちゃ痛いから気をつけろー」
「センセ……早く言って……」
「じゃあ、ワイヤーの端に金具があるだろ?ターンバックルっていうんだけど。それをモンキーレンチで巻いて締めていってくれ」
「センセ、鉄柱が引っ張られてどんどん傾いてきてるよ!いいの?」
「いいんだいいんだ、ネジ山残り3cmになるまでどんどん巻いてくれ」
オレもリング下に潜り、リング中央の柱を確認しながら指示を出す。
「すみれのほう一周巻き……つぎ美依希半周、小鞠1/4だけ緩めて……よし!」
「センセ、今何してたの」
「後で教えてやるよ、さあ次はロープだ」
「じゃあロープ、セカンドとトップをネジ山残り3cmまで!」
「私、ロープってゴムで出来ていると思ってました。こんなに硬いワイヤーなんですね」
「そうだろ。柔らかいゴムじゃ全体重をかけるようなロープワークはできないんだ」
軽く体重をかけて張り具合を確認し指示を出す。
「セカンド2周、トップ2周半」
ロープが締まるたび、傾いてた鉄柱が戻ってくる
「鉄柱が戻ってきただろ。リング下のワイヤーをしっかり締めて引っ張りあわないと、ロープが強く張れないんだ。」
「トップを半周、よしいいだろ!あとはサードを手で軽く巻いて完成だ!」
「わーい!」
「けっこう疲れるわね」
「本当に!リングってけっこう揺れるんですね」
「何言ってんだ、大会の時は移動してリング作ってイス机並べて売店立って、そこから試合するんだぞ。
で、終わったら全部片付けて巡業だったら次の街に移動だ」
「うへぇ〜」
「それでもなかなか儲からない、因果な商売だよ。
小鞠、一発受け身取ってみな」
「待ってました!いっきまーす!」
小鞠がリングのセンターに立ち2、3歩フットワークを刻む。
「やっ!」
と気合とともに足を抜き、背中と両腕が同時にキャンパスを叩く。マットとは比べ物にならない大きな音がなる。
「すごい!全然痛くない!
いや、全然痛くないわけじゃないけど、マットより全然痛くない!」
「何言ってんだ?」
とすみれがツッコむ。
「リングの中心の柱にはバネが入っててな。それが衝撃を吸収するんだ。さっき俺がリング下で巻き具合指示してたのは、バネがよく効くように調整してたんだ」
「とはいえ、受け身をミスるとイチコロで怪我するからな!さあ、いよいよ練習だ、柔軟運動から!返事!」
「ハイ!」
「草野さん、じゃあ俺たち行きますんで」
「長谷川さん、ありがとう。無理言ってすまないな」
「いえ、こちらも固定費が減るのは助かるんで。
まあ若干脅された感はありますが、積込みは原因を作った加藤たちに手伝わせますよ」
「土日なら何時でも俺が鍵開けに来るし積込みも手伝うから、また次の予定教えてくれ」
「ええ、また連絡します。またウチの大会も観に来てください。
草野さんなら観るほうじゃなくやる方でも大歓迎ですよ」
「はは、冗談いうなよ」
「冗談に聞こえます?
草野さんが毎日居る場所にリングがあるんですよ。
親切や脅されたからだけでリングを預けてると思ってるなら、草野龍哉のライバルだった長谷川智樹を甘く見るなって話ですよ。
では」
長谷川と加藤はトラックに乗り込んで去っていった。
俺はしばらく立ち尽くしてしまっていて、小鞠の呼ぶ声で我に返った。
「センセ、柔軟終わりました!
早く来て!すみれちゃん超柔らかいの!びっくり人間だよ!」
確かに関節が固まる前の幼少期から体操をしている人間の柔軟性は、想像をはるかに超えるらしい。どれほどのものか興味があるな。
道場に入ると、前後股割りしたまま上体を反らせて腿裏に頭をつけているすみれがいた。
いったい腰がどうなったらそこまで曲がるのか想像もつかない。
「うーんガキの頃はもっと柔らかかったんだけどな」
上体を戻し、すみれは事もなげに呟いた。
「すごいな、すみれ!じゃあマット運動いこう!前転2回、後転2回、前転から後転!」
プロレスで入門してきた奴にマット運動をさせると、前転後転ぐらいで運動神経はだいたい分かる。
という俺も、決して運動神経に優れたほうではなかった。
それでも、3、4ヶ月もすると不格好なりに跳ね起きやヘッドスプリングぐらいまでは出来るようになるものなのだ。
そして、中嶌すみれの前転後転は俺が今まで見てきた中でダントツに美しかった。
全く軸がぶれず、動作の始まりから終わりまで無駄な動きがなく流れるようだ。すみれが回るその時だけ、違う時間が進んでいる。
これは、とんでもない奴を預かってしまったのかもしれない。
一方、俺が見てきたなかで最低ランクの前転後転もいた。というか、出来ていない。プロ団体なら「お前田舎に帰ったほうがいいよ」と言われるやつだ。
「頑張れ!落ち着いてもう一回!」
小鞠に応援されながら、美依希が頭を下にしてジタバタもがいている。




