30話 草野龍哉
休憩が終わり、いよいよセミファイナル、草野龍哉vs月岡竜生が始まる。
チューブを使った軽いトレーニングと、ジャンピングジャック、ランジで全身に血を巡らせる。
コスチュームは昔の青いロングタイツをそのまま使った。足の太さも現役時代にだいぶ近づいた。くたびれたリングシューズに、西東京プロレスTシャツを着る。
月岡も青のコスチュームだが、長身が映えるショートスパッツ型に、レガースを着けている。体型はレスラーとしては痩せ型だが、肩の筋肉の盛り上がりが迫力を増している。
休憩明けの5ゴングが鳴り、会場の照明が落とされる。さあ出番だ、と緊張感が高まったところで煽りVTRが流される。
聞いてないしリハでもやってなかったぞ。月岡も怪訝な顔をしている。
『4年前、西東京プロレス……
同期・若田部秀に再起不能の怪我を負わせリングを去った草野龍哉』
俺が秀に放った、あのバックドロップの映像がリピートされる
『かつての若き青龍、草野龍哉がこのバトルゲートで、リングに復帰する!』
俺のバストアップに『蘇った青龍 草野龍哉』の字幕が大写しになる。
『迎え撃つは、バトルゲートが誇る若き天才……』
月岡の得意ムーブの映像が流れる。
『そして、若田部秀の実弟でもある月岡竜生!』
『2匹の竜の恩讐と因縁が、今日このリングで激突する!』
2人の顔が大写しになる。
瀬尾さんめ……!
知ってるとは思ってたが、しっかりアングルに使ってきやがったな。しかもあのバックドロップの映像まで。
感情のない顔で映像を見ている月岡に握手を求めたところで、俺のテーマ曲『月の爆撃機』が鳴り始める。
「ホゥ!ホゥ!ホゥ!」
3回デカい声を出して息を吐くのが、俺の入場前のルーティンだ。
ゲートをくぐり、真っ直ぐリングだけを見て歩いていく。ローブを跨ぐ前に、2秒だけ感慨に耽ってみる。
セカンドロープに上がり、両手を水平に伸ばし客席を一睨みする。共商の同僚も何人か来ているはずだが、見つからない。
キャンバスに降り、西東京プロレスのTシャツを脱ぎボディチェックを受ける。レフェリーは昔なじみの徳田さんだ。
「緊張してる?」
「徳田さんなんで安心してます」
ほんの少し微笑みながら
「自コーナーへ!」
と指示。
月岡の入場を待つ。テーマ曲はブラック・サバスのパラノイド。ずいぶん古い曲だな。
フード付きのガウンで表情を隠しているが、殺気をバチバチ飛ばしながら入場。
ロープを跨ぐ前にフードを下ろして俺を睨みつけてくる。俺も目線を外さず、2歩ほど前に乗り出したところでレフェリーに制止される。
月岡はレフェリーに『下がらせろ』のジェスチャーをして、悠然とロープを跨ぐ。
コールと同時に、ゆったりした動きから一転、ガウンを引き裂かんばかりに脱ぎ捨て上に放り投げる。照明トラスに引っかかる直前で落ちてくる。
月岡もチェックを受け、ゴング。
月岡がリングセンターをキープする。
『お前が周りを回れ』という格上アピールだ。
付き合わない。すぐ組みにいくが、ふっ飛ばされる。見た目以上に力があるな。
強引にヘッドロック。身長差でぶら下がるような感じになる。一度大きく持ち上げられて、ロープ際に運ばれ下ろされる。
月岡の野郎、徹底して格下扱いしてきやがる。それならば。
再度ロックアップ。小声で「チョップ」と呟き振りほどいて逆水平チョップ。『ビチィッ』と破裂音が響き渡り、観客がどよめく。
俺の得意技だ。別名ナイフエッジ・チョップ。
月岡は『効いてないぞ』とばかりのノーセールだが、会場に響く音と胸板の内出血は嘘をつけない。
反撃してこようが、徹底して逆水平チョップ。場外に逃れた月岡を追いかけて、また逆水平チョップ。
30発以上入れただろうか。月岡の胸板が赤黒くなり始める。痺れを切らしたように俺の頭を掴み、首筋に強烈なエルボースマッシュ。
『パゴォン』と言う音とともに、0.5秒意識が飛んだ。受け身もクソも無い。
気がついたらその場に尻もちをついている。
引き摺り起こして、月岡が“当てる”頭突き。『ゴンッ』っと乾いた音が空気を震わせ、俺たちの頭蓋には『メチッ』という湿った音が響く。
マジかこいつ。額が割れたぞ。生温かいヌルっとしたものが目蓋の上を通過していくのを感じる。
倒れながら『月岡も切れてるかな』と見てみたが、切れてない。丈夫な皮膚しやがって。
月岡が場外で攻める。血まみれの俺の額に月岡が鬼の形相でパンチをいれる。観客が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
リングに上げ、月岡が俺の額に噛みついてみせる。こいつこんなことも出来るのか。月岡の真っ赤な口元に、女性ファンから悲鳴が上がる。
ボディスラムで叩きつけ、セカンドロープから捻りをくわえたサマーソルトドロップ。2で返す。
『レッツゴー』
月岡が呟き、ファイナル・カットの体勢。俺は身体を反転させ、月岡を突き飛ばす。返ってきた月岡に渾身のスピアー。
コーナーの月岡にスティンガースプラッシュ。もう一発とコーナーに走った俺を追いかけて、串刺しのニールキックからハーフハッチスープレックス。
おお、秀の得意ムーブだ。秀のことと小鞠のことを思い出す。
ハーフハッチを返された月岡は、俺に因縁の技バックドロップを仕掛ける。
……あんまり上手くねえな!
俺はすぐ立ち上がり、組み付いてバックドロップの体勢。
『秀、いくぞ』
高々と持ち上げバックドロップ。
観客が息を飲む。
食らった月岡もすぐさま立ち上がり、バックドロップで投げ返す。
そこから10往復以上バックドロップを打ち合っただろうか。途中から数えていないが。
立ち上がってバックドロップにいこうとするが、さすがに頭を打ちすぎた。
足がもつれて月岡の腰にしがみついたまま崩れ落ちる。
月岡も立っていられず、2人で抱き合って倒れるような格好になる。
もう立ち上がれない。2人寄りかかりあって膝立ちしているのがやっとだ。
膝立ちのままエルボーを打ち合う。
『ゴッ』と音がして火花が散る。
痛え、拳で殴りやがった。片目がつぶれて視界がふさがる。
月岡の鼻っ柱を殴って、鼻血を吹き出させてやる。男前が台無しだなざまあみろ。
何往復か殴りあう。お互いの前歯が飛んで、目が塞がって、鼻が倍ほどに腫れ上がる。
『フィニッシュ』
俺は呟くと、割れた額を月岡の額にブチ当てる。痛え。今度こそあっちも割れただろ。もう俺の血か、あいつの血か分からない。
肩を貸すみたいに引き摺り起こし、最後のバックドロップ。抱きついてフォール。1、2、3ギリギリで月岡がはね返す。
よろけながらリング端に向かう。
「起きろ、月岡ー!」
ゾンビのように起き上がった月岡に渾身のスピアー。
2人の血が舞い飛ぶ。
倒れた月岡の両足を取ってジャックナイフ固め。レフェリーがカウントを入れる。苦しい。3秒が無限に長く感じる。
1、2、3 ゴングが打ち鳴らされる。
『14分50秒、勝者 草野龍哉!』
ジャックナイフを解き、月岡の上に折り重なるように倒れる。
「月岡、ありがとう」
「草野さん、なんでまだ生きてるんですか」
「月岡、男前が台無しだな。ざまあみろ」
「そう思うならどいてください。痛いし重いです」
身体を捻って月岡の横に横たわる。
小鞠が、美依希が、優羽が、すみれがなだれ込んでくる。
誰かの涙が、俺の顔に落ちて血を洗い流している。
「大丈夫だ」
誰かの何かの問いかけに、とりあえずそう答えておいた。
「月岡」
首を捻ってもう一度話しかける。
「今日でプロレス好きになったか」
「好きかどうかは知りませんけど、今日僕は何もやってないですからね。このまま終わらせませんよ」
「そうだな、また頼む」
横たわったまま握手をする。
やはりプロレスは最高だ。
最高の気分だ!
俺には小鞠が、月岡には美依希が肩を貸して控室に下がってくる。
松尾たち若手も、心配だが何も言い出せない様子で見守っている。
横たわったまま月岡の様子を見ると、美依希が膝と手で頭を支えてやっている。
「美依希さん、大丈夫ですから。
下ろしてください」
「私が頭を打った時に、草野先生がこうやって支えてくれたんです。あとで病院に行きましょう」
「……また草野さんか。癪に障るな」
「本当は、殺す気なんてなかったんでしょう?」
「そんなこと……!」
「あなたはそんな人じゃありません。あなたが知らなくても、私は知っています。
これからは竜生さん自身の道を……私も一緒に歩かせてください」
「美依希……秀兄ちゃん……アァ」
あの日の病室と同じ、無力な子どものように泣き始めた月岡を美依希が静かに抱擁した。
視線を天井に戻すと、目をキラキラさせた小鞠の顔が視界を塞いだ。
「すごい、すっごい試合だった!
さすが私の草野龍哉だ!」
そう言って、俺の両肩を掴んでガシガシ揺さぶる。
痛い……痛い。
あと俺はお前のじゃない。
「プロレス的な技を極端に抑えた構成、草野の鬼気迫るチョップ連打をエルボーと頭突き一発で黙らせた月岡の説得力!
当時を知るファンなら、涙無しに見られない若田部コンボ!
意地のバックドロップの打ち合い!
魂の殴り合い!
そして草野の愛弟子小鞠から逆輸入した、スピアーからジャックナイフ固めのフィニッシュ!
完璧だ!さすが私の惚れた草野龍哉だ!」
そう言って、倒れている俺に抱きつく。俺も小鞠の背中に手を回す。
「ああ、ありがとう小鞠……
お前に会えてリングに戻ってこれて、お前の技で勝てたよ」
「うん……」
どのくらいそうしていたのか、顔の傷の拍動痛と、小鞠の胸から伝わる鼓動を長い間聞いていた気がする。
「コマリ!kissシチャエヨ!」
タオが叫ぶと、松尾たちも囃し立てる。
小鞠が少し不安そうに、優羽とすみれの顔を見やる。優羽とすみれは笑顔で小さく頷く。
今までで、いちばんの笑顔の小鞠の顔が近づいて、視界を埋め尽くした。
わりと長い間つけていた唇を離すと、上目遣いで俺の目を見て小鞠は言った。
「センセ、血の味がします」
「草野、月岡、前座ご苦労!後は任せておけ」
竹刀や有刺鉄線バットやパイプ椅子やらを山盛りに入れたゴミペールを担いだ瀬尾さんが、俺たちには目もくれず入場ゲートへ向かう。
いつもそうだ。俺が生命を削ってやった試合を、あの人は軽々と飛び越えてくる。あの人には敵わないな。
「なに笑ってるんですか、ボロボロの顔して」
俺の胸の上から尋ねる小鞠の頭を、ひと撫でする。
「ああ、敵わないよ。小鞠にも」




