26話 バトルゲート
その日の晩のうちに、JKWのLINEグループに『年明けまで練習は無しで』と小鞠から連絡が入った。
優羽たちも既読スルーなので、おそらく俺の件も伝わっているのだろう。
いつもより少し寂しく感じる、独りの年末年始を過ごして年が明ける。
さあ、しょんぼりしていられない。年明けから優羽とすみれがバトルゲートに本格参戦だ。
バトルゲートの基本スケジュールは、火曜木曜の夕方から若手中心の合同練習。土日祝日はだいたい試合が入っている。
優羽とすみれは、高校生の間は日帰りできる範囲の大会限定の参戦予定だ。
1月5日、バトルゲートの練習始めに参加するために車に乗り込む。俺は3月で退職して4月から所属の予定だが、引率も兼ねて練習に行ける日は行くつもりだ。
と、優羽とすみれに続いて小鞠と美依希も荷物を抱えて乗り込んでくる。
「おいおい2人とも、見学来ていいとか言われてないだろ」
「瀬尾さんの許可取ってますんで!」
小鞠が目を合わせずに言う。取ってないなこれは。
「2人とも放っておけないですからね!」
と美依希の鼻息も荒い。
「ふたり?オレたちのこと?心配すんなよ!」
とすみれは暢気なものだ。
「仕方ないな。放り出されても俺は庇わないからな」
緊張と気まずさもあって、皆しばらく無言のまま車を走らせていたが、小鞠が沈黙を破る。
「気まずいままなのは嫌だから、言っておくね。
サーシャさんとすみれちゃんだけスカウトされたの、すっごく悔しかった。センセが私たちを放ってプロレスに戻るのも腹立ってる。
でもプロレスラーは個人商店だから仕方ない、でしょ?だから小鞠も小鞠なりに戦ってみます。
だから、気まずいのもう止めね」
「敵わないな、小鞠には」
「ホント、ぼやぼやしてたらあっという間に抜かれちゃいそうね」
「というわけでセンセ、そこのマック寄ってください」
手打ちのマックか、本当に敵わないな。とウインカーを出してハンドルを切る。
現在バトルゲートには、合宿所住まいの若手が男子4人、女子3人いる。合同練習の時はほかの若手やフリー選手も参加して、だいたい8〜10人くらいで練習しているそうだ。
並んで自己紹介すると、選手は皆怪訝な顔をしている。当たり前だ。
「瀬尾さんからは、草野さんと女の子が2人って聞いてたけど……」
小鞠がすかさず返す。
「あれ?お話伝わってませんか?
私達2人同じ部でプロレスやっているので、練習に参加させていただくことで瀬尾さんに許可いただいてます!」
よくそんな嘘がスラスラ出てくるな、
と目を丸くしていると
「俺は許可した覚えはないんだがな」
言いつつ瀬尾さんと月岡が現れた。最悪だ、というかすぐバレる嘘だったが。
小鞠の命運もここまでか。
と思ったその時、小鞠が瀬尾さんを真っ直ぐ見据えて一歩前に出た。
「グレート瀬尾の許可は取ってませんが、20年前の瀬尾浩一郎さんと同じことしてるだけなんで、許してくれると信じています」
瀬尾さんが虚を突かれて目を見開く。
沈黙のなか、しばらく小鞠と睨み合う時間が続く。
これはマズい、と間に入ろうと半歩踏み出したその時、瀬尾さんがガハ、ガハ、ガハと大笑いしだした。
笑っていなさすぎて慣れていないようなぎこちない笑い声だが、腹まで抱えて本当に楽しそうに笑っている。
俺は、月岡もだろう、そんな瀬尾さんを見るのは初めてで呆気に取られて瀬尾さんを眺めていた。
「違え無いな、お嬢ちゃん。
名前を聞いておこうか」
「はい!JKW部長 桂木小鞠。
リングネーム小鞠です。
宜しくお願いします!」
満足そうに頷くと、横にいた若手に声をかける。
「松尾!甘やかすな、しっかり鍛えてやれよ」
「はい!」
「いくぞ月岡」
月岡は一瞬だけ美依希に目線を送り、瀬尾さんに付いて出ていく。
帰りの車中で、疲れた様子の皆に尋ねてみる。
「どうだった?プロの練習は」
「やっぱり緊張感ありましたね。最初から『リング上では笑うな』って怒られちゃいましたもんね」
「あと、やってる事自体は部活と変わらないけど、求められる精度が違う、って感じね」
「テンションも違ったな!ロープに振る動きひとつにしても、躍動感があるというか。それでいて全然力入ってないのな」
「30分以上の試合とか、巡業しながら毎日試合しようと思うと、そうじゃないと保たないからな。勉強になったろ」
「あ、そういえば小鞠。
練習前に瀬尾さんに言ってたあれ、なんだ?」
「ああ、グレート瀬尾って全日本プロレス出身じゃないですか。
あれ、最初は体格が足りなくて入門テストで落とされているのに、道場の前に居座って練習に無理やり参加したり、興行の撤収を勝手に手伝ったりして強引に入り込んでデビューしたんですよ。
しかも入門テストで正規に採用した練習生は全員夜逃げしたのに、グレート瀬尾だけ残ってデビューしたんですよね」
「マジか。そんな話、俺も知らなかったぞ。それで瀬尾さんもバカ負けしたわけか」
「今のプロフィールには『全日本プロレス入門』としか書いてないですけど、大昔に何かのインタビューで話してたんですよね」
「大昔って……下手したら小鞠生まれる前だろ」
「家に80年代からの週プロとゴング全部あるので、生まれる前のやつも全部読んでます」
本当に敵わないな、こいつには。
学校の仕事が立て込んでいて、俺が次にバトルゲートの練習に参加できたのは3週間後だった。
「おつかれさまです!今日もお願いしまーす!」
小鞠たちが慣れた様子で道場に入る。
「おつかれー!」
若手たちもずいぶんフレンドリーだ。
打ち解けたどころじゃなく、めちゃくちゃ仲良くなってるな。
「これ、お客様からいただいた萩の月です。皆さんでどうぞ」
美依希がお土産を一つずつ手渡すと、受け取る男子レスラーの目尻がすごい角度に下がっていく。
お、今日は月岡もいるのか。
「月岡さんもどうぞ」
「いえ、僕は甘いものは控えていて」
「そんなこと言わずに」
と、月岡の手を取って渡す。周りの男子レスラーの後ろに嫉妬の炎が見える。美依希、つくづく罪な女だ。
一方、小鞠は女子レスラーと談笑している。
「小鞠、今日もちゃんこ食べて帰るだろ?」
「もちろんです!そのために来たようなもんですから!」
「だはー!小鞠はホントにかわいいなー!」
と、小鞠の頭をクシャクシャと撫でる。
なるほど、小鞠は女子担当か。と思いながら横を通ると視線が冷たい。
急に会話のボリュームを下げる。
「小鞠、アイツか?」
「そうです」
「クリスマスの夜に小鞠をふって……」
「ラブレターをビリビリに破いて小鞠を足蹴にしたという……」
「極悪人です!」
いや、待て待て待て。
練習が始まると、マット運動ではすみれが、グラウンドでは優羽が抜群の存在感を発揮する。
ハイスパートでもほかの若手と遜色ない完成度だし、表現力も上がっている。
たった数回プロの練習に加わっただけで、見違えるくらいの成長だ。正直、学校の道場で教えてきた俺が嫉妬するぐらいだ。つくづく、人間は環境の生き物なのだと思う。
そして俺も、月岡と手を合わせる。見てても上手かったが、やるとより上手さが分かる。ロックアップひとつでも、ジグソーパズルのピースのようにピタリと噛み合う。
ブランクもあり息が上がってしまう俺に対し、月岡は涼しい顔だ。
「どうしました、草野さん。
もう終わりですか?」
「まだまだ、もう一丁!」
結局俺の足が攣って倒れるまでやっても、月岡は息を弾ませる程度だった。
この野郎……!
「あの2人、なんであんなにムキになってるの?」
訝しげに聞くほかの若手に、小鞠と美依希が曖昧な返事をしている。
試合後は皆でちゃんこを囲む。
力道山から始まり、日本のプロレス界は相撲出身者が作った世界だ。業界用語や風習も相撲から来たものが多い。
ちゃんこ鍋も同様だ。料理経験の無い若者でもすぐ覚えられて、一品だけでも栄養価が高くたくさん食べられる。
非常に合理的な食事なのだ。
JKW勢も甲斐甲斐しく手伝っている。
ほかの若手も、男女キャリア関係なくせっせと動いている。
月岡もお茶だコップだと忙しなく動いている。
団体によっては、一番下のたった1人がすべて雑用を負わされるところもある。バトルゲートのこの雰囲気は、瀬尾さんが作ったものなのだろうな。
鍋がおおかた空になった頃、月岡が口を開く。
「橋本さんとビオレータのデビュー戦が決まりました。
2月23日祝日、後楽園ホール。
カードは橋本サーシャ、ビオレータ・リンダ組対ライトニングガール、宇野彩夏組です」
「ヨロシクネ!」
「宜しくな!」
目の前でちゃんこを食べている2人が、笑顔で声をかける。
素顔のライトニングガールは小柄でしなやかなベトナム人のタオ、宇野は髪を緑に染めたがっしりした体格の選手だ。
去年の4月24日とどろきアリーナ、5人でJKW結成を誓ったあの日に試合をしていた2人だ。
アリーナ最後方立ち見席から見上げていたあの2人と、優羽とすみれが聖地後楽園ホールで試合をする。
本当になんという1年だ。
優羽・すみれに、小鞠・美依希が何も言わず寄り添っている。
プロレスの神様がいるなら、この4人の魂を集めてくれたことに感謝したいと思ったが、瀬尾さんの顔が浮かんできたので急いで打ち消してちゃんこをかき込んだ。




