2話 空手家と受け身
「一緒にプロレスやりませんか〜、元プロレスラー荒ぶる青龍の本格指導が受けれますよ〜」
JKW旗揚げから2日、半分葉桜になった並木道でサンドイッチマン状態の桂木小鞠が今朝も健気にチラシを配っている。荒ぶる青龍は前に出さないでほしい。
「おはよう桂木さん、反響はどう?」
半分受け取り俺もビラ撒きに参加する。
「全然です〜。興味もってくれた人もいるんですけど部活は兼務ができないルールらしくて。飯伏幸太みたいにダブル所属OKならいいのに。もう神取忍と戦ったジャッキー佐藤みたいに心が折れそうです」
「ちょっと前から大分古いのまで幅広いな。来週のクラブ紹介に賭けるしかないか〜」
「そういえばセンセ、24日とどろきアリーナでバトルゲートのビッグマッチがあるらしいですよ!連れてってくださいよ〜」
「そんな金ねーよ。だいいちその日、部員集めの最終日だろ。ゆっくりプロレス観戦できる余裕があればいいけどな」
と、俺が差し出したチラシを受け取ってくれる。それどころか立ち止まってチラシを眺めている生徒がいる。
スラリとした高身長で、164〜5cmはありそうだ。手足も長い。長い髪をポニーテールに束ねている。チラシの文字を追う切れ長の瞳に、これまた長いまつ毛が被さっている。美人と言っていい顔立ちだろう。
お、俺の担任の1年A組の子だな。名前は確か……市川さん。確か市川美依希だったな。
「お、市川さんありがとう。プロレス興味ある?」
「いえ特に。草野先生は何か格闘技されてたんですか」
「あぁ、チラシに書いてあるけど昔プロレスをね」
「プロレスは格闘技ではありませんよね」
横で小鞠が気色ばむが、この手の物言いをされることはしょっちゅうだ。
立ち去ろうとしている彼女の背中に、少しいたずらっぽく声をかける。
「市川さんはキックか空手?フルコン空手かな?フルコンならうちの部じゃやらないよね、町道場?」
「え……どうして分かるんですか?」
『気持ちわるい』と心の声が聞こえるがあえて無視して続ける。
「拳ダコと体つき身のこなしでだいたい分かるよ。小さい頃からやってるのかな」
美依希は不承不承ながら向き直り拳をさすっている。
「ウチの部長の桂木さんはプロレス始めて間もないんだけど、今度の部活紹介でエキシビションマッチをするから相手を探してるんだ。ぜひ市川さんにお願いしたいんだけどどうかな」
「私は見せ物のために空手をしているのではありませんので。それにプロレスって、その……八百長ですよね」
待っていた言葉がきた。
小鞠が持っていたチラシをぶん投げ、桜の花びらに混じって舞い落ちる。
ズイッ……と前に出たその目は完全に座っている。
周りの生徒も、異様な雰囲気を遠巻きに見守っている。割って入ろうとする他の教師を、俺が制する。
小鞠、ビンタだけはやめてくれよ、今日でJKW解散になるぞ。
小鞠は耳の下を掻きながらひとまわり大きい市川を睨みつけている
「もう……取り消せないよ」
「たとえ土下座してもね」
餓狼伝だッッ……!引出しが多いぞ桂木小鞠!
「はあ?誰が土下座……」
おお!美依希も餓狼伝とだいたい同じ答え!
笑ってしまうのを堪えながら、2人の間に割って入る。
「市川さん、桂木さんもこうやって頼んでることだしお願いできないかな」
「人にものを頼んでいる態度じゃないですよね」
もっともだ。
「でも、空手家としてあそこまで言われて引き下がれません。ただし、怪我しても文句はなしでお願いしますね」
周りの生徒から拍手が起こるが、俺は松尾象山ばりに毛筆で誓約書を書いている小鞠を想像してとうとう笑ってしまい
「何笑ってるんですか」
と両選手からお叱りを受ける。
体育館1階のピロティ片隅に敷いたマット2枚が今のところJKWの道場だ。
基礎のマット運動。
前転、後転、倒立前転、後転倒立、ブリッジ、跳ね起き、ネックスプリング、ヘッドスプリング、側転、ロンダート。
全部出来るわけではないが身体は柔らかいし筋はいい。全部こなせるのも時間の問題だろう。
「草野センセ、勢いであんなこと言っちゃったけどどうするんですか?小鞠まだマット運動しかしてませんよ」
いや、お前が始めた餓狼伝だろ。
「プロレスの基本は受け身、さらに受け身の基本はマット運動だ。まだまだ練習は必要だが、そろそろ受け身の練習に入ろうか」
「受け身だけじゃ戦えないですよ〜」
「まあ草野龍哉に任せとけって。まず見本を見せるから」
マットの上に立ち脱力し軽くフットワークする。3年ぶりの後ろ受け身だ。
前方に足を抜く。支えを失った背中を背筋で自由落下よりさらに加速させる。背中と寸分違わず同じタイミングで水平に伸ばした腕全体でマットを叩く。首は瞬間的に前に力を入れる。
天井の低いピロティに
バァーン
と銃声のような受け身音が響く。他の部活の生徒が何事かと顔を上げた。よし、何千回と取った受け身はまだ錆びついてない。立ち上がると小鞠の目が輝いていた。
「スゴい!さすが草野龍哉!」
「フルネーム呼び捨てはやめようか。いきなり今のは無理だろうからまずは中腰の体勢から……」
稽古と準備に追われあっという間にクラブ紹介の4月21日を迎える。
タイムリミットまであと3日、毎日ビラ配りと勧誘を続けているが部員はまだ小鞠1人。おそらく今日が最後にして最大のチャンスだ。
クラブ紹介は、新入生歓迎会の一環で行われる。体育会系の部活の一番最後、いよいよJKWプロレス研究部(仮)の出番だ。
司会の合図とともにジャージ姿の小鞠がステージにマットを並べる。顧問の俺はレフェリー兼司会兼リングアナだ。
さあ、空気を変えてやる。
プロレスは試合だけじゃない。入場、演出、リングアナ、スタッフ全員でつくる、五感すべてに訴える総合芸術だ。
「これより、JKWプロレス研究部提供、エキシビションマッチ3分1本勝負をおこないます!」
スピーカーが音割れするレベルの絶叫をぶつけ、生徒たちの目を引きつける。
「まずは赤コーナーよりJKW部長、桂木小鞠入場!」
袖に引っ込んだ小鞠があらためて出てくる、ジャージを脱ぎ捨てヴェノムのファイトショーツとスポーツブラ1枚の姿になりどよめきが起きる。
「おー!」
自信にあふれた笑みで観客に向かって右腕を突き上げる。ジャンボ鶴田かよ。さっきまで不安でメソメソしてたのに大した強心臓だ。
「青コーナーより、拳和館初段、市川美依希入場!」
空手着姿の美依希が対照的にスタスタと入場し観客に向かって軽く頭を下げる。
ここからはレフェリーだ。忙しい。両選手のコスチュームを簡単にチェックし、助っ人を頼んでいた先生にゴングを要請する。
カーン!
100均のフライパンとハンマーの割にはいい音じゃないか。
ゴングと同時につかみかかる小鞠に強烈な前蹴り。
うずくまった胸板にミドルキック。
バチンという破裂音、小鞠がまさに爆発物で弾かれたように吹っ飛び倒れる。
観客が静まりかえる。フライパンゴングの余韻も止み、完全な静寂がおとずれるなか、俺と小鞠だけは手ごたえを感じていた。




