1話 JKW、旗揚げ?
講堂につながる桜並木を、今年も新入生達が眼を輝かせて歩いてくる。
俺の勤務する共商学園女子高校には、多種多様な部活がある。勧誘のチラシを新入生にこれでもかと渡している。
若さと活気に胃もたれして桜を見上げると入学式にふさわしい見事な満開だ。
しかし、左足の古傷が痛む。午後からは花散らしの雨だろう。
「草野先生、せっかくの入学式なんだからもう少し明るい顔してくださいよ」
隣の教師に声をかけられるが、曖昧な返事でお茶を濁す。
入学式とホームルームが終わり、校舎の脇を歩いていると何かにつまづいて転びそうになる。
見ると、マット運動に使うマットだ。
2枚重ねてある。なんでこんなところにマットがあるんだ?
視界の上の方で何かが動いた気配がした。見上げると、2階の窓から女の子が飛び降りるところだった。
入学式の日から投身自殺かよ。
「ィヤッ!」
声をかける間もなく、踏み切った。
およそ自殺とは思えない掛け声で。
幸い、背中から落ちてきている。
覚悟を決めて全身の筋肉を強張らせる。
腕や背筋だけでは支えきれない。
スモウデッドリフトの体勢だ。
大きくスタンスを開き脇を締める。
ズンッ
受け止めた衝撃を腕から腰、足に逃がす。
なんとか受け止めた少女は、ヴェノムのスポーツブラにファイトショーツという格好だ。MMAの世界から転移でもしてきたのか?
受け止められた彼女も、反射的に俺の首に腕を回したまま丸い瞳をより一層丸くして俺を見ている。
150cm台前半ぐらいだろうか、小柄な体格だ。
セミロングの無造作な髪。浅黒い肌が肉付きがよいが筋肉質の身体に引き締まった印象をあたえる。
言い訳だがいやらしい意味で見てるのではない。長いこと身体を鍛えていると、他人の身体を見ても身体能力を推測してしまうのだ。
「ちょっと!なんで受け止めるんですか!」
俺に横抱きにされたまま、猛然と怒り始める。
自殺を邪魔された者が怒り出すのはよくあることかもしれないな、と自分を納得させてみる。
「あれ……?」
怒っていた少女が怪訝な顔をしだす。
「西東京プロレスの草野龍哉ですよね?荒ぶる青龍の……?」
「あ、いや……うん、よく知ってるね。でも呼び捨てはやめようか。あと荒ぶる青龍もちょっと恥ずかしいから、やめてくれるかな」
受け止めた衝撃で筋肉がもう限界だ。
バランスを崩して、横抱きのままマットに倒れてしまう。
「なんでこんなところにいるんですか?」
少女は俺のうえに乗ったまま、構わず話を続ける。
「な、なんでって。俺ここの教師だから」
「え!
草野さん、3年前西東京が倒産して、グレート瀬尾と一緒にバトルゲートに移籍すると思ってたのに行方知れずになってしまって。
これからの選手だったのにもったいないな、どうしてるのかなってずっと思ってたんです。
まさか今日ここで会うなんて!」
やばい、こいつ知ってるどころじゃない。めっちゃ知ってるやつだ。そして小鞠が無遠慮に出したグレート瀬尾の名を聞いて胃液が上がってくるのを飲み込む。
「う、うん……よく知ってるね。
とりあえず、いったん下りてくれるかな」
あ、と言う顔をして俺の胸から飛び退く。腰をさすりながら起き上がる俺を丸い目でずっと見ている。
「私、新入生の1年F組桂木小鞠です!
小さい頃から、プロレスが大好きだったんです!
この学校ならプロレス部を作れるかもって思って入学しました!
で、景気づけに一発、2階から受け身を取ろうと飛び降りたら、草野龍哉に会うなんて!
これはもう運命です!」
「いや、やる気は認めるけどさ。
2階から飛び降りたら、創部する前に命日が来ちゃうよ」
「え〜ミック・フォーリーの『Have a nice day!』にはそうやってトレーニングしたって書いてあったんですけど……」
「それはミック・フォーリーだからだし、ミック・フォーリーも多分結構な怪我してると思うよ」
しかしよく知ってるな。
「とにかく草野センセ、私はプロレス部を作って、将来はプロレスを仕事にしたいんです!顧問になってください!」
プロレスを仕事に?その言葉を聞いて自分の体温がスッと下がるのを感じた。
「プロレスラーになるのは並大抵のことじゃないし、万が一なれたって大怪我をするかもしれない。
だいいち、簡単に儲かる商売じゃないんだ。それに僕はもうプロレスに関わるつもりはないんだ。
別の仕事を探したほうが賢明だよ、僕みたいに」
一気に喋った後、冷たい言い方をしすぎたかと少し後悔した。
とその刹那
パァァァン
と乾いた音が鳴り響いた。
俺の顔が意思とは関係なく右のほうを向いていた。ポツポツ降り出した雨が見える。
え?俺ビンタされた?俺教師だよ?ここ学校だよ?君女子高生1日めだよ?
桂木のほうに向き直る。丸い眼に涙を溜めゆっくり口を開いた。少し下アゴを出しながら。猪木かよ。
「元気があれば何でもできる。
元気があればプロレスもできる。
元気が無いから小鞠の夢をひどい言葉で傷つけることもできる。
どんなデカい相手にも真っ向勝負で噛みついていた荒ぶる青龍は、私の心を震わせた草野龍哉はどこに行ったんですか。」
見開いた瞳からは涙が次々と溢れていたが、拭おうともせず真っ直ぐ俺を見据えていた。
3年ぶりの頬の熱い感覚と恥と後悔と忘れていた熱情が入り交じり、俺の体温を上げた。
謝ろうと思ったが、違うと思った。
俺は3年前にプロレスを辞めてから、死んだように生きてきた。もうあの煌めく日々には出会えないと思い込んで生きてきた。
俺を救ってくれて俺を散々傷つけて、それでもまだ大好きなプロレスをこの子は同じぐらい、いやそれ以上に好きでいてくれている。
俺はまだ、プロレスラーだ。
俺はプロレスラーとしてこの子に応えないと。
鼻から息をめいっぱい吸って胸郭を膨らませる。この呼吸も3年ぶりだ。
一気に吐き出し窓ガラスが震えるほどの声で叫ぶ。
「やるぞ!桂木小鞠!」
額がぶつかりそうな、互いの涙が混じりそうな距離でも一歩も引かない。
いいぞ、入門テストは合格だ。
俺は手を差し出す。
「プロレスラーの試合前はシェイクハンドだよ」
笑い泣きの小鞠が力強く手を握り返す。手を握ったまま尋ねてみる。
「団体名は?」
「JKW」
「女子高生プロレスリングか?ダサくないか?」
「プロレス団体といえばアルファベット3文字でしょ!それにプロレスにはダサさが必要なんですよ」
「元プロレスラーと素人女子高生たった2人の旗揚げか」
「大仁田厚は所持金5万円で旗揚げしたんですよ」
「お前詳しすぎるだろ」
「よーし、じゃあ」
2人で腹の底から叫ぶ。
「JKW、旗揚げだ!」
「あと、雨降ってきたから急いでマット片付けるぞ!」
「はい!」
小鞠と2人で生徒会室の前に立つ。
「センセ、この扉、生徒会室にしては重厚すぎませんか」
「うん、なんか自治の精神を重視してるとかで、生徒会の権限も大きいらしい」
「だからって扉が重厚になりますかね」
観音開きの扉を押し開ける。
「創部届を出したいんですが、あの……会長は?」
「生徒会長の中嶌すみれです、伺います」
小学生かと思うくらい、華奢な体格の女生徒が答えた。
用紙を神経質に一読すると、デスクの右手にある大きな判子をダン!と押す。
「受理しましたので、控えをお返しします」
あっさりしたもんだ、と書類に目を落として小鞠と顔を見合わせる。
「会長、この『仮』というのは?」
「今期から方針が変わりまして、実体のない部活の乱立を抑制するため、部員4人以下の部は廃部になります。
あなたのクラブは現在部員1名のようなので、2週間後の4月24日までに4名在籍がなければ廃部になります」
顔を見合わせる余裕もなく、バカみたいにオウム返しする。
「2週間以内にあと3人集めないと」
「廃部です」
外はもう本降りの雨だ。




