13話 ルチャ、受け、父親
短い見舞いが俺の休日の日課だが、その日は眠っている秀の部屋にいつになく長く居た。
「秀、業界以外では誰にも話していないお前のことを昨日教え子に話したよ。涙まで流してな」
「俺はどうしたんだろうな、秀。早く目を覚まして、教えてくれよ」
秀の乾いた頬を、俺の涙が潤した。
ダメだな。最近感傷的に過ぎる。
いつものようにジムに行く。マックでコーヒーでも飲んで帰るか。
「アイスコーヒーSおひとつ、ご一緒にアップルパイはいかがですか、草野先生」
「え」
顔を上げる、すみれだ。マックのユニフォームだと全く気づかなかった。
「アップルパイ足しとくぜ、オレあと30分だから上で待っててくれよ」
当たり前だがしっかり料金が取られているアップルパイを食べながらコーヒーを飲む。うん、合う。
私服に着替えたすみれが出てくる。
Tシャツにカーゴパンツというシンプルな装いだ。駅まで並んで歩く。
「すみれバイトしてたんだ」
「知ってるだろ、ウチ、父親がいないから母さんを少しでも助けたいし。
金無いのに私学通わせてもらってるしさ」
「生徒会長やって部活やってバイトやって、しかも成績も学年トップクラスだろ。すごいな」
「へへへ、すごいだろ!大学も奨学金狙ってるからさ」
「パパ、ガチャガチャの森寄ってっていい?」
中学生ぐらいだろうか、女の子が父親の腕を引っ張って俺たちの前を横切る。
わずかにすみれの瞳が曇るのを、横目で見る。
「……父さんがまだいたら、腕組んだり引っ張り回したりしてたのかな。こんなふうにさ!」
すみれが俺の腕に手を回し、引っ張ってみせる。少しの間、やりたいようにさせてやるか。
と、俺の腕を離して向き直る。
「オレ、色々プロレスの動画見たけどルチャ・リブレがやりたいからさ、先生練習付き合ってくれよ」
道場練習。ルーチンの柔軟、マット運動、受け身が終わり皆を集める。
「皆ルチャ・リブレは分かるよな?メキシコのプロレスのことだ。
空中殺法のイメージが強いが、ジャベと言われる複合関節技や、そもそもチェーンレスリングも日本やアメリカに無い技術がめちゃくちゃ多くてな。
俺が現役の時も、メキシカンが来たらいつもひたすらレスリングの切り返し方を教えてもらってたもんだ」
「センセ、その話まだかかりますか?」
「すまん、脱線した!すみれはルチャの技を使っていきたいから練習しよう、ってことなんだが」
おぉ〜、と歓声がわく。
「はっきりいって『ルチャは受け手が9割』だ。すみれがいかに身軽でも、受け手がしっかり受けないと成立しない。
なので、すみれの練習でもあるが受け手もかなり……」
「アタシが受けるわ」
優羽が腕を組んだまま応える。
「体格差がいちばん大きい私が適任でしょ。
何なら共商祭の第1試合はすみれちゃんと私でいいんじゃない?すみれちゃんの身体能力と私のパワー。
JKWの名刺代わりには最高のカードだと思うわよ」
「ということはメインイベントは小鞠さんと私……」
「うん!ミーキちゃん、バッチバチにやろうよ!」
実は俺もそう思っていた。なんかすごく嬉しい。
「ルチャの派手な技は、だいたいヘッドシザースかアームホイップの派生技だ。ヘッドシザースで、相手の頭を足で挟んだときに自分の体が相手のほうを向いているのがコルバタ、相手の逆、つまり自分の体を反らせて投げるのがティヘラだ」
小鞠が勝手に替わる
「ティヘラのなかでもっともメジャーなのが、かのウラカンラミレスが開発したウラカン・ラナで……」
「先生、小鞠さん、日が暮れますよ」
「すまんすまん、ルチャは奥が深いからついな。
じゃあウラカン・ラナをやってみよう。すみれ、分かるよな?」
「もちろん!動画死ぬほど見たぜ!」
「頭を挟むのは足首じゃなくて膝から上、太ももぐらいだ。いったんぶら下がるところで止めるぞ。GO!」
すみれが跳び箱のように跳び、俺の肩に足を挟み、後ろに反る。俺はすみれの足をしっかりクラッチする。
すみれが俺の前でぶら下がる形で止まった。背の低いすみれの頭は俺の膝ぐらいの位置にある。
「お〜、けっこう怖いな」
逆さまの状態で喋るすみれをゆっくり下ろしてやる。
「優羽受けでやってみようか。
優羽、すみれの頭が下に来た時しっかり引っ張ってやる感覚だ。回る時も、相手の頭が自分の足の間を通るまでしっかり我慢してやる」
優羽も少し緊張の面持ちだ。
「フッ!」
すみれが優羽に飛び乗り、反る。
逆さまのすみれを、下手したら俺以上にしっかり支えられている。
「グッド!優羽さすがの体幹だ!
次回ってみよう!優羽一瞬ガマンな!グッ、グルンだ
グッ、グルン!」
「グッ、グルンね!OK!すみれカモン!」
すみれが飛び乗り、反る。頭が優羽の股の間を通過したところで優羽が転がりフォール。完璧なウラカン・ラナだ!
「すごいぞ2人とも!こんなにすぐ出来るヤツいないぞ!」
2人も技を解いた勢いそのまま抱き合って喜んでいる。すみれも優羽も満面の笑みだ。
俺も駆け寄ったが、はたと止まってしまった。
優羽は、元々大人びたタイプだし、練習でもあまり苦労しなかった。部で皆と居て楽しそうにしてても、どこか飄々としていた。
ここまで真剣に取り組んで、相好を崩して喜んでいるのって初めてじゃないだろうか。
部がひとつになってきてる気がする、そう思ったら急に涙腺が緩んできて、後ろを向く。
「すみれ、すごいぞ……
優羽、ありがとな……」
そこからの2人は凄かった。映像で見る技を片っ端から習得してしまう。
かなり難しい技でも、俺がすみれと一度やって次に優羽と何度かやると出来てしまう。本当にすごいコンビだ。対戦相手だが。
「先生!次はこれやってみたい!」
「ミステリオ・ラナか!新体操の動きも活かせるしちょうどいいな!」
ミステリオ・ラナは、レイ・ミステリオ・ジュニアが開発した技だ。
ロンダートから相手の肩に飛び乗り肩車のような体勢になる。そこから半回転してウラカン・ラナに入る高度な技だ。
開発したミステリオ自身も軽量だった若い頃しか使っていないが、すみれなら問題ないだろう。
「よしカモン!」
対角からロンダートしてきたすみれをすくい上げ、肩車する。踏ん張って体勢を整え、息を合わせてすみれが半回転、よし!
不意にすみれがストンと降りてきた。
立ったまま向かい合う体勢になる。
すみれが呆けた顔で俺の顔を見あげている。
「どうしたんだ、そのまま続けてよかったんだぞ」
「うん……やっぱりこの技はいいや」
なんだよ、変なやつだな。
休日のルーティンの短い見舞いを済ませジムに行く。
……今日はマックに寄らず帰るか、と思って歩いているとすみれが居た。
「お、バイトか?すみれ」
「ううん、先生を待ってた。
……そんなに身構えるなよ」
前と同じように駅まで並んで歩く。
「ミステリオ・ラナさ」
「ああ、なんで止めたんだ」
「パパを思い出した。……そう、パパって呼んでたんだ。それも忘れてた」
「街に出かけるとよく肩車してくれた。あの技で乗った時、急に思い出して」
「パパとまだ一緒だったらこんな感じだったのかなって、もうさすがに肩車は頼めないけどさ」
と言ってすみれは八重歯を見せて笑う。
「すみれ、プロレスの話なんだけどさ」
「えー先生、俺がいい話してるのに」
「頑張ってルチャ覚えたし、マスクウーマンでいかないか。
リングネームは
『ビオレータ・リンダ』
スペイン語で小さな、可愛いすみれだ」
「すみれって少し珍しい名前だろ。ご両親が一生懸命考えてつけた名前なのかなって……」
いつの間にかすみれが立ち止まっている。
「すみれは、パパがつけてくれた名前。
女の子が生まれたら絶対すみれにするってパパが決めてたんだって、母さんから何度も聞いた」
すみれはポロポロ涙を流していた。
「そ、そうか。気に入ってくれたらでいいから考えといて」
俺はなんだかバツが悪くて立ち去ろうとした。
「先生!」
振り返るとすみれが全力でダッシュしてくる。
「受け止めて!」
ジャンプして大の字になって飛び込んでくる。受け止める。小鞠の滑らかな頬が無精ひげの横を滑っていく。
「おい、これなんの技だ?」
「なんでもない!」
すみれは俺にしがみついたまま、八重歯を見せて笑った。




