8. 夜泣き
――その夜、魔王城は静まり返っていた。
黒い石造りの廊下はひんやりとして、遠くで魔物の鳴き声がこだまする。
私は自室のベッドで、久しぶりに深く眠っていた。
今日は珍しく、ルシエル様がすんなり寝てくれたな……
そう思った矢先――
「……ひっ……ぐ……」
小さな泣き声が、闇を震わせた。
私は飛び起きた。
ルシエル様!?
次の瞬間。
「みりあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
魔王城が揺れた。
壁がびりびりと震え、窓がカタカタと音を立てる。
やばい、これは本気の夜泣き!
私は寝間着のまま廊下へ飛び出した。
同時に、魔族たちも慌てて走ってくる。
「魔王様が泣いておられる!」
「魔力が暴走寸前だ!」
「乳母殿をお呼びしろ!」
「もう来ておられる!さすが乳母殿!」
いや、ただの夜泣きだから……!
私は魔王の寝室の扉を勢いよく開けた。
部屋の中は、黒い魔力が渦巻いていた。
ベッドの上で、ルシエル様が小さな体を震わせながら泣いている。
「ひっ……ぐ……みりあ……みりあぁ……!」
涙でぐしゃぐしゃの顔。
赤い瞳が不安で揺れている。
私は迷わず駆け寄った。
「ルシエル様!」
抱き上げた瞬間、黒い魔力がふっと弱まった。
ルシエル様は私の胸に顔を埋め、必死にしがみついてくる。
「みりあ……いない……こわい……!」
……ああ
胸が痛くなった。
私がいない部屋で目が覚めて、不安になったんだ……
私は背中を優しく撫でた。
「大丈夫、大丈夫。ミリアはここにいます。どこにも行きませんから」
「……ひっ……ぐ……!」
ルシエル様は泣きながら、私の服をぎゅうっと掴む。
その小さな手が震えていて、その震えが、胸に刺さる。
この子……本当に怖かったんだ。
私はゆっくりと揺らしながら、子守歌を口ずさんだ。
「ねんねん、ころりよ……ルシエル様はいい子……」
魔族たちは部屋の入口で固まっていた。
「乳母殿……!」
「魔王様の魔力が……安定していく……!」
「夜泣きすら鎮めるとは……!」
「乳母殿は……もはや神……!」
いや、ただ抱っこしてるだけなんだけど。
ルシエル様は泣き疲れたのか、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。
「……みりあ……」
「はい。ここにいますよ」
「……ねないで……?」
その言葉に、胸がぎゅっとなった。
ああ……
置いていかれるのが怖いんだ……
私はルシエル様の額にそっとキスをした。
「寝ません。ルシエル様が眠るまで、ずっとそばにいます」
ルシエル様は、安心したように目を細めた。
「……みりあ……すき……」
「ミリアも大好きです」
私はベッドに腰を下ろし、ルシエル様を胸に抱いたまま横になった。
小さな体が、私にぴったりと寄り添う。
「……みりあ……」
「はいはい、ここにいますよ」
ルシエル様は、私の心臓の音を聞くように耳を当て――
やがて、すうすうと寝息を立て始めた。
私はその寝顔を見つめながら、そっと呟いた。
「……夜泣きくらい、いくらでも付き合うよ」
部屋の外では、魔族たちが感動で震えていた。
「乳母殿……!」
「魔王様が……完全に落ち着かれた……!」
「夜泣きすら愛おしいとは……!」
「乳母殿こそ、魔王軍の母君……!」
ゼファードさんは静かに言った。
「……あの方がいる限り、魔王様は決して闇落ちしないだろう」
そして、魔王軍の誰もが悟った。
魔王ルシエルにとって、夜泣きのたびに呼ぶ名前は――ミリアだけだ。




